
レファンスが、ニナをおぶってその家を出た時には、空の吹雪はダイアモンドダストにまで変わろうとしていた――。
この状況は身を隠すのに適しているし、地の利の無いものが外に出て自由に動き回れる状態でもなかったので、少年にとっては非常に有り難かった。
「セ……リは、お姉……んのトコ……」
「……え?」
少年はどう手当てして良いのか分からなかったので、大火傷を負った少女にそのまま包帯を巻いて、街の裏路地を海岸沿いに向かって歩いていた――。
とにかく街から離れた方が良い……少年はそう判断したのだ。
そんな金色の髪を濡らした少年に、ほとんど音にならない声で背中の変わり果てた背中の少女が声をかける。
舌も爛れているのかは分からない……だが、なんとかその声を聞いたレファンスは、小さく頷いてその足を、無意識に向かっていたようである姉の家へ向ける。
姉……フィアの家であれば、街から海岸沿いに数キロ離れていて、巨大な岩の陰に立っているため、他所から来た人間達には見つかる可能性は低いと思えたのだ。
そこにセシリが居るならば、ニナのような目にあっている可能性は低いはずだと、レファンスは多少安堵して、息を漏らす……。
が、それも気絶したりわずかに意識を取り戻したりして、うめき声にしか聞こえない泣き声をもらしているニナのぬくもりを感じる事で、すぐにたまらなくなってしまうのである。
この少女……そばかすの目立たなくなってきた三つ編みのニナも、レファンスにとっては幼馴染になる……セシリとタッグを組んでよく自分をからかっていた女の子であるのだ。
17歳の誕生日を迎えて久しい最近は随分と可愛らしくなり、昼間も香水をつけていたのかセシリにはない香りがした。
だが、そんな可愛らしい顔もとても凝視できないようにされている――。
レファンスが泣いても、こんなにした相手を探し出して殺したとしても、もう少女の顔は元通りにはならない――。
たとえセシリが無事であったにしても、これから先のニナはどうなってしまうのか……。
そんな思いが、死を予感させるような輝く冷気の中で、少年を支配していた。
レファンスが姉の家を視界にとらえたのは、それからどのくらい経った後なのであろうか……すでに、雲の隙間からは夕日が差し込んでいるような時間帯であった。
両腕を酷使したせいなのか……浅い傷に思えた左手の傷は、ニナのぬくもりで暖められると激痛をともなうようになり、疲れ果てた体の所々が恐ろしいまで重く感じるようになっていた。
吹雪きもある程度収まりがついてきて、段々と雲が晴れてくるのは、この地方の夏を16回も経験している少年にはある程度分かっていた。
だからこそ、急いでここまでニナをおぶってきたのだ……。
だがそんな少年が、姉の家で休む事は許されなかった――。
姉の家の側の海岸に、小さい木製の帆船が3隻停泊しているのを見つけたからだ。
「……ふー」
それは、セシリのため息の真似であった。少年は、眉をあからさまに歪ませると、ニナを自分の上着で包んで、そばにある大きな木の剥き出しになった根を枕にしてそこに寝かせる。
姉の家から数名の黒衣と同色マントを纏った人間が数名出てきたのは、そのすぐ後であり黒衣の一人がセシリと思える少女を抱きかかえて船に連れようとしている。
こういうシチュエーションは、全く予想できなかった。セシリが連れ去られる……それは乙女チックすぎると少年は思ったのだ。
相手はプロの戦闘集団なのかもしれないが、セシリが無抵抗でやられるワケなどはない……確信があるとすればその点だけであった。
「僕が死んだら……ニナもセシリも死んじゃうんじゃないか……?」
そう自分に言い聞かせて、腰帯びた鞘から剣を引きぬき、その黒衣の集団に気配を潜めて雪の衣を纏っている木を盾に近づく――。体は重かったし左手にはほとんど力が入らず、剣は右腕を震わせながら、なんとか持ち上げているような状態であった。
「……騎士?」
遠目では確認できなかったが、それは黒く輝く美麗な鎧を纏った一団であった。
少年は、見たこともない綺麗な鎧を見て思わず小さくそうこぼす。
その人数は浜辺に出ているだけで3人――船の中と姉の家の中にまだ居る可能性は十分考えられたが街に溢れていた連中と比べれば数が少ない……。それがレファンスの勇気に繋がった。
「お前達はっ!?」
レファンスは、そう叫んで木の影から飛び出し、剣を構えたまま間合いを詰める。そしてセシリを抱きかかえている騎士が海に足を入れる前に声で静止を試みる。
「……何だ?……子供か?」
「ルディア、任せられるか?」
「……ボウヤの相手くらいなら……な」
3人の騎士は、飛び出してきたボロボロの服を着た少年を一瞥すると、全く動揺する素振りも見せず、そう淡々と声を続ける。
騎士3人は、全員女性のようであったので、レファンスは驚いて目を見開く。
女性が戦争をする為に鎧を着る……レファンスには想像できても実際に理解する事はできなかった。
「……街で暴れている奴らの仲間なのっ!?」
突然そう口走り、自分の前に立ちはだかったルデイアと呼ばれた長い金色の髪を持った黒騎士へ剣を向ける――。
「……私達は戦争をしにきたのではない。ここで退くならば怪我をしないですむ……」
静かに目を細めて、淡々と異様なまでに冷たい声でその騎士は少年に告げる。
「だがっ、邪魔をするならば、子供といえど容赦はしない」
騎士が、声を弾ませたのは、ボロボロに汚れた少年が自分の話を聞き流すようにして、船に連れられようとしている栗毛の少女を凝視していたからである。
「……っ」
その声に肩をビクンとさせて、視線をセシリから目の前の騎士へと移さざるをえなくなる少年――。
「……綺麗な人が……」
目の前の黒騎士……遠目では分からなかったが、中性的な美しさを持っている。
体つきをみるとそうは思えなくなるのだが、美少年のようでもある女騎士――ルディア。
「あの子は悪いようにしない。約束しよう……」
「おかしいよっ」
「――?」
「綺麗な人はドレスを着て家に居ればいいのにっ……鎧を着てセシリを攫うなんて、おかしいじゃないかっ」
「どうやら……話にならないようだな」
ルディアは、レファンスの突拍子もない言葉に軽く肩を竦めると、呆れたようなため息を漏らす。
「そこをどかないならっ!」
レファンスは、ルディアの背後の騎士がセシリを船に連れ込む前に、目の前の騎士をどける必要があった。だから、焦り怒鳴って剣を振る――。
ガスッ
「あれっ!?」
鈍い音――。
次いで剣を握っている右手が震え出して、剣を地面に落とす。
眼球が揺れるような感覚……視界が曇って意識が薄れゆてく……その中で、目の前にいたはずの黒騎士が消えているを感じる――。
たしかに、剣を振りかぶったときはそこにいたのだ……。
レファンスの膝が地について、それに続くように頬が地面に落ちる寸前に、先にそこを支配していた影の位置から、騎士が自分の後ろに回ったという事だけは理解できた――。
――たがそれだけであった。
第2話「その恋の終わりに」
蒼……琥珀色をした海の波の上を渡る風の色――。
風が走り舞い上がる遠く深い空の色。
蝕まれた大陸の外にあって、永劫の蒼を醸し出すそこ――。
16年前に悪魔達がこの地を訪れた時も、この色だけは蝕まれる事はなかった。
人の心を魅了し、この星の象徴となっている永遠のブルー。
この地方に訪れた夏の日。
大地が生まれてから何度目になるのだろう……。
ファルシア大陸最南部のフィリアード公国は、この星の赤道直下にあり、気候は年中温暖である。
14年前に大陸すべてが崩壊の途を歩んだ記憶が人々の口々から遠くなり始めた頃。
公国を統べる領内唯一の城、アースラム城――。
公主カタリーナの婚礼の後、大掛かりな改築が行われ、かつてのレンガ造りの黄土色の外壁は取り払われ、白く美しい装飾のされた外壁がその城を覆っている。
城の周囲を部分的に守っていた古ぼけた低い外壁も、城下の街すべて覆い尽くす巨大な物に変わっている。
ファルシア大陸が一つの国であり、フィリアードはその国に属する領国であった時には、これほど強固な物を作る必要はなかった。だが、名目的に建造されていた古ぼけた城壁は真っ先に取り払われ、街を要塞都市へとまで変えた新しい城壁が急遽建造されたのは、独立した国として武器を取らなければならなくなったからなのだ。
王都の占拠と皇帝の訃報が大陸中に伝わったのは、15年ほどの前の事になる。
1人の男によって、あまりにも脆く崩れ去った大陸の統制。
終わりの3日間……人々がそう呼ぶ天使が人々の前に姿を現した日は、その訃報が伝わって約一年後の事であった。だが、すべての人々に死の恐怖を植え付けたその日を境にしても、大陸の動乱は終結する事はなかった。
むしろ、終わりの3日間が大陸中央から北部かけて膨大な土地を焼き尽くした為に、いくつかに散らばっていた勢力の戦力を均衡させる結果となってしまったのだ。
当時のフィリアード公国の総兵力が200名程度あった事を考えれば、数十万人という大軍が大陸を駆けた時点で、と
うに滅ぼされていてもおかしくはなかった。
カタリーナ公主は結婚前夜……終わりの3日間の後に、こうこぼしている。
『終わりの3日間は終わりではないわ。生き延びた者達にとっては、これが始まりなのよ』
待てっ!俺を置いて……1人で行かせるかっ!
駄目よ……あの翼を薙げるのは、このブルーだけでしょう?あなたは生きて国に戻って……子供達を守ってあげてっ!
俺1人に何が出来るっ?二人で帰るんだっ!すべてが終わったら……もう一度……。
ええ……約束しましょう! ……もう一度二人で…………。
「……!?」
フィード=フィールド=フィリアードにとって、海の輝きと潮の風は、常に窓を開けるとそこにあるものであった。
『またこの夢か……』
自分が最後に何か叫んでいた……その苦しさでフィードは目を覚ます――。
――年中温暖なこの地にあっても、その日の日差しは特に強く、寝苦しさにベットで寝返りをうって、ほんのわずかな間だけ今見た夢の事を考えるが、すぐに小さなため息をこぼして身を起こす。
「きゃっ」
なんの前触れもなく、体を起こしたフィード。
耳元で奏でられる小さな悲鳴。
はっとして、その声の主を探す。
身を翻すと、それは自分のすぐ側で悲しげな表情を浮かべた少女のものだと、すぐに見つける事ができた。
「……レティシア……?どうした?」
フィードは、胸に手をあてて悲しそうな表情を浮かべている娘を抱き寄せると、頭を撫でて優しく耳元でそう言う。
「あの……ごめんなさい。お父様の様子を伺おうと……昨夜、熱を出していらしたから……」
公女は、腕の抱擁を素直に受けて、端整な顔を父の胸に沈めながら引き締まった口元を崩し、そう告白する。
「……何か言っていたか?」
「……はい?」
続けられたフィードの小さな声に応じ、レティシアは紅のついた唇を父の耳元にもっていくと、耳元で意志を交わす事にする。
「俺は……何か寝言を言っていたか?」
「……いいえ」
目を細めて、すぐに嘘だと分かる声を奏でるレティシア。
「……レティシア」
咎めるような色の声ではない……ただ無機質なそれ。
「……お母様が悲しみます……」
レティシアは、自ら父の抱擁を解いて、ベットの上のその膝に乗るような形になる。
「……?」
そう言って、フィードの目を凝視するレティシア――。
強い気持ちがこもっている事が分かるその公女の蒼い瞳。
「お父様が夢で言われる、フィアナという名前……、それを聞くとお母様は酷く悲しんでいらっしゃいます……。ですから、私は何も聞いていません」
「……」
嘘をついたと自ら告白しても、公女の瞳は凛とした輝きを失わず、その声も澄んだままであった。
「……悪い子だ」
レティシアの言葉……いつもそうなのだが、聞く者にとって満足のいくものが多い。
悪い子……昔はそう言って少し苛めてみせると、ぽろぽろと涙を流して謝っていた少女であったレティシアも、最近は自分が悪い子でも、人が不幸にならないなら構いませんと、柔らかい微笑みに携えて言葉を返す事もできるようになっていた。
フィードはわずかに微笑んで、レティシアを抱き上げると、そのままベットから降ろして、自らも靴を探して視線を床へ落とす。
「カタリーナはどうした?」
寝具のまま靴を履くと、部屋のカーテンを開けて、視線を外に向けたままフィードは、レティシアに尋ねる。
「朝早くから御仕事でお出かけになっていらっしゃいます」
真っ白な涼しげな絹のドレスを着たレティシアは、俯いてそれに応える。
「……レティシアの婚約の件か……」
「……はい」
少し苦笑いをして、レティシアは小さく頷く。
「……嫌ならばそう言えばいい。上手く断る方法も侍女や女官から聞く事もできるだろ」
「……はい」
同じように応えるレティシア――。
複雑な気持ち……婚約を断る事で相手を傷付ける事にはならないのかという気持ちが、脳裏に横切っている。
「……好きな男がいるのか?」
虚ろなその応答に、フィードは言葉を切り返す。
「……お父様と同じ感じのする人がいるんです……あったかくて……安心できます」
「……。16歳……か」
公女はその質問に、真っ赤に頬を染めて恥ずかしそうに応えたので、フィードは憮然としない表情で押し黙り、独り言のようにそう付け加える。
――――レティシアの微笑みを夏の風が彩っていた
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