暗い律動が世界を支配していた。アースラム城の地下に、数十メートルにおよぶ棺桶を発見するに至ったのは、14年前、終わり3日間で人々が天使達の姿を目に焼き付けた後の時間になる。
カタリーナにとって、その棺桶というのは、いずれくるであろう大陸の覇権を巡る戦いでの切り札になるかもしれないモノであった。今、彼女は真に暗き時間に支配された深い地下の空洞に身を委ねていた。
「死債が来るというのは分かっていたのだけど。こうもやられるようでは、再びファルシアと戦う力は残らないわ」
黒い空気が敷き詰められた広い空洞で、棺桶に眠る主に向かいカタリーナは、言葉を奏でる。地下の壁は、石で出来ているようであった。その密閉された時間というモノがその言葉を何重かにダビングして、カタリーナの耳に返す。
「アースラムの地下に眠っていたモノならば、フィリアードを守ってくれるわよね」
カタリーナは、ランプの小さな明かりを頼りにして、地下室の中で足を前に進める。棺桶の一角には何かを映し出すガラスのようなモノと、人の指大の突起がある。ガラスには、血のような赤い文字で「棺桶の女王」と書かれているらしい。というのも、これを解読した研究者達の見解なのである。
フィリアードに眠っていた「聖槍ラクロス」というのは、この棺桶の女王を氷で封印したモノで、奇しくも先の死債にフィード公子が道化達を撃退するに使った武器である。カタリーナにとって棺桶の女王を悪魔達にぶつける、というのは文字通り最終手段であったが、毒を用いる場合は、それを制する方法を持っていなければ、結局は自らが滅びることになる。棺桶の女王という名前しか分からないモノである以上、それを封じるための聖槍に相当する武器は必要であるのだ。
当の聖槍は、終わりの3日間でフィードが持ち出して以来、彼の記憶と共に消息を絶っている。
代わりにカタリーナが手にしている燭台のようなモノは、光の剣と呼ばれるテレフォニアが天使達の眠る遺跡で発掘した剣である。
天使達を戒める光と棺桶の女王を戒める聖なる槍、代替になるかは確信が持てなかったが、公国を守ることに人生のすべてを費やした公主は、棺桶にある突起、「起章」とあるモノを指で押すのである。
――――古い空気が振動をはじめた
レティシアの体の痛みは限界に達していた。関節が痙攣を起こし、足は石のように固まっていてすでにその役目を果たそうとはしない。
彼女は、父の肩を借りて半分足を引きずりながら歩いている。アンチ・レティシアであろうとする自分の自我が存続していられるのもここまでなのだと彼女は悟っていた。呼吸を繰り返す事さえも、肺の筋肉の痛みが邪魔をする。
が、体の支配を放棄したところで、亀裂が出始めた筋肉が回復する事はないであろうし、蒼い目のレティシアは、確実にこの状況に適応できない。だから、アンチ・レティシアは、目を半開きにしても、歩き続けるのある。父の背に身を委ねて、眠りにつく、という行為を戒めて。
「……あっ」
カミュの汗を拭いていた若い侍女がふいにあげた声。それが起点となって、カミュの意識は暗い海から光のある場所へと移った。目を開けて天井を見るが、周囲に明りはなく、ただひたすらに黒い色のみが瞳を染める。
意識の朦朧とする中で、カミュは現状を知ろうとベットから身を起こす。
「っ」
――――激痛。だが、その痛みは空ろな瞳に確かな輝きを実らせ、カミュに重い鼓動を感じさせることとなった。
「おい」
鳥肌を立てて、カミュの頬に手拭いを当てている侍女に彼は声をかける。
「……え」
若い侍女は、自らの手をカミュのそれに弾かれて、その瞳の光を知る。
「また厄介なモノが目覚めたようだ……近くに人は居るか?」
普通に呼吸ができて唇が動いた、カミュは致命傷を受けていないと確信して、部屋の中にブルーを探す。
「あ……はい、お医者様がおられますし、兵隊の方もいらっしゃいますから。……大丈夫ですよ」
「……ここは避難する場所……か」
悪魔達の圧力と違う、だが同質の嫌な雰囲気が周囲を包んでいた。カミュは本能的に危険を察して、侍女に告げようとしたのだが、逃げ場などはないと言う事を理解した。彼はゆっくりとベットから降りて、ゆっくりと床に足をつく、右のわき腹に貫通する程の傷を受けている。その痛みはどうなのか、と。
「麻酔か……?」
「即効性のものですが。駄目ですよ」
侍女は、カミュの振りを静止しようと、両手で彼の肩を押さえる。即効性のある麻薬を使って彼の意識がない時間に傷の縫合は済ませてあった。とはいえ、動けば傷が開くのは目に見えていたし、彼が無理して立ちがる事に意味を感じえない侍女は、咎めるような口調で言う。
「お前にも感じられたはずだ」
カミュは、その手を振りほどくと、壁に立てかけてあった自らの剣の鞘を手に取る。
「なんです?」
「悪寒が、だ」
折れて亀裂が入った剣は、カミュの決意に呼応して、再び淡い光を発し始めた。
女王の最初の被害者になったのは、カタリーナ=フィリアードだった。今、彼女の手には槍が握られていて、それが道化の腹を貫き、その体を宙に持ち上げている。
ドスンッ
無機質な音。無残に引き裂かれた道化の体が地面に落ちて、朽ちる音。アースラム城の地下回廊、聖槍が納められていた部屋の前での出来事だ。
「……クス」
倒れた道化と入れ替わるように、床で息を引き取っているかに見えた兵士の一人が立ちあがる。――言葉はない。
「…………」
カタリーナは微笑んで、呼吸をせずに立ちあがってくる兵士に小さく言葉をかける。瞳が乾いたままの兵士は、主に一礼をすると、その後ろについて、地上への階段に足を向けた。
「カミュ……? あの傷で動けるなんて」
アンチ・レティシアは、アースラムの城門の前で瀕死の重傷を負っているかに思えた少年の姿を見つけて声をあげる。包帯の上からシャツを着ているといった軽装であったが、
「やはり……ピークの動きを持続はできないか」
彼はボロボロになった蒼い剣を杖にして、街の北、ファルシアへと続く平原を見据えていた。レティシアが、荒い息をあげている様を見つけて、彼は冷たくそう言い放つ、本来人間が使うことを許されない領域の力を使いつづければ、こうなるという事は、容易に想像できた。筋肉は悲鳴をあげ、関節は炎症を起こしているのだろう。
「レティシア、誰だ?」
フィードは、肩にもたれ掛かっている娘に尋ねる。会話の語呂からしても、彼の知っている娘の言葉ではない。
「……!?」
カミュとフィードの視線がぶつかり、止まる。
少年の手にある闇を裂く蒼い剣。
――かつて見た光。
フィードの脳裏を閃光が駆ける。と同時に、彼の視界の中で砕けた蒼い剣そのものが、カミュに意思を告げるかのように、輝く。
レティシアだけが、蒼い光に残された意思をおぼろげに感じることができた。蒼い目の公女では、特別なモノとして深く意識できなかった。だが、蒼い瞳を持たないアンチ・レティシアは、それを遺憾と感じ、理解する事ができた。
「……母様です」
レティシアは、父の肩に頬を当てて耳元でそっと言葉を奏でる。
「お前は母親の事を知らない」
フィードは、懐かしいぬくもりを感じている事までは、否定できなかった。
「お父様だって、記憶が戻らないのなら、私と一緒。愛娘という希望を持っているお父様には、感じにくいだけ」
アンチ・レティシアは、目を閉じてそれだけ言うと、荒い息を数度吐く。背中が圧迫されるような痛み――。彼女は、そのまま父親に凭れ掛かって、意識を閉ざした。
その二人のやりとりを目に、カミュは、鼓動を発している蒼い剣をフィードに差し出す。
「だ。そうだ」
「……」
フィードは、差し出された剣を無言で受け取り、手にあるそれを見つめる。
「フィアナ……か」
――――確かめ合ったぬくもりが、そこで輝いていた。
第21話「フィアナとフィード」
闇に閉ざされた城内に、皮製の靴が作り出す規則のある音が、無気味なほど正確に響いていた。次第に、暗闇裂いて鮮明になるその音、酷く嫌な圧迫感を聞くものに届けるそれは、ある部屋の前で一次的に止まった。
――玉座の間。何が変わっているというわけでもなかった、公主とそれを守る兵士数名が、そこに姿を現したに過ぎない。ただ、兵士の中には致命傷と思われる傷を負っている者も見うけられる、玉座で息を潜めていた侍女達は、彼等に駆け寄ろうとするが、数歩動いたところで本能的に足が動かなくなる。
何か雰囲気が違う。極度の緊張に身を震わせていた彼女達であったが、今度は体を震わせる事すらできない。圧力の正体は、異形の化け物ではない、良く知っている人間なのだ。視界で認識する感覚と、本能的に感じる恐怖とが、交錯して――そこに日常を生きる人間にはない矛盾が生まれた。
フィードが蒼い剣を縦に振ると、無数の光の粒子が闇を染めた。かすかな光が照らす世界に、人の安らぎはない。ただ、叫び声であるとか、息を引き取った人の姿が映し出されるわけでもなかった。そこにあるのは、現実という世界だけ。希望を司る蒼が映し出した絶望だけだった。
「レティシアを連れて逃げろ。ここはもう落ちる」
奇妙な程人気がなくなった城に繋がる丘の傾斜で、片膝をついて痛みに顔を顰めているカミュがいた。彼は、娘をおぶってアースラムの方に目をやるフィードに、言葉を向ける。
「俺もレティシアも公主の一族として国と運命を共にする覚悟がある」
フィードは視線をカミュと合わせて、淡々とした言葉を告げる。
「……馬鹿げている」
「かもしれない。しかし、ここを守らなければフィアナは、帰る場所を失う」
「フィアナ?」
「……フィアナか……」
カミュの問いに、フィードは目を見開いて自問する。直接的な記憶に、その名前の根拠はない。だが、蒼い剣は確かにフィードにその名前を告げた。
「この剣は?」
その剣が鼓動を放っているというのは、フィードにも感じ取る事ができた。彼は、剣を見つめて言葉を続ける。
「どういう剣なのかは、レティシアが知っているはずだ」
希望の結晶、という答えはカミュの理解の外にあった。だから、レティシアからそれを聞いていても、自分の口で奏でる事はしない。カミュは、レティシアの方に目をやってそこで言葉を止めた。
それに促されるように、フィードは、意識を失っている娘を背負うと、丘の上、アースラム本城へと足を向ける。
「やめておけ、城はもうダメだ」
「何?」
「どいつもこいつも……鈍い。感じないのか、この悪寒。道化モドキのモノよりも、俺には悪質に思える」
麻酔で体の神経が痺れている状態にあっては、口を動かす事しかカミュには出来なかった。初対面の男に、ここまで言葉を続ける自分に疑問を感じながらも、気を失っているレティシアを見れば、言葉を絶ちきる事は出来ないのだと知る。
「お前とはどこかで会ったか? カミュ」
「なんの話をしている」
カミュに視線をやるフィードは、首を傾げて言葉を紡ぐ。カミュは、それに呆れたような声で言葉を返す。記憶を失っているらしい男の言葉ではないはずだ。しかも、カミュが人の里から隔離されたシベリアを初めて出たのは、ほんの数ヶ月前の話になる。
「いや、勘違いならいい」
「……チ」
そこでカミュは、曇った表情に汗を交えて、舌打ちをする。
「間に合わなかった」
カミュは言って、自分が感じ取った恐怖の対象を視界に捉える。――意外であったが、そのモノは人の姿をしていた。
「カタリーナ?」
闇を裂いて城門から、こちらへと足を進めてくる。この国の公主であるはずの女性。カタリーナ=フィリアード。
「クス」
フィードの言葉に答えるように、彼女はうっすらとした笑みを口元に浮かべる。カミュは、ふいにアンチ・レティシアの微笑みをそれに重ねた。
「何をしている……こんなっ」
フィードは、ドレス一枚という無防備な姿で夜の世界に身を晒そうとする彼女の行動を静止しようと足を前に進める。
「やめろ」
カミュは、腕を横に伸ばして彼の進路を塞ぐ。見ず知らずの男、レティシアの父親を庇う理由などはないはずであるのに。
『ニイサマトワタシノジャマヲスルナ レファンス』
「ッ?」
それはカミュの脳裏に直接描かれた言葉だった。レファンス、聞いた事のない文字の羅列。
「カタリーナじゃないのか?」
「人の威圧感には限度ってものがある」
目線を動かすだけでカミュに尋ねるフィード。明瞭な答えはすぐに返って来た。カミュは懐からナイフを取り出して構える。それに促されるように、フィードは右手に垂らしてある蒼い剣に力を込める。アンチ・レティシアも、目の前にまで迫った威圧を感じたのだろう、無理矢理に目を開いて、父の背中から降りる。彼女は、ふらつきながらも、自らの力で立とうとする、が、結局はよろめいているところをカミュに抱き寄せられる形になった。
「フィアナマデイル」
カタリーナの姿をしているモノは、地面を這うような声をあげて、微笑を閉ざす。その後ろに広がる闇、城の中からであろう、灰色の表情をした人のカタチをしたモノ達が、彼等の前に姿を見せる。充血した目、口元を裂く白い八重歯。
「……棺桶の女王か。どういうモノなのか知って使っているのか」
カミュは舌打ちをして、目を細める。彼の知識の中にあった棺桶の女王と呼ばれるウィルス。人為的に作られた生体兵器の副産物で、血液を通して驚異的な速度で感染、発病する。質の悪さは、キャリアが吸血鬼のように血と肉を求め始め、生きている人間にも血液を通して感染するという点だ。つまり、キャリアが生き延びる為に、新しいキャリアを作る。キャリア達が生きているのか死んでいるのかと明瞭に分類するのなら、彼らは死んでいる、という事になるのだ。生を貪って、消え逝く筈の死を立てるのである。
世界のいくつかの遺跡には、このウィルスがまだ残っているのではないか、という話を、教会での生活の何時かに聞いた記憶があった。それが、目の前にいるモノであるというのは、まず間違いないように思えた。カミュは視線を自分の右手に移す、そこに握られているのは鉄製のナイフが一本。その無力さに絶望して深い息を吐く。キャリアを撲滅させなければ、永劫に固体を増やしていくようなウィルスをここで食い止める力は彼の元になかった。
「カミュは行け」
少年の言葉を聞いたフィードは、目の前のモノの正体を知る。棺桶の女王、死を司る王の呼称。カタリーナが、切り札にとっておいたモノのはずで、あてが外れればこうなってしまうのだと、フィードにも予想はついていた。
「あんたがレティシアを連れて逃げろ」
カミュは、それが天使や悪魔と同じくらいに危険な存在だと感じていた。実際、道化の体の一部、腕、であろう部分を口に咥えている人のカタチをしているモノの姿を見れば、それは間違っていないのだと理解できる。
彼は腕の中で、荒い呼吸をしているレティシアと目を合わせる。彼女の一定だった呼吸のリズムがその時に変わった。赤い瞳に蒼い星が映し出されたのだ。
「……え?」
眠りから覚めたような感覚だった。レティシアは、体中の痛みを感じ、周囲の状況を見て目を大きく見開く。ここが何処なのかはわかった、アースラムの城門前、街を一望できる小高い丘の上。もっとも、街からは火の手が見えるだけで、風景はすべて黒く塗りつぶされている。だが、分かるのはそのくらいで、それ以外の状況は何も理解できなかった。
包帯を赤く染めているカミュの腕の中に自分は居た。側にいる父もまた、体中に傷を受けている。自分達は取り囲まれようとしていて、周囲に広がるのは知っている顔、カタリーナを始めとして騎士達や侍女達の姿。
「イヤ……」
蒼い目のレティシアは、体中、呼吸をする度に肺にすら痛みを覚えるのだが、弱々しい悲鳴をあげた。――自らを取り囲んでいる人間は誰一人生きていないと悟ったから。
彼らにはブルーがない。希望が感じられない。何時の間にかフィードの手の蒼い剣が作り出す、光に覆われた世界が彼女にそれを感じさせた。一人の侍女と目があった。良く知っている顔だ。しかし、彼女は普段と違う瞳をしていた。――枯れているのだ。見詰め合うという負荷に耐えられないそれは、ふいに崩れ、目から涙と共に流れ出す。
「イヤァァァァァァッッーーーー!」
恐怖に顔を歪ませるレティシアは、カミュの腕に爪を立てて、力の限り叫ぶ、肺が引き裂かれるかのような痛み。それを払拭するだけの恐怖。少年の皮膚にレティシアの爪が食い込み、それを赤く染める。
――――フィアナの光が彼女の涙を映し出していた
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