蒼い光に覆われ始めた夜は、蒼い瞳のレティシアを覚醒させた。この夜の事を知っている人間は二人、この場に存在している。レティシアとカタリーナ。一人はつい先日、もう一人は17年前にこの夜を見ていた。
夜を知っている二人は、対峙して視線を交わす。それを尻目に、天空の異変を見上げて、この場から逃げ出そうとするのは、目を充血させた、カミュに言わせるウィルスに感染している人の姿をした者達だ。もっとも、この蒼い夜がどこまで広がっているのかは分かるものではない。それでも雲の子を散らしたように、彼らはこの場から逃げ出していく。皆、呼吸の為にすら口元を動かす事はないモノ達でも、硬直しているような表情を更に強張らせて。
「女王は、こんな世界に居ても問題はないわけか」
光を瞳に映すカミュは、腕に突き立てられるレティシアの爪の痛みで、意識と言葉をしっかりと保つことができた。公女は、カミュの胸に頬を当てて、目を強く閉じて大粒の涙でそこを濡らしている。霞んだ瞳と強い恐怖が、カミュの肩口にある傷の存在を忘れさせていた。傷はレティシアによって刻まれ、その涙で濡らされる。カミュは、軽い不快感に苛まれるが、レティシアを引き離す事はできなかった。
「カタリーナ……何が望みだ」
フィードは、蒼い剣の折れて失われた剣先が、光の粒子によって集約され、復元されている様を目にして、言葉を奏でる。
「ニイサマ モ ワタシ ト オナジニナルノ」
カタリーナの声は恐ろしく低いモノで、発音も不明瞭であった。彼女は、ゆっくりとフィードの元へ足を進めながら言葉を続ける。
「ニイサマ ハ ワタシ ノ オット ニ ナッタノ ダカラ トウゼンノコト」
彼女は、微笑を浮かべて、言葉を告げる。羞恥心も自尊心もすでに掠れているのだろう。義娘がいるにも関わらず、自らの罪を自白するような真似をする。
「ニイサマ ト イッショ ガ ワタシ ノ ネガイ。ダカラ コウシュ ト ナッタノデショ」
義理の兄妹の婚礼を公認させる法を確立させる為に、公主となったのが、そもそものカタリーナという少女であった。それを現実のモノとした後、記憶を失い、絶望し、何もかもが分からなくなっている義兄を慰めて自分のモノにするのは容易であった。
極端に低い、腐り落ちたような喉から続けられる言葉。それを聞いたレティシアは、蒼い瞳を剥いて、カタリーナを見つめる。その頬は小刻みに震え、行き場のない腕の力は再度カミュの体を蝕む。
「ホッキョクケン デ コロシタハズ ノ レファンス ハ モドッテキテ シマッタ」
今度は、レティシアへの言葉。すでに隠し事をしている意味はなかった。カタリーナは、人を超越した女王であり、レティシアは籠の中の小鳥でしかない。まして、この少女が生きて明日を迎える事はないのだ。フィードをキャリアにしたら、今の彼女の願いはそこで成就される、厄介払いのつもりでファルシアの中年貴族に売った義娘は、排除の対象でしかない。どんなに気立てが良く、優しい娘であろうと、レティシアは、兄を奪った女、ティア=フィアナ=ファルシアの娘でしかないのだ。
カタリーナは、レティシアの苦しげな表情と、曇る瞳を見て笑みを零す。そして、無言のまま、腰に下げていた燭台のようなモノを右手に取る。
ブゥゥン
風が吹きぬけるような音。
燭台は光輝く刀身を世界に晒して、剣の柄の部分へと姿を変える。
「レファンスさんを……? どういう事なんですか」
その光に怯える事はなく、レティシアは気丈に言葉を奏でる。決して聞き流せる内容ではなかった。スターレイクのレファンスは、レティシアにとって大切な友達であるのだ。決して汚されたくない想いでのある場所なのだ。
「スターレイクの虐殺の事か」
レティシアの問いに答えたのは、カミュだった。
「スターレイクの虐殺……わたくしは騙されていた……?」」
少女は表情を硬くして言葉の主の瞳を覗きこみ、言葉を続ける。曇っている瞳は無理矢理拭い、視界を整える。虐殺があったという話は義母から聞かされていた。だがそれは賊の手による事件であったという内容だ。
「フィアナ ノ チハ タチキル」
カタリーナはそう言って、光の剣を掲げて地を蹴る。
ガスッ
が、その間合いを見計らっていたカミュは、光の剣の輝きを盾にして、手にしていたナイフを投げる。正面の光が屈折する死角から飛び込んでくるナイフ、それを気に留めるわけでもなく、カタリーナは胸でそれを受ける。
仕掛けのあるナイフは、そこで炸裂し、結果、宙に血が舞うが、カタリーナは表情を崩す事もなく、剣を振り上げる。しかし、その動作は大した速度ではなかった。回避できるとカミュは予測して、レティシアを抱えたまま横に飛びのくべく、少女の体を抱えようとする。
が、レティシアは身を翻して、カミュの腕の中からすり抜けるように脱出した。
「……忘れてたわ。カミュが憎いとか嫌いとか言う前に、一番殺したい女がいたのだったっ!」
アンチ・レティシア。最後の力を振り絞って、彼女は姿を現した。瞳は枯れていて、体の負担は限界を超えている。それでもこのカタリーナだけは放っておく事はできなかった。遠い大地でレファンスが奪われ、目の前で、父を奪われようとしているという状況は、蒼い目のレティシアではどうする事もできない、だから彼女が出る際に、自身の抵抗はなかった
対象が肉親であったとしても、アンチ・レティシアは、自らが白き詩の祈りと呼んだ、赤い光を集約させて、剣にする。
「レティシアッ!」
それを目にしたカタリーナは、地に落ちそうな声に稲妻を走らせて、目を見開く。レティシアは、カミュが自分の肩に掛けた手を体を横に傾ける事で解いて、カタリーナの一撃を紅い剣で払う。
「どんなに良い子にしても、あなたは、レティシアを苛め続けてくれたわね。これは、お返し」
体の痛みが心臓を抉ったとしても、母の祈りに包まれた世界にあっても、レティシアは振り上げた剣を義母の体に叩きつける――。
カミュは、理解した。――アンチ・レティシア。彼女は、レティシアを否定するモノではない。
蒼い目のレティシアが否定した、レティシアの想いの結晶なのだ。――だから、彼女は、心を痛める事もなく、肉親の体を傷つける事ができたのである。
――――ブルーナイトを2種類の赤が染め上げた
「棺桶の女王」
レティシアの作り出した赤い光は、すでにその手の内から消え去っていた。剣で肩口を斬りつけられた少女の義母は、光と共にその意識を閉ざした娘に無機質な視線を送っていた。
「オヤコソロッテ ワタシヲ イラダタセル」
女王の傷口から赤い血が流れつづける事はなかった。次第に剣の通った跡を体の中から沸いた黒い泡が覆い、外部の空気から隔離していく。カタリーナは、数歩後ろに後退すると、視線をレティシアからフィードの方へ向ける。
「ドコヘ イッテモ カナラズムカエニマイリマス」
今は退く、と、カタリーナは地を這うような声で言う。――フィードの悲しげな顔がそこにあったから。彼女の願いは、最愛の人を苦しませることではないのだ。
カタリーナは、蒼い色のした星を怨めしげに睨み、城門が作り出す闇の中に、その身を溶け込ませる。あまりにも、唐突にその気配は消え去った。
「俺は……お前にどんな事をしてやれた……?」
気配が消えた後には、段々と輝きを失い始めた星と、意識を失っているレティシア、息を荒げているカミュが、フィードの側にあった。焦燥感のみが、そこに残っていた。フィードは、やりきれない思いを振り切ろうと蒼い剣を地面に突き刺す、という動作を起こしたのだが、剣を振り上げた時点で、とっさにそれを止める。理由は明瞭ではない、だがこの輝きを地面に叩きつけるという事が、罪であると思えた。フィードは、カタリーナが消えた闇から踵を返して、傷ついた娘の元へと足を向ける。まだこの蒼い夜に、道化や女王のキャリアとなった者達がいる、という事も十分考えられた。
だが、フィードは娘を連れて、生き延びようと思った。夜が明けるまで時間がないとしても、フィアナが作り出した蒼い夜は、彼等を守ろうと働きかけているのだ。
――――蒼い星の海は西の方向へ広がっていた。
「こんのぉ〜〜〜っ」
北の大陸の正当なる女王が繰り出す拳は、彼女の前に立ちはだかる石壁をこっぱ微塵に破壊した。
「行くのよっ 早くっ」
「どこの世界に姫様に殿を任せる騎士がいるんですっ」
赤い光に包まれた都市は、長い夜を終え新しい朝を迎えようとしていた。狭い路地に誘い込まれた王女と、その騎士達は、自分達が取り囲まれているようである現状からの逃亡を続けていたのだ。
だが、セシリア王女に追従する騎士達の数は、次第に減っていっていた。彼女は、土地感もなく、街の中を闇雲に逃げ回っているだけなのである。
「最初から完全に手のうち読まれてたみたいじゃんっ。そうでしょ?」
長い栗毛を汗でぼさぼさにした、王女の面持ちを感じさせないセシリアは、声を荒げて、片時も自分の側から離れようとしない騎士に叫ぶ。
「そうですね、上手く誘導されてる感じもします」
もう逃げ回って数時間になる。アルスには、泳がされているように感じられた。何人かの騎士の死は、セシリアに見せないようにしていた。はぐれたと言えば、それ以上問い詰める程の余裕はセシリアにはないと思えたのだ。
「アルスッ、どうすれば良いの?」
もう何十回と聞いた言葉だった。アルスは、敵から奪い取った鉄製の槍に目をやってため息を吐く。こういう事態に陥るなら、用意するべき武装があった。大量破壊兵器というモノも、姫を守る為にならば、大義名分を盾に使うこともできたのだ。
「ルフェンテのパーツは僅か1つ、僕はヒートナイフしか持っていない……甘かった」
アルスは、独り言を言うと、セシリアが破壊した暑さ数十センチの石壁の向こう、やや拓けた部屋の向こうに、ガラスが張り巡らされている異様な空間が存在しているのを見る。この作りは知っている、今の世に生きる人が作り出せるものではない。騎士は、この街の存在には――――委員会が絡んでいるのだとそこで知る。
「姫様、退き返します」
アルスは、冷や汗を背に感じて、主の汗まみれの柔らかな手を握る。戦士のモノではない、石壁をパンチで砕いたとは思えない少女の手だった。だから、こういう状況にあっても、セシリアを守らなければならないと思う。
「あんたらしくもねぇ、アルス」
ガラスに囲まれた空間に、人の姿はなかった、だが突然にアルスに向けられた声の主は現れた。気配そのものは、そこにあり、アルスはこういう手口なのだろうと、ある程度は予測していた。状況は良くなかった、だが、さして驚いた素振りも見せずに、自分の背にセシリアをやって、声の聞こえた先に視線を移す。
「ルードさん、委員会でバイトしてたんですか?」
アルスは、にっこりと微笑んで声とその発生源の姿を一致させる。ルードとアルスに呼ばれたのは、クリムゾンに向かう前にユーシア軍が遭遇した族の主。すんなりと降伏してくれた、同じ教会出身の人間、アルスにとっては身内に近い存在になる。
「……ま、そういうこった」
「あなたは、クリムゾンから捨てられた人を保護してくれていたんじゃないんですか? 立場、おかしいでしょ」
「その通りさ、だが、あんたらに降参してからちいっと状況が変わってね。アジトに残してきた妻や仲間の連中の妻子を人質にとられちゃあ、俺達は戦うしかないだろ?」
「……タイミング良すぎですね。クリムゾンの人は、ふぬけた旧制の官僚さんばかりかと思ったら……きっちり教会の子を味方につけて見せる、と」
アルスは本心を言った。だから、丸腰に近い形で街に潜入したのだ。
「黒幕は?」
「教会の子が、個人単位で委員会の構成員を知ってるのかい? 答えはノーだろ、名前はコードネームに過ぎないはずだ。名前と人物の照合はできねぇ」
ルードもまた教会で育った人間なのだ。アルスと知識の領域の多くを共有していると言えた。
「そうでしょうが。見事にハメられたんで、悔しくて」
アルスは笑って見せた。時間稼ぎの為の会話をつなぐ為に。背中の狭い路地と袋小路になっている住宅の密集した場所から、次々と騎士達がこの空間に炙り出されてくる。もう後退は不可能であると思えた。
「抜けよ、その為にわざわざ、こんな空間を作り出したんだ」
ルードは、アルスに燭台のようなモノを向けて、この腰にある鞘に目をやって言う。
「残念、空っぽです」
アルスは言って、鞘を地面に投げ捨てる、次いで響いた軽い音は、鞘が騎士の言うとおり空である事を証明した。
「な……」
「検討違いもいいトコです」
アルスは冗談じみた言葉に告げて、肩を竦める。
「ヴァルテックを持ってこない……わけはねえよな」
ヴァルテックとは、アルスの腰にある筈の剣の名称。常に帯刀しているそれを持っていないというのは、ルードに警戒心を保持させた。ルードは、燭台の一部、突起のような場所を親指で擦る。
ブゥゥン
朝の光ではない、ルードの手元の燭台は、光の刀身を生み出して、夜の闇を裂く。
「ミラーの用意、ご苦労様でした」
「どうせ何か企んでやがるんだろうが、俺の目的はルフェンテの奪取だ、やらせてもらうぜ。悪く思うな姫さんっ!」
静かにルードは、輝く刀身を構える。それに応じて、アルスは、手にある鉄製の槍に力を込める。対峙した教会の子が二人、ほぼ同時に地面を蹴ると、鉄が発する熱が周囲の空気に混ざる。獲物同士が触れ合った結果、アルスの持つ槍の矛先が蒸発したのだ。――得体の知れない光に触れれば鉄の刃であっても、瞬時に蒸発を起こすという事。追従してきた騎士達はそれに目を剥く。
だが、アルスの方は自らの獲物が焼かれても微笑みを閉ざさなかった。
「さあ、どうするんだい?」
ルードは、アルスの反応を見る。
「どうしたら良いでしょう?」
冗談のような会話をアルスは続ける。
「……」
「僕を止めなければ、姫様には指一本触れられませんよ?」
ルードは、必死にアルスの次の手を考える。終わりの3日間の後に設立された、シベリアの地下に広がる教会。そこで育てられた子供達の中で、アルスは一番神父に目を掛けられていた。特別な子なのだ。だから、ルードは、アルスが次の手を持っているのだろうと思う。獲物が鉄製の武器、それもシティの兵隊から奪ったものであるようなので、それが尚に誘われているように感じられたのだ。
ルードは、舌打ちして、ゆっくりと足を進めてくるアルスとの間を取る。額に冷たい汗があった。アルスは微笑んでいる。だが、この微笑が凍り付いて、瞳に雷撃が降臨する時に、この少年は必殺の手を使う。少なくとも、同じ場所で生きてきたルードには、それを知っていた。
この袋小路の周りは、クリムゾンシティの兵隊が取り囲んでいる筈だ。ルードには、光の剣もあった。圧倒的に有利な状況であったが、彼は喉を鳴らして、アルスを見る。
――――風の音だけに支配された空間がそこに存在するようになっていた。
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