場が静まり返った瞬間に鼓動が弾けた。
姫の騎士は、余裕をはらんだ笑みのまま硬直し、それを迎える教会の子は、周囲の空気の振動に胸を震わせる。
意外にも、その空間の姿を変えたのは、セシリア=ユーシア、騎士が守るべき姫であった。ボロボロになった服装はすでに王女のそれではなかったし、その風貌に王族たる気品が満ちているわけでもなかった。だが、目の前で鉄の槍が蒸発する様を見ても、どこで手に入れたのか背中から取り出したフライパンを掲げて、果敢に異質な光に突進する姿は、村娘の行動を逸脱していた。
「ぜぇぇ〜んぶ分かったわ! 一番悪いのはアンタねっ」
セシリア得意の笑みではない、追い詰められて自分の騎士になるはずだった人間を多く失った憤りがその表情にあった。
「あ”」
アルスがセシリアに手を掛けようとする前に、彼女はルードの間合いに飛び込んでいた。――アルスにも、速い、と感じられる動きだ。
「馬鹿かっ」
ルードは、丸腰と言ってもいいセシリアにそう告げて、光の剣でフライパンの一撃を受けようとする。そのアクションでフライパンは跡形も無くなるのだと理解して。
――が。瞬間、朝日と見紛うばかりの閃光が閉ざされた狭い広場に駆ける。光は、壁一面に張られたガラスに反射して、場にいる人間すべての視界を奪った。セシリアの周りを守るように飛び回っていた宝玉が放った輝きだった。それは、セシリアの意思を汲んで、的確なタイミングで発動されていた。
バコンッ
セシリアの手元のフライパンがルードの顔形になった音。次いで太陽のように輝く宝玉、ルフェンテに従い宙をフワフワと浮いていたモノが、よろめくルードの鳩尾に飛び込む。
「ぐ……ぐえっ」
ルードがあげたのは、ガマ蛙の合唱のような声。一度は、鳩尾を走る痛み、二度目はセシリアのアクションが要因となっていた。
「ふんだっ、思い知った?」
視界を奪った光の凄まじさは、目に激痛を走らせる程のモノで、この時にセシリアが倒れているルードの腹の上に足を乗せて勝ち誇っているという姿を見たものは、幸い、存在しなかった。
「ひ、姫様、ルードさんは脅されて……」
逸早く視界を取り戻したアルスは、頭を数度横に振って、目を擦りながら姫に苦言を吐く。
「分かってるわ、だからフライパンなの。……ほら、鼻血が出てるだけで命には別状ないわよ?」
セシリアは目を丁寧に据わらせて、しゃあしゃあと言う。
「ど、どうしたんです……そのフライパン?」
アルスは、ルードに根拠のない余裕を見せることで、手の内に武器が何もなくても、硬直状態を作り出すことには成功した。だが、それを打開する手は思い当たらず、最悪、体術で彼を無力化させなければ、と考えていた矢先に、守るべき王女が状況を切り抜けて見せた事に、多少肩透かしを食らっていた。
「拾ったの、黙ってもらうの、まずかったかしら?」
「い、いえ……」
アルスの苦笑は、そこで凍りついた。鏡で覆われた世界、四方にカガミが張り巡らされた空間に、死角などは存在しないのだと理解していた。だが、この空間にはもう一つの殺気が潜んでいた。それを感じとって、目を見開いた瞬間、視界の中にある鏡に光が共鳴する。先ほど、ルフェンテの宝玉が発したモノではない。
「まったくっ」
アルスは、とっさにセシリアを抱えて地面に転がる。
背中が焼かれる感覚、熱さではない、鈍い感覚がそこを支配する。
「なに!? え……」
突然押し倒されて、軽いめまいを覚えたセシリア。彼女はアルスの下で、自分に従いついて来た騎士の姿を見て、小さな悲鳴をあげる。――人形。そう、騎士達が熱線に焼かれていく様は、まるで人が人形であるかのように簡単に燃えていく光景であった。ある者は光の直撃を受け炎上し、迫ってくる光を小さな木製の盾で受けようとした者も同じ運命を辿った。傷を負っていない騎士の幾人かは、光をとっさにかわすこともしたが、周囲に張り巡らされたミラーは、光を拡散させて、熱線を広場大部分に反射させる。
光が場から消え去った後にセシリの胸にズシリと、痛みが宿る。自分が死ぬ恐怖感、というよりは、具体的な根拠を持った苦しみがそれをもたらした。知った顔はそこになかった、つい先程知り合った騎士達なのだ。が、彼等を死に追いやったのは自分のせいに他ならないのだと、彼女は思った。
街の中で繰り広げた乱闘、闇の中から飛んでくる矢によって倒れた騎士達の姿は、アルスがセシリアに見せないようにしていたし、彼女自身、闇の中でそれを目にする事はできなかった。戦争をしに来た以上、味方がやられる事があってもドライに流さなければならないという事は、王都で学んでいた。
だが断末魔を発する間もなく、炎に包まれた人間の姿、というのは、彼女の心を深くえぐった。人の死をこうも間近で見る事自体、セシリアには初めての事だ。
熊は拳で倒せる、木なら蹴り飛ばせば倒れる、そして異質な武器をもった戦士であっても彼女はフライパンでそれを倒す事を選んできた。セシリにとっての戦争は、なりゆきで始めたモノであったが、人の焼ける匂いを鼻に感じる距離に居ては、セシリである事を捨てて、セシリアになりきらなければならないのだと、知らざるを得なかった。
「起き上がって、戦わないとここで死んじゃう……あ、あたしっ」
悲鳴に近い声をあげるセシリアは、アルスを抱えて起き上がり、周囲を見渡す。が、地面に付着した焦げあと以外に、鏡の世界の中に目立つものは存在しない。少女には、今の光を使った対象を捕らえることができない。――背筋に冷たいモノが過る。近くにいる筈の見えない敵に狙われているという状況。覚えている限り、こういう焦りを感じた事は、人生の中で一度もなかった。
「光の屈折を利用したのか……」
ルフェンテの赤い宝玉が、逸早く対処するべき敵の存在を明らかにしてくれた。アルスが、地面を蹴ると同時に、赤い宝玉は何も存在しない空間に体当たりをかける。
次いでアルスが、セシリアの手から凹んだフライパンを取って、宝玉の通った道筋を追うように投げる。
宝玉とフライパンは、何も無いはずの空間で、何かに弾き飛ばされた。
「ビンゴ……委員会が動いてるのは確かなようですね」
「……」
空間が一度歪んだ後、そこに、白いコートに身を包んだ長身の男が現れた。現れたという表現よりも、浮き出た、という感じが近いかもしれない。髪の毛や眼球さえも同じように、白色で、表情は完全な無色。
生命体が持ちいるインパクトの象徴たる生が希薄なようにも見える。少なくとも、殺気だけを前面に押し出したその男をセシリアは素直に嫌悪感を感じた。
「狙いは、あたしのルフェンテなんでしょっ!? どうして関係のない人まで殺したのっ!?」
セシリアは、声を酷く荒ませて言葉を告げる。眉間によったしわ、憎悪に歪む頬、今までの人生で見せた事がないような少女の表情がそこにあった。
「……」
それに応じる言葉はなかった。ただその男は、手にあるスコップのような細長い漆黒の金属らしいモノを真っ直ぐにセシリアへ向ける。
「っと」
アルスは、静かに姫の前に出て、先程熱線を放った武器であるらしいモノからセシリアを庇う。
「アルスッ!?」
セシリアはその時に、焦げ付いたアルスの背中を見つけて、大きな悲鳴をあげる。先程、自分を抱えて床に倒れこんだ時に受けた傷だという事をすぐに悟った。
「おどろいた、『人型』のスタッフが完成していたのか」
アルスは、セシリアの声を聞き流して、白い瞳を自らの相貌に浮かべると、口元を歪める。自虐的な笑みだった。無感情な対峙する敵の気圧が、丸腰のアルスを追い詰めていたのだ。
『これじゃあ、どうしようもない……』
「……あたしを置いて、逃げてもいいのよ」
自分一人ならばなんとかなるだろうと、アルスが思った瞬間に、セシリアは小さく耳打ちをしてきた。アルスは、はっとして首を横に振る。
「心配は要りません」
騎士は、姫を背中に置いたまま、1メートル程ある黒い筒の矛先から体を逸らせる。が、機械的なまで正確に、その筒はターゲットを追尾する為に、静かに空気を揺らす。
シュッ
風が駆ける音。――それよりも遥かに速い瞬間に、スコップのような形をした獲物は、空を焼きつく光を発生させていた。それは、騎士の頬の数センチ横を走り、彼の頬に火傷を作るという形で、世界に存在した証を刻む。
「……く」
アルスの笑みが薄笑いに変わる。頼りにしていた騎士の焦りの色は、守られている姫にも容易に感じる事ができた。
「アルス、もういいわ……。あんたまで死なせはしないから……」
セシリアは、アルスの肩を後ろから抱きしめると、彼の耳の間近で小さく唇を震わせる。
アルスが、それに反応して、彼女を静止しようとした時には、すでにその姿は、彼の視界の前に来ていた。騎士が声をあげる前に夜の闇を閃光が裂く。再び姿を現した熱線は、的確に王女の心臓を狙い走り始めた。
――――少女は故郷から遠く離れた街の中に居た。
第23話「母のルフェンテ」
闇を染める七色の輝きは、王女の胸元で無数の光の筋となることで拡散した。厳密に言うなら、幾つかに分かれて捻じ曲げられた、と言っていい。いつの間にか、セシリアの懐に潜り込んでいたルフェンテの宝玉の一つが、真っ向から迫ってきた光に対して行使した抵抗だった。
「っぅ」
しかし、拡散した光の幾つかが、セシリアの両腕に小さな痛みを齎す。恐怖と怒りが色濃く彼女の心を染める。
「やったわねっ」
光を放った男の懐に飛び込んだ王女は、目を細めて拳を白い瞳めがけて繰り出す。白いコートを纏った男は、無機質にセシリアの指輪を見つめつづけいて、その一撃に反応しようとしない。
ガスッ
セシリアの拳が、男の頬にめり込む――歯が砕ける感触が、拳を通して王女に伝わってくる。
だが、男は自発的には表情を歪めず、数歩足を後退させるだけで、何の感情も王女に見せようとしない。だが、次のアクションは明確だった。白い目の男は、左にある光を発生させた武器を再度構える。
が、間髪入れず、セシリアはその武器を蹴り上げる。
しかし、男の手は多少衝撃で震えただけで、ビクともしない。
「っ」
すぐさま、その銃口は、セシリアの額に突きつけられる。
セシリアの瞳に、無機質な男の白い目が、ギョロと動き、瞳の中から眼球が無くなる様が映る。声は出せなかった、男が引き金を引けば、光を発生させるのだと知っても、それを止める時も手段も、セシリアは持っていなかった。
殺されるのだと分かった時、少女の胸に一つの感情が生まれた。
――自分が殺される事への怒りだった。目の前の男を殺したい、純粋にそう思った。初めての感情、レファンスをぶん殴るときの優越感や、暗殺者に唇を奪われた時の焦燥感とも違う――。
初めての感情を胸に、セシリアの意識はフラッシュバックする。
『セシリちゃんは、優しい女の子になってね?』
誰かの声。懐かしい声。
『ママ大好き……』
あたしの声だ……。柔らかいぬくもり。良い匂いがする……。そう、あたし、忘れてた……。ママの声だ。
『セシリの事をお願いします……』
ママ泣いてるの。苛められたの?平気よ、あたし強い女の子になる。ママは優しいけど、誰かが守ってあげなくちゃ、その優しさは死んでしまうもの。
キシキシッ
脳裏が軋む音。頭の中をかき回されてる感じ。閉じ込めた記憶が無理矢理、こじ開けられている。
『心配いらないわ。ママを苛める奴は、ぜぇぇ〜んぶ、ぶっとばしてやるんだからっ』
どうして、アルスがママを苛めてるの?ざけんじゃないわよ、ママから離れなさい。
『……あなたは、幸せになってね、セシリ』
ぬくもりが消えていくこの感じ……ママが冷たくなっていく……。お別れの言葉。さようならの言葉。ママのさよならの言葉。
胸に刻まれていた言葉……。忘れていた。ママの事、忘れていたかったのに、どうして思い出させるの?
あたしは、ママとは違う、優しい女の子になんてならないわ、あたしに逆らう奴は全部、ぶっとばすの。
そうすれば泣かされずに、泣かずに済むじゃない。あたしは誰からも守ってもらおうなんて思わない、叔父様にもルディアにも、アルスにも、ましてや、れふぁんすの馬鹿なんかにも、絶対っ!
『ルフェンテは貴方を守ってくれます、セシリ』
そう、あたしが熊を一撃でのせたのも、大木を回し蹴りで叩き折れるのも、レファンスを子分にできたのもルフェンテのおかげ。いえ……レファンスは関係ないわね。とにかく、与えられた道具は最大限に利用させてもらうわ。
この力があれば、大切な人を守れるもの。もうママを悲しませずに済むもの。……あたしは絶対に、負けない。クリムゾンに帰って来たの、ママの所に帰ってきたんだもの。
『……おかえりなさい、セシリ』
――――セシリアとセシリ。故郷から遠く離れた、彼女が生まれた街で再び出会うことが出来た。
少女が見た次の光景は、自らの拳が白いコートを着た男の顔を半壊させている様だった。少女の拳は、男の頬に食い込んでいるのだが、頬を歪めるなどというレベルではなく、顔の半分が完全に崩壊するレベルに至っている。
男は先程と同じ、表情に色を灯すことはなかったが、ダラダラと口から血反吐を零していては、先と同様の余裕のリアクションというようには見えなかった。 周囲は闇に閉ざされた世界であったが、セシリの目の前に映っている空間は妙な色に染まっている、赤、青、白。この三色の光が支配しているのだ。
「スターブルー……やはり、クリムゾンにあったのか」
視界の背後から聞こえてくる声。アルスのものだと分かって、セシリは聞き流す。
「あたし……さっき撃たれたのに、どうして?」
セシリが小さく零した問いには、アルスでなく、直接脳裏に呼びかけてくる何かの声が応えた。それは、明確な言葉ではなかった。だが、母の意思を携えた青と白の宝玉の声が、彼女を守ってくれたのだと、セシリに知らせた。
その意識に語り掛けてきた言葉の内容は、次の瞬間に映像という形でセシリの前に映される。すなわち、崩れようとしている顔を持つ男が、再び光を発するライフルの引き金を引いたのだ。
が、それに反応して、3つの宝玉が三角形の『点』を形成する事で、互いを光で結び、そこにトライアングルの盾を発生させる。セシリの前に姿を現した、3色の輝く盾は、銃口から導かれた光をクッションのように歪んでみせることで、吸収する。
「そっか……ママを守ってくれていた子達なんだ」
セシリには、その光が暖かいもので、母のぬくもりを自分に運んできたのだと、理解できた。特に蒼い宝玉の光は、母が自分に望んだ優しさの意味を少女に感じさせていた。
少女は、再び地面を蹴って、目の前で再び銃口に光を宿している敵に迫る。――その胸から殺意は消えていた。
ガッ
セシリの手刀がライフルの横腹と接触し、火花を散らす音。
主君を追って、攻撃を始めようとしていたアルスは、その音の意味を目にして固まった。おそらく鋼か、より硬度のある物質で精製されたであろうライフルが屈曲したのだ。それも剣に亀裂が入ったような不確かな歪みではない。まるでマカロニをスプーンで突っついたかのように、びよーんと曲がっている。
バコンッ
次に発せられた音。本能的にアルスは、目を背けた。
「さて、落とし前はつけてもらうわよ」
セシリの回転蹴りで、顔が全壊した白い目を充血させる男。自らの意思に反して、彼の膝は震え、立ちつづけることができなくなり、地面に片膝をつける。その表情は、すでに顔全体が腫れ上がっているために、見て取ることは出来ないが、おそらく意図的に表情は崩していないのだろう。だが、前歯の数本は折れ、鼻から血を流している様は、ギャグ以外の何物でもなかった。
セシリは、仁王立ちで男を見下して、薄笑いを浮かべる。格下の男を見る時に、良く使っていた目だ。そんな少女の周りを3色の宝石は、楽しげにクルクルと飛び回っている。危険は排除された事を宝石は感じ取っていたのだ。
「おしりぺんぺんじゃ済まないんだから」
――――セシリの不適な笑いが鏡で覆われた世界を染めた
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