
北の大陸の夜空には、星々を覆い隠す重い雲が立ち込めていた。
春先の日にあってもすらも、夜の道行く人々の格好は、防寒を強めた厚い服装となっている。
「お前さんもセシリア姫様の軍に入りたいわけか」
「ああ」
「この街の名家のお屋敷に姫様はおられるが、そこへ行けば兵隊なる方法くらいは聞けるんじゃねえのか? 道くらいは教えてやるぜ」
「……そうか」
暗く濁った川沿いの乱雑な人ごみに塗れた道の上では、酒の入った頬を朱に染めている中年の男と、短い黒い髪をもった端正な顔立ちをした少年が言葉を交わしていた。
シャルドという街は、ユーシア王国の王都となってわずか数日間であるが、近隣はもちろん遠方からも、この少年のような兵隊志願の者や、大工、建築家、医者など様々な職種の人間が集まってくるようになっていた。
故に、この街に住む男にとってみれば、王族と呼ばれる人種となったセシリアの居る屋敷への道は、暗がりにあっても簡単に説明できるようになっていた。
男は、町の中央部――丘として居住区のどこからでも明確に分かるそこへの道を、口頭で簡単に少年に説明して見せる。
唐突に発せられた酔いの色を含んだ言葉を少年は黙って最後まで聞くと、その男に礼のつもりなのか、無言で硬貨を一枚手渡して、示された道へ足を向ける。
「おいおい、こんな時間にお屋敷に行くのかい? 今日は宿を取ったほうが良いぜ」
男は少年にそう声をかけて、その足取りを追おうとした時に、手渡されたコインが銀製である事に気づき、そこで押し黙る。
道を聞いた程度のことで、銀貨を他人に与えられる様な少年だとしたら、このような夜更けにあっても、姫の城に赴く理由があるのだろうと男は思ったのだ。
「夜の方が都合がいい」
一方の少年は男の方を振りかえるわけでもなく、視界が捕らえている明かりを灯すことのない闇に、ただ言葉を向ける。
カツン
そういう無機質な音が広い空間を駆ける。
嫌な予感――。違う、王女は違和感に捕らわれて、小さなランプの光に揺られる自らの部屋にベットから身を起こした。
『……ルディアなの?』
セシリは、昨日の朝の出来事を思い出すと、とっさに身構えて周囲に視線を配る。
しかし、その部屋は静寂に支配されたままであり、セシリは自分の感じた違和感の正体をそこに見つけることはできない。
「2時……か」
それは、ふいに言葉に出た声。
まだ意識が鮮明な色を灯さないままに、離れ離れになった家族を思い出して、音になったそれ。
暗い部屋で刻をうつ時計は、自分の育った小さな冬の山小屋にあったそれと変わらず、12の数字を規則正しく照らしていた。
「レファンスの奴……どうしてるのかな」
王女が耳を研ぎ澄ますと、時計が時間を奏でるリズムが頭に流れ込んでくる。
セシリはその音にわずかに身を震わせて、毛布と一緒に膝を抱くと、頬をそこに埋めてそう一言。
一人でこうして夜の足音に包まれる感覚――。
それは、北極圏の家で味わったそれとは全く違うものであった。
周囲には自分を姫と呼び、良くしてくれる者は居る。
そして、立派な屋敷と、接していて恥ずかしくなるくらいに優しい叔父……唯一の肉親であると聞かされた人が、ここには居る。
田舎の世界では、夢であった姫としての待遇。煌びやかで豊かな生活。
しかし、家族と友人と故郷を捨ててまで手に入れるには、あまりにも価値がないものだとセシリは感じていた。
血の繋がっていないと聞かされた祖父や祖母が居なくても、寒くて寂しい夜には、弟分の少年が自分のベットに潜ってきた。
そういう行為を馬鹿にしていた少女であったが、こうして夜な夜な恐怖や違和感に襲われて目を覚ます自分を見つけることで、少年はそういうのが分かっていて甘えて来たのだろうかと考えてもみるようになった。
「もう……帰りたいな」
ベットの天蓋を見上げて、窓の外に星が輝いていないことに落胆すると、大きなため息をついて郷里の空を思い出して、セシリは言う。
今の願いは、単純なそれだけあった。
だが、そういう事を言って辞められるものではないのが王女でありアイドルというものだという事を、セシリはこの屋敷に来て最初の勉強の時間に強い口調で教えられていた。
人前では、それに怯む素振りなどは全く見せなかったが、一人になるとどうしても弱気になる。ここの物に比べれば、遥かに粗末な実家のベットであっても、今はそこで眠りたいと思う。それが叶えられないのならば、早く朝が来て誰かあたしを強気にさせて――などと思ってしまう。
人は自分の事を強いと思っているはずだし、自分で自分の事を強い、弱みを見せるのは恥ずかしい事だと知っているからセシリはそう願うのだ。
カツッ
毛布を頭から被って、ベットの上でもぞもぞと寝返りをうっているセシリに、ふいに先ほどの違和感が蘇る。
それを運んできたのは、わずかに聞こえた小さな音。
セシリは、それに気づいて毛布をばっと跳ね除けると、再びベットの上に身を起こして部屋の中に注意を配る。
『――寒気?』
無音の空間にあって、鳥肌がたっている事に王女は気づく。
「……だ、誰なの?」
ランプの明かりに揺られている部屋の壁。
そこに自分以外の影が映っている事に、セシリは驚きの声をあげる。
王女の為の部屋であっても、大きなベットに小さな円卓と椅子、本棚が存在するだけで人が潜んでいられるようなスペースはこの部屋には存在しなかった。
「セシリア=ユーシアだな」
そのセシリの声に応える小さい男の声がベットの上に返ってくる。
「……レファンス?」
その声の色……ぬくもりというのか個性のようなものが、王女にその名をあげさせた。
「お前を殺しにきた」
続けられる声の主の影は、正体を明かさないままにそう言う。
「レファンスが、あたしを殺しにきた? なんてっ!」
先ほど頭の中に浮かんだ少年の声が、それと似て非なるものだと判断すると、セシリはそう言ってベットから飛び降りると身構える。
――暗殺者。
そういう人間の存在をセシリが知ったのは、今日、厳密に言うと昨日の勉強の時間であった。そして、それに遭遇した場合の対処方法も。
『衛兵が居てくれるはずよね』
この状況を判断しセシリは、とっさにそう思うと、すぐに大声で助けを呼ぼうと口元を開く。
「んっ」
セシリの声にならない声。
何時の間にか、目の前に迫っていたその影の柔らかい感覚がセシリの口元を覆う。次いで、物怖じした瞬間を見逃してもらえず足を払われる。それにより王女を襲ったのは、背中に伝わってくるベットへと落ちる感覚。
『こ、こいつっ』
唇を唇で塞がれて、ベットの上に羽交い締めにされたセシリは、わずかに揺れる明かりにその顔を写した暗殺者を見て、胸の中で叫ぶ。
声だけではない、その少年と言える年の男は、髪や眸の色こそ違うが、顔つきなどは確かにレファンスと似ていた。
セシリは、ベットの上に押し倒されるような格好に恐怖し、必死に押さえつけられた両手を外そうと試みる。
レファンスはもちろん、屈強な街の男であろうと、熊であってさえ、セシリの力に対抗する事などはできなかった。自分の力の源はルフェンテと呼ばれる母の形見の指輪から来るものだと分かっても、その自信は失われることなく、ファーストキスを奪ったこの暗殺者もその力の前に屈するのだとセシリは予測した。
――だが。
渾身の力を込めた両腕は、微動だにする事がない。ただ暗殺者の成すがままにされている。
『どうしてっ? どうしてよっ? レファンスがあたしに仕返しに来たって言うの?』
暗殺者は目を閉じて自分を押さえつけているが故に、セシリはその眸に語り掛ける事もできず、目を見開いて胸の中でそう叫ぶ。
しかしその刹那、セシリに覆い被さっていた暗殺者は、王女の左腕を自由にすると自分の右手に銀色に輝く短剣を持たせる。
「……ほ、本気なの?」
自由になった左手と、ほとんど動かすスペースのない華奢な両足をばたつかせて、気丈な表情を崩さずに抵抗するセシリだが、その銀色の刃物を目にすると、ごくりと喉から音を立ててそう震えた声をあげる。
こいつはキスをしにきたのではなく、人殺しをしに来たのだという確かな認識が王女に絶望感を与える。
恐怖に歪んだセシリの顔を、唇を解放した暗殺者の少年は無言でしばらくの間見つめる。
首筋に冷たい何かが当てられている事を感じたセシリは、その唇を解放されたわずかな時間を延命への希望に繋げる事ができないでいた。
眸に映っている男は、自分の首筋にあてているであろう冷たい短剣をひくだけで、その命を奪うことが出来る。そう考えると、声を出せば一瞬にして唇ばかりか命も奪われるということが、半ば錯乱状態であった王女にも想像できたのだ。
「怖いのか? セシリア」
暗殺者の束縛から逃れることも出来ず、その声に小さく首を縦に振ることでしか、答える事のできないセシリ――。
男とは、こんなに簡単に自分を屈服させる事ができる生き物なのかと、セシリは唇を噛んでその眸に決して人前では見せたことのない涙を浮かべる。
恐怖で滲んだものではない、それは悔し涙といえる種類のものだ。
「心配ない。目を閉じていればすぐ終わる。苦しませたりはしない」
唐突に暗殺者が音にしたその言葉。それは、やはりセシリにとって、どこか懐かしい雰囲気を持っていた。
しかし、苦しませたりしないというのは、嘘だと思った。すでに、プライドを打ち砕かれ、ファーストキスまでも奪われた自分は、十分過ぎるほど苛められているとセシリは感じたのだ。
「あ、あたしはレファンスに殺されるの?」
セシリは必死に唇を動かして、人生で最後の言葉になるかもしれないそれを声にする。目の前の少年が、家族の子に似ている理由、自分を殺しに来た人間ならば、そういう部分にも深いものがあるのではないと思ったから。
「覚えることにさほど意味があるとは思えないが。俺にはカミュという名前がある」
続けられるカミュの言葉の一言一言、それを聞いているセシリは、互いに合わせていてカミュの眸の色が少し最初と変わっていることに気づいた。
『優しい目をしてくれてるのね』
セシリには、自分が震えているから、カミュはこうして優しい目をしてくれている、そんな風にさえ感じる事ができた。
暗殺者は、震えているセシリの頭を無言で撫でると、目を閉じるように促す。すでに王女は、抵抗を諦めたのか、ばたつかせていた足も動かさず、自由になった両腕も、ベットのシーツを掴んだまま動かそうとはしない。
涙を灯した眸を促されるままに、ゆっくりとセシリは閉じる。それが人生を閉じるのと同義だという事も覚悟して。
殺される憎悪……というものは、セシリには感じられなかった。こういう瞳で自分を見てくれる少年が居て、優しくキスをしてくれているから、そう感じられるかもしれないと思う。
「おやすみ、お姫様」
少女の涙を随分前から自由にしている左手で拭ってやると、もう一度カミュは唇を重ねる。殺される間というものの残酷さを知っている暗殺者は、その苦しみから少女を救うためにすぐにでも、右手の銀の短剣をひこうと手に力を込める。
セシリは、再び唇が塞がれた時に、何故か自分を殺そうとする少年の事が分かった気がした。
こうして、必死に知ろうとすれば他人の事であっても、人は理解できるという事をセシリは、嬉しく感じた。笑顔……で。
次の瞬間、首にあてられた短剣に意思が宿った事を感じると、セシリは最後にこう思った。
『もう一度、みんなに会いたいな……』と。
雲に覆われていた深い夜は、金属の擦れる音と共に異質な輝きで彩られていた。
シャルドの街の時計台が、4時へと針を傾げている頃。
耳を裂くような激しい音がその部屋の中で轟いていた。
セシリアと呼ばれる王女の首筋から、赤い脈動が流れ始めたと同時にそれは起こった。
薄暗い部屋の中に生き物のように飛び込んできて、暗殺者を狙い撃ちにするように、その鋭い角を向けてきたのは、うっすらと白く輝く一枚の金属板であった。
「っ」
明確にその板が、自分に敵意をもったような動きをしている事を感じたカミュは、セシリの首に当てた銀の短剣で、とっさにその金属板を弾く。
反射的な速度を考えるならば、カミュがその板の直撃を避けるには、それを躱すか、今のように叩き落とすしかなかったといえる。暗闇にあって、その板は驚異的な鋭さを持っていたのだ。
「フレーム……か」
カミュが弾いたフレームと呼ばれているその板は、セシリとカミュを乗せているベットに力なく落ちる。
だが、布の上に伏したはずの金属の板切れは、番犬のようにカミュの側で凄まじい音をあげる。
衛兵が来る。そう感じたカミュは、セシリアの首を裂くことを急ごうと、再び短剣を首に向ける。
しかし、その手は首筋に当てられる前に止められる。
銀製の短剣は、今フレームを弾いたことで大きな亀裂と刃こぼれを孕んでいたのだ。
「セシリアを護ろうというのか――」
最後に感じられたセシリアの想い。このフレームはその色に呼応して、この場に現れたのだとカミュは予想して、そう言葉を紡ぐ。
「……う……う」
首に痛みが走った時に、意識を失っていたセシリが、耳元の激しい音に反応して意識を取り戻す。
「カミュ……?」
状況が掴めず、まだ自分が生きているかも分からないまま、セシリは目の前に移った知りあったばかりの少年の名を口にする。自分の声を自分で聞けて安堵するという事は、初めてであったセシリ。まだ自分が生きているということは、それで理解する事ができた。
「すまない。覚悟をさせておいて、お前を殺すことはできなそうだ」
カミュは、先ほどまでの優しい声を一変させ、冷たくそう言い放つと、フレームが異様な輝きを放ち始めたのを確認して、組み敷いていた王女を自由にし、その場から数歩窓際へと後退する。
その刹那、先ほどフレームによって半壊させられた王女の部屋のドアが、完全に蹴り破られた。
本来、木の砕かれた音が部屋に響くのであろうが、フレームから発せられた金属の擦れるような音に打ち消されて、ただ無残にドアが打ち倒れる光景のみが、それを正面から垣間見た暗殺者に強調される結果となる。
「貴様はっ? 何をしたっ!! ――姫様!?」
部屋に最初に飛び込んで来たのは、隣に部屋をとっている王女の身辺警護を預かるルディア――黒騎士であった。
激しい金属音に叩き起こされて、剣だけ持って飛び込んで来たその長身の騎士。蒼い色の帽子付きパジャマにスリッパという情けない格好であったが、スリッパを脱ぎ捨てて、裸足になると手に持った鞘から剣を抜き放ち、カミュへと向けて、そう叫ぶ。
「王女を助けたいのなら、抱いて逃げたほうが良い。解凍が始まるようだ」
カミュはその騎士の成りを一瞥すと、窓際の壁に立て掛けてあった自らの長い鞘を手にとって、そうルディアに告げる。
「姫様っ!」
カミュの声を聞いてなのかは分からない。ルディアは、円柱のような輪郭をもつ光を発し、創めているフレームを見て舌打ちすると、ベットの上で放心状態となっている主君を抱きかかえる。
「私のロンバルディアと時と同じだ……。プロフェッサーを呼べっ」
追って駆けこんで来た数名の衛兵に、ルディアはそう叫ぶと、主君の無事を確かめようと、その少女の目に無言で返答を促す。
「あ、あたし、生きてる……わよね?」
首筋に小さな傷を付けられたセシリは、ルディアに抱きかかえられたままで、確かめるようにそう言う。
「貴様……生きてここをでられると思うな」
その傷を確認したルディアは目を見開いて、憎悪のこもった薄笑いを浮かべると、板から球形の物へと変化を始めているフレームの音をものともしない良く通る怒鳴り声で、カミュにそう告げる。
「……セシリア、また会いに来る。続きはその時だ」
数名の侍女に抱きかかえられて、セシリが部屋から連れ出されようとする様を見て、カミュは言う。その顔には、全く感情が浮かんでいなかった。鬼気迫る黒騎士の声なども、全く気にもとめていないような暗殺者の態度。それが、更にルディアの神経を逆撫でした。
そして、暗殺者は青く輝く剣を鞘から引き抜くと、自分が忍び込んできた場所であろう大きな窓をそれで叩き割る。
「……その剣ッ」
逃がすまいと、暗殺者に向かって地を蹴った黒騎士は、カミュの蒼い剣を見て叫ぶ。
『レファンス……。ほんとにレファンスじゃないの』
唇に残る感覚を思い出して、顔を真っ赤に染めているセシリは、侍女の腕の中に顔を埋めながら、幼馴染の剣まで持っているカミュという少年に対して、そういう疑問を再び覚えた。だが、それにカミュは応えようともしない。暗殺者にとって、セシリの疑問は全く理解できないものであったからだ。
「おめおめとっ」
窓の外にカミュが、見を翻す前にルディアは続けざまに気合のこもった声を発して、氷の剣の突きを繰り出す。
「お前に用は無い」
カミュは、その剣の腹を素手で弾くと、結果それで一撃を受け流す。そして、無防備なルディアの鳩尾に開いている方の腕で拳を突き立てる。
「ちっ」
ルディアは、体をひねってカミュの拳をかわそうとする。
――が、わき腹にめり込んだそれは、一瞬ルディアの視界をダークアウトさせるまでの威力を持っていた。
「がっ!?」
唇を噛んで、膝を折る段階で薄れゆく意識に杭を打つルディア。口内には、嫌な血の味が滲む。
「そのまま寝ていろ、まだやるなら次の一撃はお前の首を落とす」
そのルディアを一瞥すると、カミュは夜の闇の中へ身を投げる。
「4階だというのに……正気か――」
セシリの部屋は名家の4階に用意されていた。
故に、そこの窓から身を投げるというのは、自殺行為に等しいとすらルディアには思えた。地上までの距離は、20メートル近くあるはずなのだ。
「……そうか。……何をしている追えっ」
口元を紅く滲ませて膝を追ったまま、はっとした表情を浮かべた黒騎士は、呆然とその様を見ていた衛兵に叫ぶ。あの蒼い剣の力を知っているルディアだからこそ、今の暗殺者は口封じの為に自殺を選んだのではなく、生き延びる為の脱出をしたのだと想像する事ができた。
「セシリア様、御怪我は?」
衛兵達が暗殺者を見失ったという報告から3時間が経とうとしていた。この屋敷は、小高い丘の上に立っており、周囲に逃走する際に邪魔になる要因はない。また城ではないので、城壁で囲まれているというわけでもなく、衛兵の少なさからもカミュの脱出は容易に行えたと言えた。
「あいつは……?」
「心配は要りません、次はこのような事にはならぬように我々も……」
セシリは自室……母が使っていた部屋だと聞かされたそこのベットの上で、朝日の光を体に受けていた。その両手には暖かなスープが入ったコップが握られている。
すでに、解凍という変貌を追えた金属の板は、紅い珠となっていて、プロフェッサーの手により、地下へと運ばれていた。
「あいつ……カミュって言ってた」
セシリは、手に持ったスープをそっと口に運んで、そのままそれを飲まずに顔を真っ赤にする。それはスープの熱さのせいではないのが、ルディアにも分かった。
「は?」
ルディアは王女の前で膝を付いて、怪我の功名とばかりに、気を引くための優しい慰めの言葉の一つでもかけようかと思っていたが、それを見てあからさまに顔を曇らせる。
「今度来たら、今日の”仕返し”をしてやるんだから」
心ここにあらずと言った感じで、セシリがぶつぶつ言葉を続けるのを見ると、黒騎士は舌打ちして立ちあがり、その部屋から足早に出て行く。
『口説かれでもしたのか』
そんな事を思いながら、廊下ですれ違った侍女からセシリの事を尋ねられた騎士は、理解できないよ、と肩を竦める。
「まずは動けないようにボコボコにして、ぎゅ〜と押さえ込んで、それから……」
男とは弱くて情けなくて、自分が面倒を見てやらなければ、何も出来ない生き物だと思っていたセシリにとって、今夜の事は非常に衝撃的な経験であった。
強くてカッコ良くて優しい王子様、かつて少女が笑いながら口にしていた、理想の人の姿。どういう形であれ今夜出会ったカミュは、それに近い少年であるとセシリは思った。不思議と殺されてしまう、という恐怖感を感じなかったのも、その少年の目を見て、優しい目だと感じることができたから、なのだと思う。
次に会ったときは、本当に殺されてしまうのか、そう考えれば、次会った時も、今日のようになんとかなるんじゃないかと、セシリは楽観的な思想を巡らせる事ができた。そして、冷めてきた人肌ほどのぬくもりを灯したスープを唇につけると、また起こったことの一部始終を最初から考えてしまう。
――――王女の手元のスープは一向に減る様子はさそうである。
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