
「フレームの意思のようなものを感じた、セシリアを護ろうと解凍まで始めたのを見れば、どういう王女なのか興味が沸く」
「そうか、あの家の主はアスエル元帥でしたね。だとすればそういう用心棒を飼っていてもおかしくはない」
「怪我の功名というのか、まるで神父にはめられたようだ」
「ああいう神父様でも、カミュの事を良く考えてくれているんですよ。暗殺命令の中止なんて、前代未聞なんですから」
カミュがシャルドに忍び込んでから3日が過ぎていた。
秀麗な顔をした少年が二人、言葉を交わしているのはシャルドの西、数十キロに位置する小さな街の宿屋の一室である。
カミュは、ベットに仰向けになったまま、自分を追って教会の意思を伝えに来た少年の言葉に淡々と応えていた。
カミュとは対照的に、笑顔を絶やさない茶色の目と髪を持つ少年は、狭いその部屋の日差しが振りかかる窓辺の椅子に座り、荷物を整理しながら言葉を紡いでいる。
「で、アルス、次の命令はなんだ?」
ふいにベットから起き上がり、左手で右手を引っ張って背伸びをすると、カミュはそこから降りて、アルスと呼んだ少年の荷物を一瞥して言う。
「だからカミュは自由になったんですよ」
昼下がりの明かりを頬に灯して、大きな荷物の中に両手を突っ込んだまま、視線をそこから動かす事なくアルスは応える。
「なに?」
カミュはそれに耳を疑って、再びアルスに問う。
「今回の王女暗殺命令を最後にカミュは、教会の子ではなくなるという約束でしたよね? 命令は取り消しになりましたけど、カミュが自由になるという誓約は護られます」
「馬鹿な」
「だから言ったじゃないですか。神父様はカミュを特別扱いしているって。だからナンバー1なんて呼び方をしていたんですよ」
そう言って、アルスは荷物から両手を抜くと、封筒ほどの大きさの畳まれている書類をカミュに手渡す。
「名前を好きに名乗る事を認めていただけだ」
カミュはその言葉に口元を歪ませると、不快そうに言う。
暗殺者は、ナンバー1という機械的な呼び方に、少なからず抵抗があった。まして、神父は自分を含めた一部の子供にしかその呼び方を使わなかった。その理由などは知らないが、人間を機械的に呼ぶ理由などは、良いものであるはずはないとカミュには推測できた。
「今回の命令破棄といい。腑に落ちないな」
その書類の中身に目を通す前にカミュは、嫌な予感がした事を素直に意見する。
「ま、何か裏はありそうですよね」
アルスは書類の中身を見ていなかったのか、それともその内容が理解できなかったのか、カミュの言葉を続けるように言う。
「命令ではなく、要望……とある」
「断る権限はあるんじゃないですか」
書類を通したカミュの目がより鋭くなったことを確認すると、アルスは遠慮がちにフォローをする。
『フィリアードの姫を殺せ……か』
「なんて教会なんでしょうね」
カミュの思いを見透かすように、アルスは首を担げて苦笑する。
「アルス、お前に与えられた命令はなんだ? まさか、俺にこれを伝えるために来たのではないだろ?」
「……君の後任ですよ。ただし、僕の仕事はセシリア王女を護る事ですが」
「委員会らしくないな」
知的な笑みに携えられたアルスの言葉に、再びカミュの表情が鋭さを増す。
カミュ達、教会の子と呼ばれる子供達は、暗殺者としての戦闘訓練を施されていた。神父によれば、それは教会の母体となっている委員会と呼ばれる組織の意思だと言う。だとしたら、暗殺者に護衛をやらせるのはおかしいのである。自分達にテーブルマナーすら教えようとはしなかった連中のする事にしては、異様だと思えるのだ。
「だから、色々と裏があるんじゃないかって思うんです」
ため息をつくようにアルスは、カミュの言葉に同意する。
「検討はつくか?」
「あの人は何を考えているのか分かりませんし、教会の子は委員会と接触する機会ってありませんから」
「ヤツらは俺達を利用しても、自分達に近づけないようにしている。何故だ?」
「単に戦争孤児の僕達を人として差別しているのか、そうでないのなら、自分達が暗殺されることを恐れている、のでしょうね」
「……」
カミュは自分の予想範囲の事をアルスが言葉にしたのを黙って聞くと、視線を茶色の瞳から手元の白い書類へと移す――。
「そのくらいは分かる人達ですよね、事実そういう事を神父様が考えていたのなら」
アルスはそれを言い終わると、床に散乱している先ほど取り出した自分の荷物を再び皮製のバックに詰め始める。カミュがこれ以上話つもりがないと言う事を理解したのだ。
――数分の間、静寂が部屋を支配した。
宿の二階にあるこの部屋の窓の外には、数羽の鳥達がとまっている木々が見える。が、そこに居る鳥達は囀ろうとはしない。それが部屋の静寂をより色濃くしている要因であった。
ガタンッ
そういった静寂を壊したのは、アルスが開けた窓の音であった。
それに驚いた鳥達が、一斉に飛び立つ。鳥の羽が日の流れを僅かに散乱させる。
「――また、会いましょうね。カミュ」
鳥達の飛び立つ向こうに奏でられたアルスの声。
アルスが荷造りを追えて、視線をカミュの方へ戻した時には、すでにその少年の姿は部屋になかった。
それはアルスの予想通りだった。別れの挨拶に使う言葉などはカミュの口から発せられるわけがない、だからこうして静かにしていれば、あの黒い髪の少年は音もなく去っていってしまうだろうと、そして、その茶色い瞳の少年の思いは現実となった。
教会で共に孤児として育てられ、神父によって教育された幼馴染。同じ人間に育てられたのに、随分愛想という表現に違いがあるものだとアルスは思う。
チチチチ……。
鳥の囀る音。
――――春の息吹が世界を覆い始めた頃、心地よい日差しが舞い降りていた
ファルシアは、世界地図の中央に横たわる大陸であった。
年中温暖な赤道に面しているこの大陸は、人という生き物の存在を歓迎しないと言われて久しい。
フィリアードの死債、終わりの3日間。多くの人々の命を奪った悲劇の舞台となる場所。その大陸はそういう場所であったのだ。
20年間で3つの国が倒立しているこの大地にあって、人は自らの家を血に染めて、それが焼け落ちようとも戦いをやめようとはしなかった。新ファルシア王国、フィリアード公国、この二つの勢力によって、今もこの大陸の戦火は燃えつづけている。
天使や悪魔と呼ばれるモノが降臨しても、人の価値観は何も変わる事はなかったのだ。
そして、ティア=フィアナ=ファルシアの白き詩の祈りも――。
ユーシア大陸で新しい勢力が生まれてから2月、季節は初夏を迎えていた――。
大陸中央部に位置する巨大な湖。その湖に点在する島々の中に、大陸の覇者が支配する城は存在していた。
天を突く石柱、頂上は高度1000メートルほどまで達するそこが、この地の商業の中心であり、政治の中心となる場所であった。
石柱の外壁には、人の住居となる石造りの家が点在し、ところどころ空気穴のようにも見える巨大な穴が空いている。その石柱の中は、まるで巨大な塔のように螺旋階段が設けられており、その階段を中心にして空洞部には街が広がっているのである。
「ここが……僕の家?」
そのアラバト山と呼ばれる石柱の形をした山の最上部、白い城壁を纏った優美な城、ファルシア城と呼ばれるそれは佇んでいた。その大きさは現存する物の中では最大とされている。城の正門からそこを見上げれば、それは30メートルほどの高さを持っている事が分かる。
「そう、あなたの城です。レファンス=フィールド=ファルシア……殿下」
城門と呼ばれる門は、本来敵の進入を遮る為のものであるが、このファルシア城の門は装飾ばかりに着眼を置いたような割合小さなものであった。
地上1000メートルの石柱の形をした山の上にあって、城門がその役目を果たす機会などはあるのか、と考えれば、この城自体もその優美さのみを強調した宮殿のような造りになっている事にも理解が及ぶというものなのだ。
「伝家?そうか、立派な家だもんな……」
夏の日差しを受け、少しは下界よりも涼しいそこに立って、呆然と城を見上げている少年。先代の皇帝の孫にあたるレファンス=フィールド=ファルシアは、周囲の様子にあっけをとられて曖昧な返事をそばに控えている騎士に反していた。同時にそれは酷くお門違いなものであったので、それを聞いた騎士は、勘違いを説明する必要があるものかと、視線を少年から逸らして考える様を見せている。
「大人達がこんなに集まって……。僕を迎えてくれているってのは……こういう事なんだろうけど」
閉ざされた正門へと続く道を開くように、その沿道には多くの人々が集まっていた。鎧を着たあからさまに城の兵と分かるものや、豪華な礼服を着た初老の男達などがその主であるが、中には白いドレスを着た女性達なども居る。
そういった人々を一斉に視界に捕らえた少年は、自分の立場というものを考えて、左手で頭を抱えると、その中をしわくちゃにしていた。
「やっぱり……分からないよ」
レファンスはそれを早々と考え終わると、やはり理屈では納得できるように教えられても、感覚的には理解できないものなんだと、ロクに動かない舌を無理やり動かして、独り言のような言葉を高い空の風に乗せる。
王子が城門の前で、入城を待たされている時間は、数分でもなかった。時刻は昼下がりを指している頃――。
日差しが強まり眸にちらつきを与える、それを片手で遮ろうとした時に、目の前の城門がゆっくりと開きはじめる様が映り、レファンスは慌てて手を下げて、その先を凝視する。
「……っ!?」
城門が開く音、それは少年が思ったよりもずっと大きな音であり、それには、唖然として周囲の様子に目を配っていた彼に圧力を与えるには、十分な威力があった。
『凄い音だけど……どういうの……?』
――少年は、それによって意識の表面へと押し上げられた不安な気持ちを自分の中で素直に言葉にする。
そして、そういう気持ちに捕らわれたままのレファンスの前に、城門の向こうより出迎えに来たであろう何人かの女性の姿が映る。
「殿下はよろしいのです」
レファンスは、周囲の人間がすべて膝を折る様に驚くと、はっとして自分もそれに続こうとする。だが、それを見た騎士の一人が苦笑して、王子をその声で制する。
「……っ」
その騎士の声に反応した訳ではない。だが、次の間合いにレファンスは目を見開いて、膝を折ろうとしたままの姿で体を硬直させる。
多くの視線の中をゆっくりと優雅な足取りで、自分の方へと向かってくる女性。
その姿が近づくにつれ、王子となった少年は、酷く強いデジャブに襲われた。脳裏に焼きついた何かの姿が少年の胸に甦り、それを締め付けるのだ。外見的な印象――というよりは、内面的なもの、雰囲気というのか感覚的なレベルなのであるが、そのような部分が少年にそう言った感じ得たこともない感情をもたらした。
左右に侍女を従えて、城門から現れた優美な白いドレスを着た女性は、固まったレファンスの前まで足を進めると、屈み込んでいる王子に手を差し伸べる。
「どうぞ」
微笑に携えられたその声。そして重なり合った青と蒼の眸が、少年の思考を更にぐらつかせる。
「どうぞ?」
「あ……」
少年は、震える唇を風に躍らせる。そして、声にならない声で応えて立ちあがると、その手を自らの左手でとる。
「くす」
目の前の女性、長い金色の髪に自分と同じ蒼い眸、端整な鼻と唇、そして声、すべてが少年にとってのデジャブの対象となりえるものであった。
呆然とその眸を見て、それが笑みを浮かべる様を理解すると、差し伸べられた手は、立ちあがる前にとるべきものであった事に少年は赤面し、慌てて握っている手を放す。笑われた理由を考えるのなら、きっとそれが可笑しかったんだとレファンスは思った。 しかし、それは違う、彼の前に立つ蒼い目を持つ女性は、王子が差し伸べられた右手を左手でとった事がおかしいと思ったのである。
「レ、レファンスです。え、えっと……」
完全に上擦ったレファンスの声、そして戸惑いの色を灯すその表情。そういった様子に彼の傍に控えていた騎士――フィアが、自らの顔を手で押さえてそれを横に振りため息をもらす。
「……よろしく? ですか?」
「そ、そう……です」
レファンスが頷いて言葉を発した時に、蒼い目の淑女は、少年の右腕が添木によって固定されている事を見つける。そして、口元に浮かべていた微笑を閉ざし、言葉を続ける。
「――私はティアと申します。よしなに、レファンス王子」
――――感じたことのある風が少年の空を駆ける
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