
空を裂く音――。
続けられる、闇が割れる悲鳴――。
北極圏の極寒の大地……本来ならば、日がまだ高くあるはずの時刻。
小高い山の上の小さいな小屋にある、古ぼけた柱時計は15時を指していた。
「ねぇ、レファンスゥ」
「……なに?」
カチカチッ
赤く染まった暖炉からもれる薪が燃え尽きる音――。
薄ぐらい部屋を唯一照らす、瞬く光を発するそれが不規則なリズムとなって部屋を踊っている。
暖炉の火の正面、玄関の戸のある側の壁に家中から集めた毛布でテントの様な物を作って、そこで3人の子供達は息を潜めていた。
「この家、もつかしら?」
ため息と共に少女がこぼした声は、外の風で揺さぶられた家の床を駆ける。
「……もつんじゃないかなぁ?」
「……何を根拠に?」
「……今まで、こんな嵐無かったもんね」
「でしょ。――レティシアの熱も下がらないし……」
レファンスの曖昧な答に、セシリは横で小さな寝息をあげているクリーム色の軟らかな長い髪を持った少女の額に手を当ててそう返す。
そのセシリの声を聞いて、レファンスもレティシアの額に手を伸ばすが、セシリにそれを叩かれる。
「いたっ」
手を反射的に引いたが遅く、手を叩かれたレファンスは、心底不思議な目でセシリを見た。
――心のどこかに、レティシアはセシリより自分の側にいるのが当然だと思っているフシがあったから。
「……なにするんだよ」
「なんでもないわよ」
無機質にそう言って、レティシアを毛布に包んだまま、赤ちゃんを抱くように自分の胸で包むセシリ。
なんでもないと言うのは、自分の感情の表面に出ない意識が応えさせた言葉――。
本心を語るなら、レティシアとレファンスを引っ付けたくはなかったのだ、一度とくっつけると中々離れようとしない二人を嫌味なほどに見せ付けられてきたから。
『……この娘、本当に可愛いわ』
――頬を赤く染め体温を求めて本能的に擦り寄ってくるレティシア、その様子を細めた目で見てセシリは本気でそう思った。
ガタンガタンッ
激しい風の叫び声――。
次いで木々の断末魔ともとれるすさまじい音が、子供達の耳だけではなく、その居場所までも震わせる。
不安、昼間にも関わらず夜よりも暗い果てしない空は、北極圏の小さな島を深く包み込んでいた。
――――少年の部屋の聖剣はその輝きを強めて
……眠っていた。
少年がそう気づくのに、意識が戻ってから時間は掛からなかった。
目を開ける前に次に受け取った感覚……。
よそ行きの香り……それが、レティシアの持参した香水の香りだという事は目を開けてから分かった。
鼻を擽るほのかな甘い香は、それを感じる事ができたのは、レティシアがレファンスの胸の上に顔を乗せて、その長いクリーム色の髪が毛布の上から少年を包んでいるからであった。
「……レティちゃん?」
小さく唇を動かしているレティシアの顔を見つけたから、隣で眠っているセシリを確認してレファンスは、小さくクリーム色の髪をかき分けて小さくそう耳打ちをした。
「……レファンスさん」
少年の胸の上に視線を置いたまま、消え入りそうな声で囁く少女――。
「……?」
「震えていました……レファンスさん」
続けられる言葉に、眠っている間の意識の片隅に、寒さに体を丸めた記憶がある事を思い出すレファンス――夢であってもおかしくないほど曖昧なそれ。
だが、何かのぬくもりに触れて寒さを感じなくなった記憶が、それを夢と離別させるにいたっていた。
「……風邪ひいているのに、暖めていてくれたって言うの……?」
目を剥いて、たまらない思いを抱えたレファンスが小さく発した言葉――。
「……今夜は、とても冷えているみたいです」
変わらない小さな声を携えて、明らかに無理にと分かる笑みをレファンスに向けるレティシア――部屋の明かりが落ちていた為に顔色までは分からなかったが、少年はたまらなく少女の造花のような微笑みに不安を覚える。
少女のぬくもり自体が柔らかすぎて、酷く壊れやすいように思えたから――。
「……」
レファンスは、ロクに回らなくなった舌を無理に動かそうとしても、次に続かなくてはいけない言葉が何も浮かんでこない。まだ意識そのものが、視覚からの刺激を強く受けていない為に昏迷しているようであった。 嫌な予感を覚えた少年は、視線を逸らして、包っていた毛布から少し手を出して部屋を空気をかきまわす。
……冷えているという言葉は当てはまらない。
部屋の空気は、少年の手を包むと、それを裂くような刺激を与えてくる。
「っ……」
うめき声に近いような音を反射的にあげるレファンス。
すぐに、はっとして暖炉の明かりに視線を移す――予想通りの結果。
暖炉の火はすでにほとんど死に絶えている状態で、すぐにでも燃料になる物を足さなければ、朝までそれが持つはずが無いと、14年間北極圏で暮らしてきた経験から判断する事ができた。
「ちょっと待っていてね、今、薪を足すから……」
毛布ごとレティシアを抱えるような状態から身を起こすと、少年は少女の震えている小さな瞳にそう言うと笑ってみせる。
だが、視線を再び暖炉に戻した後、少年の微笑みは凍る。
無論、それは圧倒的な寒さが原因ではない。
「セ、セシリ……」
悲痛な思いは、レファンスに眠っているセシリを起こしたらどうなるかという恐怖を忘れさせていた。
「……」
「セシリったら」
「……なによ?私が寝ている時は、あんたに起こす権限がないって事忘れたわけ?」」
視線を暖炉に向けたままのレファンスが続ける声に、毛布に何重にも包まって眠っていたセシリが、ゆっくりと目を開くと、自分と同じく毛布に包っている少年とクリーム色の髪をした少女の方に声を返す。
「そ、そんな事、言ってる場合じゃないよ」
「っ……さむ……。って、暖炉の火消えてるじゃない」
レファンスを一瞥して、その言葉を無視すると肌に触れる空気の冷たさが尋常でない事に気づいて少女は、少年に抗議の声をあげる。
「薪が……もう、ないんだ」
ガキッ
ガシャァァァァン
レファンスの声を裂く、激しい音はその家の二階から聞こえて来た――。
「……」
「……」
「……」
その音に押し黙る3人の子供。
互いの心拍音が、激しくなっているを感じる……無意識のうちにそれだけ身を寄せ合っていたから――。
木が折れたと思われる音の次に、家の二階の窓が破れる音――。
家具で封鎖した二階への階段から、激しい風が吹き込んできている事に、今は誰も気づかなかった。
「ふー」
「……ご、ごめん」
「……誤らなくていいわよ、……あんたのせいだけどね」
「だ、だったら……」
「……気づいてないの?」
「何が?」
「……ふー」
激しい風の音を裂く少女の曇ったため息が、異常なまでに凍りついた部屋の空気を揺らす。
「ど、どうしたのさ?」
毛布を何重にも体に巻きつけて、レティシアを抱き寄せたレファンスは、不安げにため息の理由を尋ねる――。
「さっきから、少し風が入ってきてるの」
「……風?」
「外からのね」
「……ほんとだ……もう薪が無いってのに……」
唯一、部屋の空気に露出している顔で、その吹き込んでくる風を感じた少年は視線を部屋中に巡らせる。
「多分、二階からだと思うわ、昼間ガラスが割れてたわよね?」
その視線の動きの意味を感じて、応えるセシリ――。
「……ど、どうしよっか?」
「どうしようかって……このままじゃ凍えるわね、特にレティシアなんて熱だしてるのに……」
「……ど、どうしようか?」
セシリの冷えた瞳が奏でる言葉の綴りに、少年は背筋に冷たさを覚える。
「うっさいわね!今考えてるんでしょ」
「ご、ごめん」
毛布をグルグル顔に巻きつけて、その隙間から目を光らせている少女の怒声は、いつものそれよりも強いプレッシャーを少年に与えた。
セシリの声に反応したのか、レティシアの体もピクンと一瞬動いたのが分かる――。
「今何時だっけ?」
しばらく外の風の音に支配されていた部屋の中に、思い出したようにあげた少女の声が響く――。
「……1時くらいかな?」
それに反応して、先程、暖炉の残り火の光で時計を見た少年は、経過時間を予測して少女に応える。
「日が昇るまであと7時間、吹雪が止むまではあとどのくらいか……ってとこだけど」
「2日や3日間吹き続ける事だって珍しくないよね……」
「……仕方ない」
「……何が?」
「お風呂行きましょ」
「……はぁ?お風呂って……」
少年は訝しげに少女の提案に反論する。
「別に今からお湯を沸かそうって言ってんじゃないわよ」
少年の反応にムッとした声をあげて……いや、温かい部屋なら軽くゲンコツを食らわしているような度合いの声で少女は続ける。
「温泉があるじゃない?あそこなら、吹雪でもお湯が沸いてるし、非常食もある程度埋めてあったはずでしょ」
「そっか!聖霊の湖は、年中温泉だもんね」
少女の続けられた声に、目を見開いて……といっても、毛布に包まっているためその目は少女からは見えないのだが、少年は嬉しそうに声を弾ませる。
「レティシアは、あんたが負ぶっていくのよ?」
「うんっ」
セシリの最後の言葉には、特に大賛成なレファンスは、実に嬉しそうにそう応える。
――――部屋の中に冷たい風が吹き込んできた
「れふぁんすさん、重く……ないですか?」
吹雪の中、少女達は家の裏の森の中にある聖霊の湖と呼ばれる場所に向かっていた。
家から約1キロ離れた深い森の中にあるそれ――。
美しく巨大な湖の一部には温泉が沸き、そしてその温水の部分はセシリ達の祖父の手で人が入れる温泉に作られている。
「うんっ!全然平気だよ」
「……ちっ」
森の怒声が渦巻く漆黒の闇の中、弱々しい少女の声に、やけに威勢の良い少年の声が応える。
背負っている少女の重くないかという問いに、重いと応える選択肢など少年の頭の中には存在しなかった、むしろ背中に湯たんぽを担いでいるかのように少女は暖かく、レファンスの頬はわずかに蒸気していた。
それを後ろから見て、視線を森の闇に移し、舌打ちするセシリ――。
セシリが何を考えているのかは、その表情の無から判別しがたいが、とりあえず拳をバキバキ鳴らしながら歩いていることから、現状の寒さはさほど気になっていないようであった。
「レファンスさん……とても頼りになるんですね」
「……え?」
「……なんでも……ありません」
「……そ、そう?」
耳打ちされた少女の声の破壊力に、一応聞き返してみたが少年はしっかりと聞き取っていた。
『……あ〜、何しゃべってんのかしらコイツラ……』
それを荷物を担いで後ろから黙って見ているセシリ――その額には青筋が浮かんでいた。
まるで王子様とお姫様の荷物持ちをしているような心境になったからだ。自分が完全に蔑ろにされているという気持ちは、現実と全く違わないであろう。
――ふいに、そのセシリの肩に、何かの手がポンポンとリズムをあたえる。
「……なによ?」
セシリは、驚きよりもムッとして、後ろを振り返る――。
その揺らいだ視線が捉えたもの……それは、背丈が2メートルはあろうかという巨大な熊であった。
普段は、人の生活圏であるこの辺りに熊が現れることなどは無いが、この嵐で森の奥から迷い込んだのであろうか――その熊はかなり気がたっているようであった。
――が、気が立っているのはセシリも同じだと言えた。
よだれを垂らし、大きな爪を振りかざした熊――。
空腹なのか、セシリの睨みを気にする様子も無く、間髪入れずに確実に相手を仕留められるであろう確信を持って、爪を少女に叩き付ける――。
「おっきな犬ね〜」
セシリはそう言うと、その振り下ろされた爪を、何重にもした手袋で受け止める。
ガシンッ
凄まじい音――。
熊にすれば、今の一撃を受け止めたとしても、受け止めた手は砕け、次の一撃での確実な勝利の布石になると思えた。
が――。
ドシャーーン
さらに凄まじい音が、次の瞬間森の木々を震わせる。
――何が起こったのか? その音に振り向いたレファンスよりも、むしろ熊の方が強くそう思った。
――自分が倒された……数秒後、熊にはそこまでは分かった。だが、セシリがじゃんぴんぐあっぱーで熊を数メートル吹き飛ばしたというのは、熊には永遠に分からない真実であった。
「グルルルル」
今の一撃で戦闘本能をより刺激された巨大な熊は、すぐさま立ち上がり怒りの咆哮と共に少女に向かって体当たりをかける。
「セ、セシリ……」
レファンスの次の言葉は、無論「危ない」であるはずであった。
だが、その言葉を続けなかった少年の嫌な予感――。
バキィィィッ
それは、続けられた鈍い音によって現実になる。
「れふぁんすさん……何かすごい音がしたみたいですけど……」
「え……。ああ、なんでもないんだよ……もうすぐ湖につくからね」
レファンスは、少しの間眠っていたレティシアには、言わないことにした。
セシリが回転キックで、突進してくる熊をぶっ飛ばして、気絶させたなんて話は、熱を出している少女に言えるはずもなかったのだ。
――――子供達の視界に温泉の蒸気が飛び込んできた
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