
「いいわね、こっち見たら即死する事になるからね」
「わ、分かってるてば……」
闇の渦巻く夜――。
強い寒さと不安が、普段は静かな湖を包んでいる。
その一角に見える湯気――。
外気の冷たさに対して、不自然と言えるほどの熱を持ったそこ――。
湖の広さは全長800メートルほどであり、その温水が沸いて湯気を空へ投げている場所の全長は50メートルほどであった。
そこには、人の手が加えられていることが容易に見てとれて、辺には小さな小屋が立てられている。そして本来は2〜3メートルある水深が、その部分だけ1メートル前後に作りかえられている。細かい石や砂をこまめに積み重ねて、風呂として適当な深さになるまで埋め立ててあるのだ。
その温水の周囲を取り囲んである大きな石は、冷水が温水部分を浸食する事を防ぐために、そして水深が深くなる目印として置かれている。
湖の岸よりの方で、タオルを巻いて湯気とやや白い色をしたお湯に身を沈めている少女二人――。
クリーム色の長い髪を持つ少女を抱きかかえるように、いつもは結っている栗毛の髪を下ろした少女が、20メートルほど離れた温泉の中でこっちを見ている少年に怒声を投げかける。
そして、それは同時に死刑宣告であるとも言えた。
「で、でもさぁセシリ」
湯煙の向こう――。
ぼやけた人影二つ――そうとしか見えない少女二人に、レファンスは体を震わせながら声を送る。
「あによ?」
「こっち寒いんだけど……」
「そりゃあそうでしょ、湯元はこっちにあるんだもん」
温泉の湯元……熱湯が吹き出しているそれは、セシリ達の居る小屋の付近にあり、いつもこの温泉を利用しているセシリは、適温の場所を知っていてレティシアを連れて、迷わずその場所を陣取っていた――。
「なんだかさぁ、吹雪いているだけあって、水温の低下が凄いみたいだよ……」
水深のある場所で、鼻までお湯に潜っているレファンスが、ブクブクと泡をたてながら抗議の声を続ける――。
「そお?何度くらいありそう?」
その声を風の囀り程度に聞き流して、セシリは色気のない声を震えている少年に返す――。その頬には意地悪な笑みがこぼれていた。
それを黙って不安げに見ていたレティシアは、セシリの胸のタオルで身を震わせる――自らの熱が導いたわけではない……レファンスの身を想像する事がクリーム色の髪の少女にそう感じさせたのであった。
「多分、20度くらいしかないよ、こっち」
「……20度あれば凍死って事にはならないわね、我慢なさい」
「ええっ〜」
あまりにも自分に無頓着な声に抗議するレファンス――。
「じゃあ聞くけど、どうして欲しいわけ?」
「……えっ!?」
レファンスがセシリの意地悪な言葉に、背筋をビクンと硬直させて、裏返った声をあげる――。
依然吹きつづけている回りの激しい風の中にあっても、それははっきりと湖の湖上に響き渡った。
次いで、少年の顔は寒さとは別の理由で顰められる――しまったと言った表情だ。
「だから、どうして欲しいのよ?」
「……あ、……そ、その……」
あからさまに慌てて、麻痺しかかった唇を動かすレファンス――。
「やーい、この変態〜」
わざとレティシアの耳元で嫌がらせと分かる言葉を、実に楽しそうに奏でるセシリ――。それは栗毛の少女にとっての久々のストレス解消――。
「な、なんだよ!子供の時は……。――その、一緒に入っても何も言わなかったじゃないか……」
「はあ?バカ言ってんじゃないわよっ!あたしみたいな美少女が、あんたみたいな冴えないガキと一緒に入るわけ無いでしょっ!」
「そ、それじゃあ、冴えてる子となら入るの?」
レファンスが必死に考えた反論に、セシリは一瞬押し黙ると、周囲は再び強烈な風の音に支配される――。
「……ん〜、超美形な王子様なら」
少し頬を染めて嬉しそうに奏でられたセシリの声――。
「ちょ、超美形って……。自分だってガキなんぢゃないか……」
――――レファンスはそれを聞いて、目を細めて毒つく。
「なんか言った?」
「な、なんでもないよ……」
セシリの鋭い声にレファンスの声が震わされる。
「くすくす……」
その二人のやり取りを黙って聞いていたレティシアの小さな声――。
「どうしたのレティシア?」
「……お二人とも、とても仲がよろしいのですね」
目を細め、頬を赤く染めて少し寂しそうに言うレティシア――。
――――温泉の湯気が3人を包み込む
最終話「レティシアの質問」
「セシリさん」
「……どうしたの?」
子供達が温泉にたどり着いてから、数時間――。
外を支配した風は、やや弱くなったように感じられる――。
外気の変動に関係無く一定して暖かい温泉の中――。
セシリに寄りかかるように眠っていたレティシアが、布で目隠しをされて先程よりも幾分か暖かい場所に居る事を許可されたレファンスに聞こえないように、小さな声で話しだす。
「……ずっと……お尋ねしたいことがあったんです」
「……なに?」
レティシアの神妙な声――。
声の力のようなものは、明らかに数時間前までとは違う。
半ばのぼせて、顔を蒸気させている為に、レティシアの熱が下がって具合が良くなっているという事は、セシリには分からない。
「……セシリさんとレファンスさんは、本当の兄弟じゃないんですよね」
「……うん、あいつに似てないでしょ?あたし」
レティシアの真っ赤な顔の透き通った蒼い瞳に、自分のそれを合わせて、セシリは応える。
「……それじゃあ、お聞きします」
それに小さく頷いて、レティシアは続ける。
「セシリさん、レファンスさんの事・・・・・・好きなんですか?」
「……はぁ?」
レティシアが奏でた言葉――セシリが予想していた質問の一つ。
だが、その質問に気のない返事を返してしまうセシリ――。
好き……生まれて初めての質問――初めての言葉――。
セシリに返す言葉など見当たらなかった。
「私、ずっと悪い子でした」
「……?」
「……セシリさん、いつも悲しそうな目で見ていました。気づいていました……」
「……レティシア、あんた……」
「セシリさん、レファンスさんが笑うと……いつも笑っていらっしゃいます」
「……自覚ないけど」
目を僅かに潤ませて続けられる金色の髪の少女の声――。
その声に苦笑して、セシリは懸命に言葉を返す。
――自分がずっと嫌な気持ちになっていた理由……その答え。
「私、きっと……セシリさんは、レファンスさんの事が好きなんだって……」
「……あいつは……」
「……はい?」
「あいつは、レティシアの事、好きなのよ」
「……?」
セシリの静かな言葉――目を鋭くして音にしたそれ。
レティシアは、首を傾げて次の言葉の為に唇を動かそうとする。
「でも……」
「男の子に対して免疫ないの?」
乱暴にレティシアの言葉に割って入るセシリの声――。
「……え?」
「あんなヘボヘボの弱虫の何処が良いのよ?」
「……優しい……ところです」
頬はすでに真っ赤になっている……だが、そう言うレティシアの瞳――。
セシリは、それを見て思った。
『ダメね、これは』
自分の所有品の一つだと思っていたレファンス。
自分の家族だと思っていた少年が誰かに取られると言う気持ち――。
それが高まって、レティシアの言葉で弾けると、セシリは強い孤独感に苛まれる。
「セシリさん、私……レファンスさんの事が……」
そのセシリの心を見透かして、意を決したように続けられる少女の言葉――。
次に続く言葉などセシリは聞きたくも無かった。
――――遥か遠い東の空、わずかな光……輝いて
聖霊の湖の少女――完――
そして舞台は2年後……ユーシア大陸北部へ
王女の白き詩の祈り……再び
当小説は著作権を放棄しておりません。
複製、転載は禁止です。
戻る
メールでの感想はこちらへ。