『――頭が痛い』

 その少年が、意識を取り戻した時に真っ先に思い立った言葉はそれだった。

 『ここはどこだろう?』

 少年が目を開けたときに見た天井は、自分のベットの上から見えるものでない。故にそう思った。

「……」

 少年は、自分が意識を失う前のことを思い浮かべると、うっすらと涙が浮かんでくるのを感じた。

 さすがに、あれだけ理不尽な目に会えばそれは、致し方ないことと思えた。

「鏡よ鏡〜♪ 世界で一番強いのは誰〜♪ それは〜♪」

 暖炉の火が、唯一の明かりとなっている暗い部屋の中。ふいに入り口のドアが開き、そんな歌声が流れてきた。

『セシリだ』

 少年は涙する。 「あ、起きたわね?レファンス君、酷い目にあったわね。大丈夫?あたし、ずっと心配してたの」

 と、ランプの蝋に明かりをつけて、レファンスの瞳に意思の光が宿っている事を確認すると、セシリは猫なで声で、レファンスの額に冷たい手を置いた。

 セシリは、どこか気まずそうな微笑み。否、作り笑いでレファンスの身を案じる。 勘違いでぶっとばしたのだから、当然の事と言えた。

「……」

 レファンスは、冷たい手に心地よさを感じながらも、ベットの上でセシリに背中を向けるように寝返る。

 それが、せめてもの抵抗、抗議のつもりなのか。

 部屋の空気に、毒を指すには十分なそれ。

「ねえ、起きてるんでしょ?」

 セシリが、レファンスのその仕草に苦笑いを浮かべながら、耳元に囁く。

「……」

 背中に投げられたその言葉を傷身の少年は無視する。

 もう何を言われても、応えるつもりはなかった。




――――白く輝く光の粒が聖なる夜を向かえた北の島に降り始めていた。







第4話

「聖なるノスタルジア」







「――ぐすっ」

 しばらく無言の時間が部屋を支配したが、すぐレファンスの泣き声がそれを破った。

 自分で作った静寂を自分で壊す。全く意味をなさない少年の行動。

 迷走する意識のみが、その鼓動を感じさせているのか――。

『イライライライライライラ』

 セシリは、無言で泣き始めたレファンスを見つめて、背徳と共に苛立ちが集ってくるのを感じていた。

「ほ、ほらっ、レファンス。こっちに来ない?今日だけ特別に膝枕してあげるわよ――?」

 セシリは、ベッドから離れた暖炉の前に座ってクッションを抱くと、レファンスに引き攣った笑みを浮かべて誘いをかけた。

「えっぐえっぐ……もうお婿に行けない」

「……イライライライライラ」

 セシリは、とても男の子とは思えない、レファンスのセリフに呆れると共に、怒りを露にし始めた。

 その証拠に、イライラがセリフの中にも混じっていた。

「っ!?」

 その背後から迫ってくるイライラに恐怖を覚えたレファンスが、さらに降りかかろうとしている身の不幸を感じた。

「本日は聖夜と言う事で――サービスで耳掃除もつけるから、ね?いらっしゃい?」

 セシリは、頬をヒクヒクとさせて、クッションをぎゅっと力を込めて抱いてレファンスに最後の通告をした。まるで母のような優しげな声で。

「……」

 ベッドの上のレファンスは、また寝返りを打って絨毯の上に座っているセシリと目を合わせる。

「ねっ?」

 セシリの微笑み――この微笑みを逃したら、次に見る微笑みは天国の天使達のそれになるとレファンスは本能的に悟った。

「うん」

 レファンスは、ふらふらとベットから起きるとセシリの元へ這って行った。







 暖炉の火は、静かな外の風に反抗するようにカチカチと音を立てて燃えつづけていた。
 部屋の中には、炎の歌と二人の吐息。

「ここ……フィア姉さんの家?」

 少女の腰に手を回すように、うつぶせに膝に頭をのせていたレファンス。彼は、セシリを見上げずに炎に瞳を重ねて、正解の分かっている事を問う。

「そ」

「家に帰らないの?」

「あんたが、気絶しているうちに、もう7時過ぎちゃったの、これから帰ったってご馳走準備する時間ないでしょ、それにあたしがあんたをおぶって山を登るなんて無理に決まってるじゃない」

「じいちゃん、どうしてるかな」

「あ”」

 あに点がついているのがミソなセシリの言葉。

「ま、まあ、おじいちゃまだって合鍵くらい」 「……」 「たぶん持ってるだろうし。大丈夫じゃない?」

 家を出るとき、二人は家の鍵を閉めてきた。12月の夜。野宿は老体には堪えると容易に想像できた。

「――持ってなかったらどうするんだろ」

「あたしなら、窓ガラスを蹴り破るわね、凍死するよりはマシだもん」

 セシリがそうきっぱりと言ってのける。

たしかに凍死よりは懸命な選択といえた。 「……そうだよね」

レファンスは、そう言って目を閉じた。

「さてと、耳掃除、あたし人にするのは、はじめてなの。痛かったらごめんね」

 セシリは、ポケットから楊子を取り出すと、それをレファンスの耳に向ける。

「あたっ」

 レファンスが、直後に目を開けてそう小さく一言。

「あ…ごめん」







「遅くなった。二人とも……うっ!?」

 耳掃除をはじめる。そう少女が言って、どのくらい時間が経っただろう。

 玄関の戸を空けても妹達の姿を見つけることのできなかったフィアは、奥の部屋の戸を空けながら、ただいまと言う。――今晩のご馳走の買い物から自宅へと帰ってきた女性は、そこで見た光景に声を上げた。

『うらやましい』

 自分が男だったらレファンスに蹴りを入れていたかもしれない。

 セシリの膝にしがみ付いたレファンスは、小さな寝息を立てており、座ったまま毛布に包まっているセシリもまた寝息を立てていた。

「ごちそう……いらないのか?」

 フィアは、小さく笑って二人から視線を逸らすと、買ってきた大きな紙袋一杯のご馳走を台所に運ぼうと、ドアに手をかける。

 妹達が起きるまでしばらく時間を流そうと思ったのだ。夜はまだ長いのだから――。

『そういえば、レファンスの奴。パン屋のニナと出来ているとか聞いたが。二股か?』

 台所のイスに寄りかかったフィアは、ふいにそんな事を思った。

 レファンスとセシリを見て、二人が兄弟だとは思えなかったのだ。

 むろん、血は繋がっていないので二人は兄弟ではないのだが。

「本格的に降ってきた……な」

 窓が白く染まる様を見て、フィアはそう囁いた。







 ――――聖なる夜輝いて





 北極圏の人口1000名にも満たない小さな島。比較的大きな漁村から海岸沿いに数キロ。

 そこには、小さな一軒家。その煙突からは暖炉の煙が上がっていた。  町の中央の時計台は23時の鐘を鳴らしている。

「あ”……」

 少年は今日3度目に意識を取り戻したその瞬間まずいと思った。

  「セ、セシリ――?」

 目を開ける前に感じた少女の匂い……。反射的に、セシリのベットに潜りこんでそのまま、寝てしまったと少年は思ったが――違う。事態はもっと悪く、少女の膝の上で目を覚ましたことに気づくのに数秒を要した。

 だが、問題はさらに別にあった……。膝枕をしていたはずのセシリは、絨毯の上に横たわっており、レファンスはその上にしがみ付いているような格好で寝ていたのだ。

「ん、レファン?……きゃああああああっ!!あんたっ、なにやってんのよっ!!!」

 少年が自分の名を呼んだのが聞こえたのか――。セシリは、うっすらと目を開けると ……鼻先がくっつきそうなくらい近くにあるレファンスの目を凝視する。

 刹那――当然の如く叫ぶ。

「え……?えっと――?あ、あの?」

 中腰でセシリの顔を見ていたレファンスは、そのプレッシャーで尻餅をついてしどろもどろになる。

「ま、まさかあんた、あたしを――?」

 セシリは、まだ完全に開かない目を必死にこすって座りながら頬を赤らめてクッションを盾にするように抱きしめた。

「な、なんだだっていうの?僕は別に何も――」

 こめかみに大きな汗を作っているレファンスは、手でそれを静止するように試みる。

 ガタンッ

 レファンスがセシリに詰め寄ろうとしたその時、少女の悲鳴を聞いたフィアが、ドアを叩き開けた。

「どうしたっ???」

 ――3人が状況を把握するのにわずかな静寂の時間が流れた。

「レファンス」

 状況を逸早く察知したフィアは、片手で髪を掻きながら苦笑した。

 クッションを抱いたままのセシリは、真っ赤な顔をクッションに埋めてレファンスを睨みながらぶつぶつ言っている。

「だ、だから、僕が何をしたっていうのっ?」

「泣き虫で変態で怖がりで優柔不断の女顔のくせに……レファンスのくせに、修正してやるっ」

 ――バチンッ













「ま、たしかに、あんたみたいな弱虫に、あたしを襲う度胸なんてないわよねっ」

 無責任なセリフの後、部屋の中に笑い声が響く。

 暖炉の炎の歌声は、先ほどまでとは比べ物にならないくらい大きく、部屋には4方の壁にランプが燈されていた。

「だ、だから不可抗力だったんだよ」

 頬に大きな手のひらの跡を付けた少年が、まぶたを震わせる。

「……やれやれだ、真夜中に人騒がせな」

 視線を二人間で何往復かさせると、肩を竦めてフィアはそうこぼす。

「やだ、今何時なの?」

 セシリが、視線を巡らせて時計を探す。

「11時過ぎたとこだ」

 フィアは、先ほどの台所の時計で確認した答えを返した。

「え”っ?今日は聖夜でごちそうが食べられるはずだったのに――?」

 レファンスは、心底残念そうに首を垂らした。

「心配いらない。夕食はこれから用意するとこだ、まだ材料はそっくり残っている」

「深夜11時になってからディナーだなんて、少しドキドキするけど……料理は誰が作るの?」

「私は作れない事はないが、セシリの腕に期待している」

「お姉、何言ってんのよ。あたしが作れるわけないじゃない。ね?」

 セシリは、肩を竦めると隣で視線をちょろちょろと動かしているレファンスに流す。

「え…?ぼ、僕?」

「そ」

「おいおい、セシリも少しは、料理くらいできないと」

 こめかみに大きな汗を掻いたフィアが、手を招き猫のように縦に動かして苦笑する。

「だって、レファンスが居るんだから、あたしが料理する必要なんてないんだもん」

「お前達だっていつまでも一緒に居られる訳じゃないだろう?」

「――え?」

「レファンスだって、いつかは家を出ていくかもしれない。その時セシリはどうするつもりだ?」

 少し意地悪そうに微笑するフィアがセシリに問う。

「……」

 フィアの言葉に興味深そうに目を見開いたレファンスは、セシリの答えに注目すべくその顔を凝視した。

「……あたしは金髪で背が高くて優しくて強い王子様と結婚するの、つ・ま・り、私はプリンセス、料理できる必要はないってわけ?OK?」

 セシリは、チッチッチと指を動かしつつ、そんな事を言って得意そうに微笑んだ。

「そんなパーフェクト超人がいるわけないじゃないか……」

 レファンスが、理想の高さ、妄想の域に達しているといっても良い少女の結婚願望にめずらしくツッコミを入れた。

「ちなみに、レファンス君はあたしの召し使いとして一生仕えること!」

「え、ええ〜〜〜!?」

 セシリのツッコミに対する当てつけとしか思えないその言葉に、レファンスは本気で焦る。

 なんとなく、一生召し使いというのは現実味があったから。

「もういい。じゃあ、レファンス、支度するぞ。手伝ってくれ?」

 フィアは、苦笑するとレファンスの頭に手をポンと乗せて台所へと向かった。

「あ、ちょっと待ってよ……セシリは、どうするの?」

 フィアの後に続こうとして、はっとセシリの方へすぐに振り向いたレファンス。

「あたし、どうしようかな?……手伝ってあげてもいいわよ」

「じゃあ、お願いするよ」

「うんっ」







「レファンス――何が作れる?」

「これだけ材料があれば、かなりの物が作れると思うけど……でも、こんなにたくさん買い込むことなかったんじゃ?」

 決して大きくはない台所の真ん中のテーブルに、ところせましと、山積みに食材が置かれていた。

「たしかに、10人前はあるだろうな……私の意志じゃなくて、私が買いにいくとやけにサービスの良い店があるんだ――」

 テーブルの上に山積みになっている大量の食材をみてため息をつくと少し遠い目をするフィア。

「あたし誰かさんのせいで、お昼ご飯食べてないから、たくさん作ってもいいわよ」

 二人のやり取りを後ろで見ていたセシリが、ぼそっとレファンスに耳打ちした。

「ぎくぎく……わ、分かったよ」

 レファンスは、曖昧な笑いをセシリにかえす。

 お昼のお弁当をセシリに届ける約束を、フライドポテトを食べるのに夢中で、すっかり忘れていたレファンスは、素直に従うしかなかった。




「姉さん、僕がシチューとステーキを作るから、サラダと七面鳥…お願いできるかな?」

「それはいいが、七面鳥はちょっと焼くのに時間がかかるぞ?」

「いいんじゃない?おじいちゃまも、おばあちゃまも居ないんだもの、早く寝なさいなんて言う人いないわけだし〜♪」

「それもそうか。…そうだな」

 手を洗って布巾で拭いているセシリのその言葉に、フィアが素直に笑ってみせた。いつも苦笑いの部類にはいるような笑いが多い姉が遠慮なく笑うのは珍しい――と、横でまな板を洗っていたレファンスは思った。







 ジュウウウ

 ――――派手に煙りを上げるプライパンを持った少年が、少し涙を目に溜めてとなりで七面鳥の仕立てをしている義姉と、生ピーマンをカッコ付けてそのままガリっと食べて、後悔しているセシリに問い掛けた。

「ステーキは、ニンニク焼きでいいかな?」

「あたし、ニンニク苦手だってば、忘れたの?」

「女二人いるのにニンニクを使うのかお前は?」

「そっか……じゃあ、塩とコショウだけで焼くね」

 レファンスは、頷くと大振りのステーキ肉に塩とコショウを掛け始めた。

 カーン カーン

 その直後――。25日の訪れを告げる時計が鳴り響いた。







「え〜〜〜っ!?そうなのっ!?」

「本気だったのか――」

 ところ狭しと暖炉の前の机に運ばれた料理を取り囲んでいる3人。

 テーブルの上の料理は、塩とコショウだけで焼き上げたステーキ、照焼きの七面鳥、ビーフシチュー、フルーツサラダ、パン、スモークサーモン、レアチーズ、チョコケーキ、それと番組の最初にかじるオレンジピーマンなどが並んでいる。どう考えても3人で食べきれる量ではない。

「世の中って狭いのね〜、がっかり」

「……」

 レファンスは、ステーキをナイフで切りながらセシリとフィアの話に耳を傾けていた。

 セシリとフィアは王子云々について話していた。王子と結婚したい栗毛の少女に、フィアは、現在、世界には王子という位に就いている男性はいないと説明したのだ。

「まあ、そういうのは女なら大抵だれでも夢見る事だな」

 フィアが、フルーツサラダを皿に盛ってセシリに笑いながら渡す。

「う〜ん、それじゃあ、あたしが実はどこかの国のお姫様で事情があって……」

 リンゴを噛みながらセシリが続ける。

「それもまあ王道だな。が、実際かなり無理があるシチュエーションだと思うのは私だけか?」

 フィアは、セシリが言い終わる前にきっぱりとそう言ってあるべき言葉の羅列を崩す。

「……」

「じゃ、じゃあ、幼なじみは実は王子様で……ってレファンスじゃ無理よね〜」

 何かを語ろうとしたセシリが、ステーキを食べつづけていたレファンスの方を向いてため息を漏らした。

「え?何?」

 パンを頬張りながら、レファンスは声にならない声でセシリに応えた。

「別に、なんでもない」

 遠い微笑を浮かべてセシリは、レファンスの視線から身を逃した。

「まあ、まだまだ焦る年じゃないだろ――。セシリ?」

「そうだけど、そういえば、なんでお姉は結婚しないの?」

「――?」

「僕も、そう思うんだけど……どうして?」

「あははは…。この話は終わりにしよう」

「え〜、聞きたいっ、ねえなんでなの??」

「それは言えないな……」

「やっぱり、良い男が見つからなかったんだ?」

「それもある」

「それだけじゃないの?」

「それだけじゃないが、それ以上は言えないな」

「ずっる〜い」

「ずるくない」

「あっ、セシリ…。どさくさに紛れて僕のステーキとらないでよっ」

「脂身はあげるから、それでイーブンにしなさい」

「――平和だ」











――――夜空に輝くオーロラは子供たちを包み込むように










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