雪に閉ざされた大地は、聖夜を迎え終わり、新しい年への秒読みを始めていた――。
光の残像を残して雪が舞い下り、大地はそれを無抵抗に包み込む。
大きな冬、
その足音は小さな北極圏の島に美しく、そして厳しく響いていた。
その足音を今年で14回聞いている少女と少年は――。
「ちょっとぉっ!レファンスッ、私はハムエッグがいいって言ったじゃない!?なんでハムがないのよっ!?」
一面白銀の雪に包まれた北極圏の小さな島の山の峰、煙突から煙を出している小さな木の家は、降り注ぐ冷たい朝日を浴びていた。
その家の中、北側の窓際の台所に元気な女の子の声が響いている。
「し、仕方ないんだよっ、燻製にしてたハムは、昨日で無くなっちゃったし、そのまま取っておいたのは悪くなってたんだから」
パジャマの上にエプロンを着込んだレファンスは、オタマを持って火にかけてあるシチューを掻き回しながら、テーブルのプレーンエッグを見て文句を言うセシリに納得してもらおうと、言い訳を始めていた。
「それをなんとかするのが、あんたの仕事でしょっ?」
「セシリだって、偶には何か作ってよ?」
セシリに追いつめられるレファンスは、逆にセシリにそう切りつめたが。
「あたしが作れるわけないでしょ」
と、あっさり栗毛の少女は、はんっと笑って言い切る。
「……作る気が無いだけなんじゃないの?」
「あったりぃ」
レファンスの憮然とした態度に半ばいい加減に答えるセシリ。
「っ!?」
――いつもの1日の始まりであった。
「ねえ、おじいちゃまは、結局いつ帰ってくるのかしら?」
セシリはプレーンエッグにケチャップをかけて、それをナイフで切ると、小さなテーブルを挟んで真向かいにいるレファンスに尋ねる。
「突然、本島に呼び出されるなんて変だよね……?」
レファンスが、シチューの皿に置いた視線を上げてそう続ける。
「しかも、大統領からの招集で行ったって話……聞いた?」
「そうなの?」
大統領。スターレイク諸島の最高権力者に義祖父が呼ばれたらしい事にレファンスは目を剥いた。
「らしいわよ、昨日お姉の家から帰ってくるとき、駐在所でポールさんから聞いた話だから間違い無いと思うし」
ポールというのは、この島の自治警察署の署長で、大抵の島の裏事情に精通している男だ。
「何しに行ったんだろうね?」
「おばあちゃまも、年明けるまで本島でしょ?なんか寂しいわよね?」
セシリは両手を頭の後ろに回して、イスにもたれ掛かり天井を見上げるとそう言った。
――ガタンッ
その刹那、響いたのは玄関の戸が開く音。
それは12月26日、聖夜より2日経った冬の日の出来事だった。
第5話「鋼鉄のガールフレンド」
昼下がりの港町。
雲一つない高い蒼い空が眩しいが、風はそれに反して心底冷たい。
「ほらっ、あの船じゃない? なんかド派手な船首像ね……」
セシリが言って指差す先。――巨大な船。まだ船橋から距離があるものの、その船首の美しい木製の女神像はよく目立っている。
「うわ〜、大きな船だな〜!!」
下を向いてセシリの少し後ろを歩いていたレファンスは、その言葉に視線を上げて船を捕らえると歓声を上げる。
レファンスの声は、この小さな島に見事な船首像を掲げる船がやってくることの稀有さを物語っていた。
船は近づけば近づくほど、その大きさが際立った。乗員は100人以上は居るのではないだろうか。その帆もまた巨大で優雅でもあった。
「しっかし、なんであたし達が、お客さんのお迎えに出なきゃなんないのかしら?」
「じいちゃんが居ないからじゃない?」
セシリは冷えついた指を両手で擦りあわせて、自分の息をかけながら問い掛ける。レファンスはそれに少し考え込むと、分かりきったような答えを事務的に返した。
「どんな人がくるのかしら?」
「う〜ん、お客さんっていうくらいだから、偉い人なんじゃないかなぁ?」
「偉い人?あたし達しか居ないのに、接待どうすんのかしら?」
「そ、そっか……どうしよう?」
と言って、二人で顔を見合わせる。
スターレイク諸島本島に行っている町長であるセシリ達の祖父から、客が来る、との連絡がセシリ達に届いたのは今朝であった。
「あ、ほら、降りてきたよ?」
船着き場の桟橋で船を見上げていた少女達。すぐに、乗員がそれを確認すると、後ろを振り向いて手で何かを合図する――おそらく、その来賓の少女を呼ぶ合図だったのだろう。それからほんの数分で、その客らしき人物は船橋を渡り現れた。
「あ”っ?」
あを濁したセシリ。その理由――。コートを羽織った金色の長い髪を靡かせる同い年くらいであろう少女が目の前に現れたのだ。
「……っ」
レファンスが、それに目を剥いて絶句する。
「――レファンスさんにセシリさんですね?レティシアと申します☆」
二人の目の前まで優雅な足取りで歩いてきたその娘――レティシアは、首を少し傾げて優しい微笑みを浮かべた。
ガシャァン
――何かの壊れる音が響いた
いや、それは少年の中だけで響いた。
「ふつつか者ですが、どうぞよろしくお願いします☆」
両手を体の前で重ねて、深々と頭をさげて麗しくそう言う。
「どうも、はじめまして」
セシリは、頬を引き攣らせながら言う。
「れ、れ、レレレのレファンスです。あの、あの、料理や家事が得意で、弱虫ですけどよろしくお願いします」
セシリの視線が忙しくレティシアとレファンスの間を動く。それを意に介さずネジ数本抜けてるのではないかと思わせるレファンスの脳みそ。それは無遠慮にスパークして、舌が震えている本体にそんな意味不明な自己紹介をさせた。
それを見たセシリは、やっぱりかと舌打ちする。
レファンスの金色の髪とは違う、クリーム色に近い長い髪に、すみれ色の瞳……。まるで何かの罠なんじゃないかと思わせるほどの可愛らしい顔つき、そしてレファンスの脳細胞を征服するには十分すぎる笑顔。
「おそ松です、よろしく」
レレレのレファンスに対して投げやりにセシリは、そう自己紹介をした。
「まあ、レファンスさんとセシリさんは、ご兄弟ではないのですか?」
日が天の頂上に輝く時刻。少女達は港町の一角にある、この島では唯一ともいえる喫茶店に入っていた。
「そ、全然似てないしね」
頬杖をついて、メニューを開いているセシリがぶっきらぼうに言う。
「あ、あのあの、レティシアちゃんは、どこから来たの?」
セシリとレティシアが、窓辺の席のカウンター側に座り、その反対にレファンスは座った。そして、モジモジとレティシアを見つめて真っ赤になっていた変質者寸前のレファンスは、おずおずとレティシアに問い掛けた。
「……はい?」
メニューを見ているセシリに視線を送っていて、その小さな少年の声を聞き逃したレティシア。少女は申し訳そうな顔で笑うと、少年を見て聞き返す。
「……あ、あ、あの」
レファンスは、その微笑みを見て絶句した。脳裏に激しく焼きつく少女の笑顔は、先程まで自分が何を質問していたかという事も冗談のように忘れさせたのだ。
「どこから来たのか、だって」
セシリが半ば呆れて通訳をする。
「失礼しました、まだ申しあげていませんでしたね。私は」
「おばちゃ〜ん、あたし、スペシャルイチゴパフェねっ!」
焦点が定まっていないレファンスの瞳。挙動不審なそれに微笑みかけながら、問いに応じようとしたレティシア。だが、その言葉をわざと遮るように、セシリがパフェを注文した。
「セ、セシリッ、レティシアちゃんがしゃべってるんだから邪魔しないでよっ」
レファンスが、セシリの声を聞いて、はっとして抗議する。
「レティシアは、何を頼むの?」
レファンスの抗議を無視して、セシリはレティシアにふる。
「セ、セシリッ、いきなり呼び捨てなんか失礼だよ」
「あ、レティって呼んでくださって結構ですわ」
レファンスとレティシアの相反する言葉が重なる。
「あ……」
レファンスは、その言葉を聞いて、セシリからレティシアの方に視線を揺らす。
「レファンスさん、お優しいんですね。でも、レティって呼んでください、その方が私も慣れているんです」
「……う、うん……じゃあ、レティちゃんだね」
「はい、レファンスさん☆」
クラクラ…
レファンスの頭が星で一杯になり、爆発する。まるで文末に星でもついてるかのような、強烈な言葉、微笑みであった。
「おばちゃ〜ん、レファンスには、男氷ストレートで」
「あいよ〜」
ほわほわと微笑むすみれ色の瞳に、すっかり魅了されているレファンス。セシリは、そんな言動が許せず彼の意思を無視して勝手に注文をする。
「あ、ちょっと……」
勝手に注文されたレファンスは、申し訳なさそうにセシリに抗議する。
「さ、レティも早く決めた方がいいわよ」
明らかに機嫌を損ねているセシリは、またレファンスの抗議を無視して、レティシアに促す。
「えっと。じゃあ私は、マロンパフェにします☆」
たくさんのメニューに、瞳を忙しく瞬かせていたレティは、そう言ってセシリに微笑んだ。
「……なんの味もしないよ」
レファンスの前に置かれた透明なガラスの器は、氷が装ってあるだけという罰ゲームにさえも使用できそうな物であった。それを一応食べてみたレファンスは、当然のような文句を言う。
ドンッ
刹那、机の上に響く音――。
「っ?」
視線を上げたレファンスは、また絶句した。
デコレーションケーキ――。そんな大きさの物が、突如机の上に置かれたのだ。
巨大な、中華料理の大皿の底を深めたような器の上のバニラアイスクリームにピンク色のクリームがかけられ、その上にはポッキーだのコーンフレークだの、生いちごだのが、ところ狭しと乗っているのだ。
「……まあ」
「何これ……?」
それを見た、レファンスとレティの声が重なる。
「だから……イチゴパフェだってば」
二人の声に笑って答えると、セシリは大きなスプーンをクリームの中に突き入れた。
「セシリ、食べるのはいいけど、また太ったーとか言って、僕を攻めないでよね」
レファンスは、普段からは考えられないような強気なセリフを吐く。それは、隣にいるすみれ色の瞳に自分の勇姿をみせようと思ったからだ。
それを悟ってなのかは知らないが、次の瞬間、レファンスの両目にポッキーが突き刺さった。
「レファンスさん。私のマロンパフェ……少し差し上げましょうか?」
「え…?」
無言で、氷を突っついていたレファンスは、視線をその声の主に向ける。
「氷ばかりでは、体に良くありませんし……ね?」
目が合った瞬間、レティは、微笑みながら右手のスプーンですくったマロンクリームを左手で下に落ちないように支えながらレファンスの口元へ運んだ。
「――っ!?」
レファンスは、それを見て手に持っていたスプーンを落とし視線をクルクルと回す。当然頭の中もフル回転であった。
『食べて良いのかな……?あれ?そのスプーンはレティちゃんが今まで使っていたものなんじゃ?』
そう思ってレファンスは、とりあえずセシリの方を伺う。セシリが居なければ、後ろめたい事を考えつつ、迷わず食べていた事は間違いない。
「………」
巨大なパフェをすでに半分制圧していたセシリが、そのレティの仕草を見て目を剥く。そして、迷うような……回答を求めるレファンスの視線に目を光らせる。まさに視線の集まるレティのスプーンは、死線と化していた。
「レティ、せっかくだけど、レファンスは、氷をそのまま齧るのが、大好きなの」
セシリが、隣のレティに優しくそう言うと、突き出したスプーンを下げさせようとする。
「まあ……そうなんですか?」
無理も無いが、明らかに驚きの声をあげたレティは、レファンスの瞳を見て応えを待つ。
「え”……?」
当然、氷をそのまま齧って喜ぶ人間がいるわけはなかった。
レファンスは、声を濁らせてセシリの言葉に反論する。
「そうよね?」
すぐさま、セシリが気勢を強めてレファンスに作り笑いで優しく言う。
「え……えっと」
迷うレファンス。
「ね?」
さらなるセシリの一言。
「――そ、そうなんだ、あはははははは」
レファンスの涙の一言。
「そうでしたの……私、余計な事をしてしまったみたいで……ごめんなさい、レファンスさん」
それを聞いたレティは、本当に申し訳なさそうに頭をペコりと下げた。
『謝るのは、僕の方だよ……』
と、レファンスは、思いながら曖昧な仕草を見せた。
―――日は西の海で赤く染まっていた。
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