「――おはようございます」

 朝一番、耳を撫でるのは感慨深い声。

 意識を回転させると――暗い、そこに視界は無い。

「くすっ……寝ぼすけさん……」

 続けて耳を優しく撫でるその声。安らぎがこみ上げてくる。

 ――ふいに額に感じるのは冷たい感覚。しかし、それは温もりも持っていた。直感的に誰かの手だと分かる。

「起きて下さい? 朝ご飯覚めてしまいますよ?」

 美味しそうな匂いが鼻をくすぐる。――朝ご飯の匂い?

『おばあちゃんが、起こしに来たのかな』

 レファンスは、声を掛けられて頭の中で返信している。唇はもぞもぞと動いただけで、言葉は発していない。絨毯の上で二枚の毛布に包まっている少年は、いつものように祖母が起こしにきたのだと思い、煩わしそうに寝返りをうつ。

「……クッキーが焦げてしまいます。あ、セシリさん、よろしくお願いしますわ」

『クッキー。セシリやおばあちゃんは、そんなの作れない、クッキーを作ってくれるのはお母さんだ』

「なに?こいつまだ起きてないの?」

「昨日は、遅くまで起きていらっしゃいましたから……」

「叩き起こせば良いのよ、見てて」

 ゴチンッ

「あたっ」

 軽く頭に落ちる何か。セシリのげんこつ。

 台所に消える後ろ姿。その少年の朝一番の光景はそれだった。

「あんた、いつまで寝てるのよ?」

「……」

 一瞬、レファンス思考が混乱する。その原因は目の前の少女。

「――セシリが僕のお母さんなの?」

 レファンスは、セシリと目を合わせると、そうほざく。

 ――。

 一瞬の沈黙の後、少女の顔がみるみる赤く染まる。

 ゴチンッ

  さっきとは違う、やや強い一撃。
「なっ、何馬鹿なこと言ってんのよっ」





――朝の風はクッキーの甘い匂いを空に運んだ











第7話「私の母です」












「お口に合いますか?」
「うん……料理上手いのね、レファンスのよりも美味しいかも」
「お、お口に合わせていただきます」
 朝の食卓。時計の針は9時を指している。
 朝食の用意はレファンスの番、いや、祖母が帰ってくるまですべて料理はレファンスが作る事になると思われたが、違う。
 テーブルの上に並んでいるビーフシチューとフルーツクラッカー、クッキーはレティシアによって作られた物である。
「よかったです☆」
 そのレティシアは、二人の返答に遠慮のない微笑みをこぼす。
 レファンスの言ったことは、よく理解できなったが、美味しそうに食べている事から楽しんでもらえているのだとレティシアは判断した。
「そういえば、クッキーなんてスカイレイク島じゃ食べられないわよね」
 クラッカーとシチューが一通りなくなたところで、クッキーをかじりながらセシリが言う。
「そうだよね、レティちゃんすごいや」
「ありがとうございます、お母さんに習ったんです」
「お母さん?」
 レティシアがペコリと頭を下げて静かに、強く言ったその言葉をセシリがすぐに返す。
「はい」
「そう……あたしやレファンスは、お母さんって知らないんだけど、そういうのって良いものよね?」
 そのレティシアの言葉にセシリは、目を細めると隣でクッキーを食べているレファンスに視線を当て、頬を少し赤らめて問い掛けた。
「……知らないというのは?」
 レティシアの不安の言葉が食卓に響く、返される答は予想できていた……故に音のテンションが下がっている。
「レファンスもあたしも、母親って覚えてないのよ、どっちも死に別れみたいで……」
「……」
 なるべく明るく振る舞って笑いながら、無理に笑いながらそう言うセシリ。
 レティシアは、何も言えない、言えるはずも無かった。
「気にしないでいいよ…?」
 珍しく、レティシアのそれを察し、場に合った弁明をするレファンス、昨日から燃え上がっていた頭がようやく覚めてきたのか。
「最もレファンスの方の事情は複雑みたいだけど……ね」
 セシリが、視線を走らせてそう続ける。
「僕は、お母さんの温もりや匂い……覚えてるよ?」
「へっ?嘘でしょ?あんた、そんな事一度も言わなかったじゃない」
「だって、一度も聞かれなかったから……」
「……レファンスのお母さんってどんな人だったの?」
「ん〜とね、なんかの花の匂いがする人かなぁ?」
 セシリの質問にレファンスは、首を傾げるとそう答える。
「はぁ?それしか覚えてないの?」
「う〜ん、後はね――金色の髪の人だった気がする」
 続けざまのセシリの質問に、同じように答えるレファンス。
「まあ、あんただって金髪だしね」
「……」
 その二人のやり取りを見て、無言で両手で口を押さえるレティシア。が、二人はそれに気づかず。
「でも、それじゃあ、覚えてないのと一緒じゃない?」
 セシリが苦笑してレファンスに続けて言う。 「そうかな〜?」
「そうよ」
 セシリは、そうよと言った、それは自分が全く母親の事を思い出せないことに関する復讐。
 レファンスだけが、覚えていると言うのは許せなかったから。
 ふいに囀られる小さな声、泣き声。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
 繰り返される消え入りそうなレティシアを謝罪の言葉。
「レ、レティ?良いのよ、気にしないで……?レティは、自分のお母さんを大事にしてあげて……?」
 レティシアの涙は、今にも流れそうで、目の縁に溜まっているが見える。
『本当に良い娘なんだ……』
 それを見て思い喋るレファンスの瞳。
「僕は、お母さんが居なくても平気なんだっ、だってセシリやじいちゃんや、おばあちゃんも居るし……それに今はレティちゃんもいるから――」
 レファンスの焦ってはいるものの的確に殺し文句の順番を決めていた。
「……本当ですか?」
 こぼれそうな涙。
「うん」
 それを止めようとするレファンスの強い一言。
「……」
 レティシアは、一瞬の間を置いて、自ら涙を拭って赤い目で微笑む。
「お二人はお優しい方ですね」
「う、ううん、そ、そんな事ないよ……」
 震えるレティシアの声に、レファンスが照れ隠しに頭を掻いて応える。
「いいえ、レファンスさんもセシリさんも、お優しい方です」

 ガタンッ ヒュウウウ

 刹那、レティシアの声を遮る扉の開く音。
 続けざまに響く風の音は冷たく。
「お邪魔しまぁっす、セシリ〜、大変大変〜!」
 ドタドタ
 声に続く足跡。それを追って響く女の子の声。
「ニナ?どうしたの?そんなに慌てて?」
 イスに座ったまま、玄関側の開く扉に視線を写しセシリが、頬を赤く染め息を切らしている三つ編にそばかすの目立つ少女、ニナに問い掛ける。
「はぁうっ!?レ、レファンス君!?」
 セシリの隣のレファンスを確認するとニナは、左手の小指の爪をかんで頬をさらに赤く染めもじもじと体をくねらせた。
「――な、なにっ?」
 脳裏に悪夢が蘇るレファンスは、引きつりながらニナにそう尋ねる。
「え、えっと……えっと……」
「どうしたのニナ?」
 もじもじするニナにセシリが苦笑する。
「わ、私、レファンス君のせいで、本当にお嫁に行けなくなりそうなの……街の人は皆、私が男の子を縛る趣味がある娘だって白い目で見るのよ――レファンス君、責任とって!!」
「ええっ!?」
 とんでもない事を言うニナにレファンスとセシリが驚きと抗議の声を上げる。
 レティシアは、なんの事か分からず、ニナに「初めまして」と挨拶をするとキョトンとして3人のやり取りを見ていた。
「うっそ、いくら田舎でも、そんなバカな噂が長続きするわけ無いじゃん、今日は、もっとビックニュースがあったから知らせに来たのよ!」
「あんたねぇ、あたしまで本気にしそうになったじゃない……で、ニュースって何よ?」
 あっさりと、話を切りかえるニナにセシリが続けて聞く。
「幽霊船よ、幽霊船が港に現れたの」
「――幽霊船?」
 聞いていた3人の声。レティシアも含めて唇が奏でる。





――――――風は空高く舞い上がった


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