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<日本共産党 リンチ殺人事件> Ver. 1.0

<日本共産党HPより引用>

Q「宮本リンチ事件」はほんとうですか?

A  前の部分略
 戦前は、ほんとうにひどい時代でした。日本共産党が、戦争に反対し、主権在民の民主政治を主張した というので、あらゆる弾圧が加えられました。そして、共産党を極悪の犯罪人にしたてあげようと、あり とあらゆるデマ宣伝がふりまかれました。この「事件」もその一つで、逮捕された宮本さん(宮本顕治名 誉議長)に「殺人」の罪を押しつけようとしたのです。  しかし裁判で、宮本さん自身が事実と道理をつくして論破したため、あの戦時下の法廷でも、政府の思 惑ははずれ、別の罪名で監獄に送るしかありませんでした。その「罪」も、戦後、日本が民主主義の時代 を迎えたときに、政府によって公式に取り消されたのです。
中略
戦時下の法廷でもウソが証明されました
<引用終>

まさに噴飯物とはこれでしょう。調べればすぐ分かる嘘を付くのはお家芸です。

<宮本顕治に対する確定判決>を引用します。(カタカナ→ひらがな)
引用開始
右の者に対する治安維持法違反殺人同未遂死体遺棄不法監禁銃砲火薬類 取締法施行規則違反被告事件に付き・・略・・判決すること左の如し。
主文
被告人を無期懲役に処す。
押収に係るアストラ小型拳銃壱挺及実包弾丸参発(押収番号略)は之を没収す。
理由
・・前の部分略・・
相応じて共に小畑を組み伏せ、尚も大声を発し死力を竭して抵抗する 同人を一同にて押しつけ、以てその逃亡を防止せんとして互いに格闘し 、因って同人に対し頭部、顔面、胸部、腹部、手足等に多数の皮下出血 その他の傷害を負わしめ、ついに同人をして前記監禁行為と相俟って 外傷性虚脱死(外傷性ショック死)に因り同日午後二時頃その場に急死 するに至らしめたるが・・略・・死体の処置に窮したる結果・・略・・ 同家床下に埋没せしめ之を遺棄し、略
引用終わり
参考文献;日本共産党の研究1〜3 講談社文庫立花隆著
       日共リンチ殺人事件 恒友社 松本明重編

次に 第14回尋問調書 被告人袴田里見 からの引用です。
リンチ共産党事件の思い出 平野謙 三一書房 刊 p248より。
(かたかなをひらがなに変え、句読点、濁音を補ってあります。)
引用開始
査問中秋笹が用意してあった斧の背中で大泉の頭をごつんと殴ると同人の 頭から血が出たことを見受けました。 又秋笹は小畑の足の甲あたりに火鉢のたどんの火を持ってきてくつつけました すると小畑は熱い熱いと云って足を跳ね上げました。 夫れがためたどんが畳の上に散って処々に焼け跡を拵えました。 その時私が薬缶の水を之は硫酸だと言って脅し乍ら小畑の腹の上に振りかけますと 同人は本当の硫酸をかけられたと感じて手で水を除けようとしました。 其の動作が余り滑稽であったので夫れに暗示を得て多分木島であったと思いますが 真物の硫酸を持ってきて小畑の腹の上にかけました。 すると段々硫酸がしみこんでくると見へて痛がって居りました又誰かが錐の尖で 大泉の臍の上の方をこずきましたら大泉は痛いと云って悲鳴を挙げていました。
引用終わり

これが「査問」です。

そして、「政府によって公式に取り消されたの」も虚偽であります。
宮本は昭和20年10月9日出獄しています。
当初、この釈放については司法省の特別の計らいによって「刑の執行停止」 が認められ、仮出獄となったと言われたようです。治安維持法違反だけなら GHQによる政治犯出獄令で無条件なのですが、先記のごとく殺人、 殺人未遂、不法監禁、死体遺棄という罪状ですから、政治犯出獄令による ものではありません。どうも、「病気による刑の停止」によったことが 明らかになった と書いてある本(「誰も知らない日本共産党のホンネ」  雷韻出版2000.5.15)がありました。どうやら仮病で・・。
この事件に同時に参加した袴田里見の著書「党とともに歩んで」のなかには 下記のように記されています。
p393 より引用
 「網走で宮本顕治同志が釈放されたというのは、これは網走刑務所長の まちがいだったか、あるいは司法省から行った書類の不備だったのでしょう。 そのまちがいがあったことがひじょうに助けになったわけです」
引用終わり

日共スパイ・リンチ殺人事件こそ、過去の一事件として問われているのではなく まさに現在、只今 に於ける共産党と共産主義者の姿勢と責任の取り方 を問われているのである。
過去、宮本顕治、袴田里見らは自己美化と権威主義、党内民主主義の破壊、 歴史の歪曲と偽造を繰り返し、未だにリンチ殺人事件に付いては、現在の彼党の HPに露骨極まりなく顕現されているように、全く、その歴史的事実を直視する 目と勇気を持ち合わせていない。
根を同じくする共産主義者特有の人格的欠陥から リンチ殺人事件ときわめて酷似した 連合赤軍リンチ殺人事件を発生せしめたことも解かれるべきその原罪として共に背負い 込む必要がある。客観性の欠落した情勢判断の拙劣さ、疑心暗鬼、内ゲバ殺人と手段方法 に至るまで酷似しているからである。そして、第一の日共スパイ・リンチ殺人事件は今に 至るまで自己批判と総括がなされていないが為に。

其の時代委員長であった田中清玄の手記によると共産党はピストルを大量に密輸入し 資金もコミンテルンから得ていました。50件を越える警官殺傷事件があったのです。

田中清玄 武闘共産党時代 (日本共産党の研究1 立花隆より孫引き引用)
引用開始
中国共産党の技術機関と連絡をとる。・・中略・・大きな船に密かに積み込んで神戸に入港 する前に、須磨の沖あたりで、完全に防水を施した箱に入れ、浮きを付けて海中に投ずる。 あらかじめ打ち合わせがしてあるから、夜中に小舟でそれを拾いに行くというわけである。
引用終わり
このピストルを使って、特高(当時は丸腰で逮捕に臨んだ)に対するピストル乱射など もうメチャクチャです。
一方、自分の陣営内部に対しては、日共スパイ・リンチ小畑殺人事件の発生の前年 にも 全協関係の党員、活動家であった尹基協をくじ引きの結果、村上某が加害者となり、 ピストル射殺、また、平安名常孝を絞殺と刺殺を東京荏原戸越長応寺墓地脇で謀るも 加傷のみで殺人は未遂、があったのです。

先に挙げた「袴田 尋問調書」はひねくれ者に云わせると官憲の拷問に屈しての虚偽だと云い かねませんが、袴田は 彼自身が書いた本 「党とともに歩んで」 新日本出版社 で
引用開始
わたしの病気も相当ひどい状態だったし、そのまましばらく調べをやらなかったのです。 ですから、わたしは拷問されないままです。
引用終わり
とはっきり書いています。
この本は 宮本顕治により、間違っていると部分改訂させられたりの挙げ句に、とうとう絶版に させられてしまいました。−−−言論弾圧です。(小生が持っているのは1969.6.20 第2版です。)

参考文献;日本共産党の研究1〜3 講談社文庫 立花隆
       日共リンチ殺人事件 恒友社 松本明重編
       リンチ共産党事件の思い出 平野謙 三一書房
       党とともに歩んで  袴田里見 新日本出版社
       誰も知らない日本共産党のホンネ 雷韻出版
       ほか