齋藤麗奈&ailu


You don't give up/華原朋美
「ほんとうに行くの?」
 あたしが聞くと、陸は
「うん」
とだけ、こたえた。
陸はあたしの双子の弟で、うまれたその日からずっとずっいっしょだった。 ずっと一緒に生きてきたから、だから、陸とあたしは離れたら生きてはいけないような、そんな気がしていた。
陸がアメリカに行くと言いだしたのは突然だった。
あたしは驚いて。信じられなくて。陸が旅立つ今日になってもまだ実際のところ信じられなくて。
あたしは止めた。何度も。
でも、双子だけど弟で、だからいつだってあたしの言うことを聞いてくれた陸は、今回だけは首を縦には振ってくれなかった。 今までのうんって簡単に言った分全部返上していいから、今回だけうんって言ってくれればよかったのに。お風呂先にはいるのだって、おやつ大きいほうくれるのだって、遅刻しそうなの待っててくれたのだって、駅まで夜中に迎えに来てくれたのだって全部なくなっていいから陸にここにいて欲しかった。
でも。何でだか、本当は解ってた。
「ギター勉強しに、アメリカ行くよ俺」
そう陸が言ったときに。
なんでだろうね。とめられないことが、わかってた。
男の子はいつだってずるい。
いつまでもあたしの手の中にいそうなそんなふうだったくせにいつのまにかそんなふうにちゃんと男の顔をして。
「りえこ」
「何よあたし手伝わないわよ、あんたが勝手に行くこと決めたんだから全部自分でやりなさいよね準備」
「…りえこ」
あたしは背を向けたままそう言った。のに。
「ごめん」
陸が後ろで言った。なによごめんなんて、あやまるつもりもないくせに。あたしがいくら行くなって言ったって行くからごめんって言ってる。
「りえこ、泣くなよ」
「泣いてる女の子に向かって泣くなって言う男なんて最低!」
「…ごめん」
陸があやまったけれど、本当はごめんはあたしの方だった。わかってるよやつあたりだって。泣いても何もひきとめられないってこと。いつ知ったんだろう。こどものころから、りえこ、りえこってついて来るばかりだった陸。あたしだけ気付かずにいたのかな。いつのまにか陸はもう大きくなっていて、もうこんな小さな世界では窮屈で生きられなくなってた。
それとも陸がずっとだまし続けてくれてたのかな。
本当はあたしの守る手なんてとうの昔にいらなくなっていたのに。必要なふりをして。あたしから姉の役目を取り上げずにいてくれていたのかな。
あたしだって。ほんとうのほんとうは。きっと陸もいつか遠くへ行くんだって解ってた。
見えないけれど確かにそこにある陸の羽がいつか、空に飛びたがるだろうと知っていた。あたしは立ち上がり、一番大事にしていた熊のぬいぐるみを陸の胸に押しつけた。
「おまもりよ」
陸はびっくりしたようにあたしを見た。
「あたしの一番大事なものをあずけるわ。ちゃんと持って帰ってきてよね。あずけるだけなんだから。あげないわよ」
「…うん」
赤いくまのぬいぐるみを、陸がとても大切そうに抱いた。
「だいじにする」
赤いぬいぐるみは陸の腕の中にすっぽりおさまり、なんだかはじめからあたしの部屋じゃなくてそこにいたみたいだった。
 あたしのかわりにまもってね陸を。
 あたしは陸の胸に抱かれたくまに、そう言い聞かせながら、頭を撫でた。
「手紙書いて」
「わかった」
「何かあったら飛んでいくわ。陸はあたしの弟なんだから」
「うん、頼りにしてる」
陸がそう言って笑った。私は心の中で呟いた。うそつきね、と。本当はあたしのたすけようがないところに行くのにね。それは地理上の問題じゃない。もうあたしなんかが入り込めないほど厳しい世界に行くんだもの陸は。
「だいじょうぶだよ陸の夢は叶う」
あたしは言った。陸は無言であたしをじっと見ていた。
「今まであたしの言うこと正しかったでしょ?そのあたしが言うんだもの間違いないわ」
「うん…ありがとう、りえこ」

 いなくなるの淋しいけれど。
 それでもやっぱりあたしの自慢の弟だから。
 ちゃんとひとりで飛び立てる、そんな風に育っていたのが誇らしくもあるの。本当よ。

 陸という夢。
 それは、ひとつの、あたしの夢。


 飛び立つ飛行機を見送り、あたしは今まで着たことがない大人びた服を一着、買った。