カリオカが観たり読んだりした お芝居・映画 について書いています。

MONO‐錦鯉〜@中野 ザ ポケット 2000年6月3日

 落ち目のヤクザさん、親分が病気で亡くなる。

その跡を受け継いだのは、とある弱気の元サラリーマン。奥さんは、インテリア好き、くまさん好き。

組の二代目と目されていたのは、一人息子。

しかし、本人ヤクザにむいていないと思っているらしい。

一人奮闘しているのはチンピラからあがってきた組員

そして、フリーターをしていたどうしようもない組長の幼馴染、吉田

元サラリーマン組長は、“新しいヤクザの形”を目指して
イメージアップ戦略、シマの掟をも無視して(といえばかっこいいが、なにもできないだけ。)に取り組む。

ある日、抗争に巻き込まれ、ケジメをつけるために一人乗りこむ
サラリーマン組長。そして彼は刑務所へ・・・

刑期を終え帰ってきた彼を迎えるのはカタギに戻り
中華やさんを経営している元ヤクザさんたち。

組長はそこにもまた自分の居場所がないことに気がつく・・・

とまぁ、こんなお芝居でした。

何がおかしいって、まずしゃべりが京都弁か大阪弁かよくわからないけど2時間笑いっぱなし。
多分彼らみんなジモティーなんだと思う。うそくさくない だから、ドスのいれかたも悦に入っていてかっこいい。

とくに、女優さんなんて。

けど中に、はっとさせられる要素があるのね。

新しい形って?世の中のルールって?ヤクザのルールって
ケジメって?友達って?夫婦って?みたいな感じで。

私はオセロをやるところが好き。

オセロって、挟んで、裏返してってゲームでしょ 劇中では無邪気にオセロがめちゃめちゃ流行っている。
なんの意識もないのかもしれないけれどオセロがキーワードのような気がした。

物事には黒と白があって、うらがえすとそれは黒くなったり、白くなる。
けれど、白黒では割り切れないものもあるんじゃないかなっておもった。

 

ゴド−を待ちながら at STUDIOコクーン 2000 212

「ゴド−を待ちながら」は2時間強に及ぶ間ひたすら“待つ”という行為を見せるお芝居です。

ウラジーミルとエストラゴンという二人の浮浪者が一本の木の下でゴド−さんという人と待ち合わせをして、一日中待っています。二人は暇を持て余しては靴を脱いだり、履いたり、木にロープを掛けて首吊りごっこをしてみたりします。二人が待っているところにポッツォとラッキーという二人組がやってきます。ポッツォはラッキーの主人で、ラッキーをひたすらいじめます。ウラジーミルとエストラゴンはラッキーをみて不憫だなぁとは思いながらも暇が解消できたと内心では喜んでいます。二人も去り、伝令の男の子が「強はゴド−さんは来られません」と伝えて第一幕が終わります。

第二幕もほぼおんなじことの繰り返しです。変っていることといえば、木の葉が落ちていること、またやってきたポッツォの目が見えなくなっていることくらいですが、話の筋にはなんら関係ないことです。

こんな何も起こらない芝居ですが、かなりおもしろかった。なぜかというと、演じられた空間がスタジオコクーンというキャパ200の小さな空間だったことがまずあげられます。浮浪者を演じる緒方拳、串田和美という名優二人の芝居がどこまでが台本なのか、アドリブなのか、演技で笑っているのか、それとも素なのか。といったスリリングさを感じました。さらには役者二人が互いの呼吸を探り合い、その間合いと駆け引きを楽しんでいる緊張感が客席にまで伝わってくるのです。ストーリーは本当に何も起こりません。しかし、あの空間での時間は非常にドラマチックでした。

もう一つの発見は串田さんによる美術です。「ゴド−」には必ず一本の木が舞台上にあるということが決まりごととされていたそうです。しかし、今回は舞台の上には何一つなく、客席越しの壁に一枚の絵がかかっているだけ。そこに一本の木と待つ二人の構図。第二幕になると、木のはっぱが落ちていました。

アドリブと笑いをふんだんに盛り込んだ演出と上演史を覆す美術。予備知識なしで見ていたら何とも感じなかったと思いますが、N氏の熱くも眠い講義を聴いてからでしたので最後にまとめます。STUDIOゴド−は不条理演劇として確立されている「ゴド−」に対する串田さんとスタジオコクーンの実験だったのではないでしょうか。

PLAY

THE MAN WHO(99年10月13日於世田谷パブリックシアター)演出 ピーターブルック

「ザ マン フー」。日本語にすると、「〜の男」というタイトルです。原作は、「妻と帽子を間違えた男」(オリバーサックス)で、彼は、映画「レナードの朝」の原作者でもあります。ぴんとくる人がいるかも知れませんが、この小説も脳の病気の患者たちが主人公です。
 妻と自分の帽子を間違えてしまった男。 自分の足を認識できない男。 単語とモノの関係を認識できない男。 10秒前のことを忘れる男。 こんな患者たちと医者のやり取りがユーモアたっぷりに繰り返されます。しかし、観客たちの「笑い」は決して嘲笑ではなく、微笑ましいものだったように感じます。私も何度となく笑いました。それは、医者と患者の両方を演じた俳優たちの演技が、本当の患者が演じているような錯覚を感じるほど、すばらしいものだったということ、と同時に医者を演じる俳優が医者になりきり、私たち観客に対しても毅然としたメッセージを常に送っていたためではないでしょうか。
 私は、患者たちに対して同情を感じたのではなく、彼らがそこで生きているということを強く感じました。そして、月並みだけれど、自分が今健康だということに改めて感謝しようと思いました。ヒトはいつ病気に罹るかわかりません。それが、身体的なものか精神的なものかもわかりません。しかし、病気は、それをどう受け止めるかということで変わるものなのかもしれませんよね。接する人たち、つまり、医師や看護婦、家族も大切だと思います。
 すばらしいお芝居に出会えたこと、そして、これを見に行こうとおもったきっかけを二年前にあたえてくれた生理学のコイケに感謝・感謝です。 今、コイケどこで教えているんだろうねぇ? 

Kunisada(99年10月8日於セゾン劇場)

国定忠治のお芝居を観ました。国定忠治(市村正親)て人は「強きをくじき、弱気を助く」と言う感じで、農民に人気があったらしいけれど、所詮はヤクザの世界に生きる男なわけで、最後には子分の一人に裏切られ、磔にされてしまいます。ぜんぜん、カッコ良くない全盛期とは程遠い姿なのに自分の信念に正直に生きた男の姿がカッコ良かった。
平凡な毎日とあくせく働くことを嫌い、丁半の博打に賭けた人生。勝ち負けだけが全ての世界に生きながらそんな最期を遂げることになった彼は、自分の人生に勝ったかどうか、わからないと言います。堅実型で、地道な私はヤクザな男とは絶対うまくいかないだろうな。けれど、そんな人想う女たち(本妻お鶴、妾、お徳・お町^利子三役)の気持ちは、わかるような気もして?
はじめは、時代劇?面白いのかなぁ?と思っていましたが,鉄骨むき出しのセット、照明の使い方はかなり斬新でしたし,スクリーンを多用して、時代背景を説明したり,舞台転換をスピーディーに行ったり(ほんとに早かった)と、きめこまやかさが感じられました。また、スローモーション、早変わりなど歌舞伎の手法を取り入れたところはやっぱり串田和美だなぁと思いました。

MOVIE

A Simple Plan

サム・ライミ監督 ブリジット・フォンダ ビリー・ボブ・ソ−ントン ビル・パクストン

あなたは、どんな人生を送りたいですか?普通であることの幸せってどんなことだと思いますか?この映画にはそんなメッセージがこめられていると私は受け取りました。 仕事にも子どもにも恵まれ、生活は楽じゃないけれど、そんなに苦しいわけではない。そんな普通の夫婦が偶然大金を手にした。「ほとぼりが冷めたら、このお金を持って、どこか遠くで暮らそう。」最初は実に“シンプル”な計画だった。しかし、お金は彼らを普通にはしておかなかった。何か起きるたびにびくびくし、良心に苛まれる生活。それでもお金に対する執着を捨てられない二人。そして、彼らが選んだ最後のプランとは… ‘シャロウ・グレイプ“に少し似ているけれど、人間の性を描いたという点ではこちらのほうが観ごたえがありました。両方おすすめです。ユアン・マクレガーが好き方は、後者で初々しい彼に出会ってください。