三嶺会あいさつ


 金沢高師の歴史は、昭和十九年から昭和二十七年までの僅か八年、敗色こい戦火の中に生まれ、戦後の学制改革の嵐の中に消えていった。明治以来の学校教育百年の中のまことに短い歴史であり、しかももはや三十年も前のことである。

 現在、富山県内には金沢高師出身者が五十一名、教職にある者は大学、高専を含めて四十九名である。
 しかし、とにもかくにも、われわれの三十年間の身すぎ世すぎは、やはり金沢高師を出たからであり、そういう事実を素直に受け止める年齢になったと思う。

 三十年も前の四年間は、もはや漠とした記憶の彼方という感があるが、ここにこうして一同集まると、不思議に若やいだ血が騒ぐことをおさえきれない。このことが、たまたま三嶺会を開催する第一番の意義であろうと思う。
 ご苦労して、開催までこぎつけた幹事の皆さんに改めて感謝します。

 さて私は近頃になってやっと、わが金沢高師の校歌の価値というか、素晴らしさがわかってきた。平易な言葉で味わい深い詩である。室生犀星の傑作の一つであると思い、彼の詩集を何冊も調べてみたが、掲載されていない。犀星は、昭和十九年八月(五十五歳)から軽井沢に疎開し、きびしい冬もすごし、同地に二十三年まで住んでいた。
 弘田龍太郎の作曲を得て、はじめて正式に制定発表されたのが昭和二十一年一〇月である。第二代校長 塩野直道先生 在職中なので、先生の絶大な力があって出来たものと推察される。
 
 何にしても日本を代表する詩人と作曲家によって出来たが、これを守るものはわれわれだけで、継承するものがないとは些かさびしい限りである。
 しかし、せめてわれわれだけでも声高らかに歌いたいと思う。
 
 本夕は、お互いに久しぶりのなつかしい顔に会って楽しい愉快な宴になることを確信しています。
 体をこわさない程度に、大いに杯をかわしてほしい。


三嶺会(金沢高等師範学校同窓会 富山支部)にて    1986年頃
金沢高等師範学校 校 歌
            室生  犀星  作詞
            弘田 龍太郎  作曲

1 泉湧く まさごの
  おのづから みがかれ
  おのづから 光りて
  珠となり 湧くを見よ

2 白峯越ゆ 北の国
  まごころを きたへる
  わかうどの われらに
  学びこそ いのちなれ

3 北つ海 わきたち
  天うてる 波なみ
  ゆるみなき われらは
  みちびきに いさまむ