なぜ埋蔵文化財を保護するか


 昭和二十四年の法隆寺金堂壁画炎上事件が契機となって、翌二十五年「文化財保護法」が制定され、二十九年に一部の改正がおこなわれたままであったこの「法」が、二十一年ぶりに大改正となり、昭和五十年十月一日に施行された。これは、一九六〇年代の高度成長期に、日本列島が大きく変貌をとげた中で、過去数千年の歴史が国土の上にきざみこんだ多くの史跡が次々と破壊され消滅しつつある状況と、オイルショック以来の経済優先から文化優先への価値観の移行が胎動しつつある現実を踏まえてであろう。

 道路・新幹線等の交通網の建設、工場や住宅団地の造成、圃場整備などの農業構造改善事業、河川の改修工事に土取り事業ーーーどれをとってみても文化遺産の破壊を伴わなかったものはない。恐らく日本歴史上最大の「開発」時代は、即最大の「破壊」の時代ともなった。

 しかし、この文化遺産や歴史的景観の破壊と急激な変化は、住民の精神面にも深刻な影響をもたらした。かつてその町に生き、その町の発展につくした先人たちとのつながりが一つ一つ失われてゆく。そして町がより近代的な装いをこらしてゆこうとも、それは所詮、鉄とコンクリートからなる荒涼たる砂漠になりつつあると感じはじめた。
 文化財を守ろうとする住民の願望は、今やひそやかにしかし着実にひろがりつつある。単に学術資料としての文化財を守るというだけでなく、自分たちをとりかこむ自然的、歴史的環境を守ることが結局は自分たちの生命を守り生活を豊かにするのだという大衆の確信が芽生え始めたからである。文化財保護法があるからせねばならないというだけの行政的施策ではまことに底が浅いと言わざるを得ない。

 さて、文化財と言っても実に広汎であるが、ここでは特に開発事業とかかわりの多い、埋蔵文化財の保護について言うならば改正された主な点は、
 (一) 土木工事等を周知の埋蔵文化包蔵地で実施する場合は、
  その六十日前まで届け出ること。
 (二) 国や地方公共団体が周知の包蔵地で土木工事等を行う
   場合は、あらかじめ文化庁長官と協議すること。
 (三) 国や地方自治体は、埋蔵文化財包蔵地の所在を周知徹底
   させるための必要な措置をとるように勤めるべきこと。
 (四) 土木工事によって新しく遺跡が発見された場合、必要なとき
   には期間を限定してその工事を停止させることができる。
 (五) 地方公共団体は文化財保護のため発掘調査を実施すること
    ができる。

 以上が土木工事に関連した改正点であるが、法律をいくら整備強化しても埋蔵文化財が完全に保護されるものではない。実例を挙げてみよう。

 日本国土の総面積三十六万九千平方粁(キロメートル)のうち、遺跡包蔵地は三十万箇所と推定される。ざっと一平方粁に一箇所だが、山地・河川敷などの六割をのぞけば、利用可能な四割に集中している。例えば東京都多摩ニュータウンでは一平方粁当り十七箇所、横浜市港北ニュータウンでは十九箇所という。試みに本県でいえば、総面積四千二百平方粁のうち包蔵地は約千五百箇所とみてほぼ違いなかろう。過去の埋蔵文化財の調査費用を調べてみると、昭和四十年には三十万円、四十五年、五百四十万円、五十年、四千九百六十万円と驚異的な伸びを示している。
 これは文化遺産の破壊という点からいうと、まことに憂慮すべき悲しい伸びといえる。全国的にいえば調査個所は、昭和三十五年には百四十三件、四十五年、九百五十一件、五十年、二千六百九十四件であり、今世紀中には、土木工事の対象の中に含まれるものは、七万五千件と見込まれ、そのうち三割の二万二千件が破壊されるだろうと専門家は見ている。
 
 埋蔵文化財は、他の文化財と異なってまことに目立たないものであるが、埋蔵文化財こそすべての文化財の基礎であるという認識と、それが先人の歴史を、ひいてはわれわれ自身のなりたちを考える上で欠かすことのできない大切なものであるという愛着の精神が、埋蔵文化財保護の最大の基盤である。
 土中から際限もなく出てくる土器の一片をそんなに有難からなくてもよいのではないか、「歴史」よりも現在の「生活」を優先させるのは現代の常識であると一部の人は言う。しかし、他国に比して、わが国の埋蔵文化財の最大の特質は、単一民族によって一つの系列の中で積み上げられた文化遺産が、異民族によって破壊されたり持ち去られたりすることが全くなく守り続けられたことである。
 この文化財が、現代の常識の名のもとに、歴史上空前のスピードで開発による破壊を受けている。このままの調子で進めば、『何千年というスケールからすればまさに一瞬にも等しい千九百七十年代という十年間に、遺跡の殆どが破壊された』と、後世の子孫をして先祖のわれわれの愚行を歎息させるに違いない。
 考古学の研究は戦後飛躍的に進展した。そして近い将来には、一片の土器からすら何千年前の歴史が手に取るように解明されることも可能となろう。その時すでに遅く、包蔵地の殆どが荒廃し、遺跡は文字通り跡形もなくなくなっていたでは済まされまい。破壊から守る歯止めが今日ほど強く求められる時代は無いのである。
 そして保護法の順守もさることながら、何よりも埋蔵文化財保護と愛着の精神が、行政組織内はもとより、すべての県民の中に生まれなければならないのではあるまいか。 

    原稿から             1976年頃