わが読書事始め


 NHKの朝のテレビドラマ「マー姉ちゃん」は、主人公の性格がすこぶる明るいということで、なかなか評判がよいようだが、通勤の時間帯なので、めったにお目にかかれない。たまたま先日見る機会を得たが、その時に登場してきた人物は田河水泡とか菊池寛というなつかしい人たちであった。どうやら時代設定は、私の小学生時代と一致しているようだ。のらくろや少年倶楽部という言葉も出てき、思わずわが少年時代を回想させられた。

 近くの裏山を泥まみれになって駆けまわっていた友だちが、夕暮れとともに、めいめい弟や妹の手を引いて、それぞれ家へ帰って行く。私も仕方なくひとりさびしくわが家に帰る。ガランとした家の中に、あまり明るくない電燈がともり、母ひとり子ひとりのささやかなタ食がはじまる。遊び疲れとひそやかな夜の静寂のせいか、私は食事中に何度となく、食卓の上に頭をのせていねむりをした。そのたびに、母が握りこぶしでドンドンと食卓の上を叩いて、食事を続けさせる。
 質素なタ食もやっと終り、台所から聞こえる食器の触れ合うしめやかな物音を聞きながらいつか寝入ってゆく、そんな毎日であった。テレビはもちろんラジオもない昭和の初期の農村の家庭。考えてもみたまえ、その頃のひとりっ子の小学生にとって、夜のなんと長く、なんと静かに、なんとけだるく、そしてなんと暗かったことか。

 そんなある日、伯父が一冊の雑誌を持ってきてくれた。それが少年倶楽部である。はじめて見た。そして読んだ。読んだ。何回もむさぼり読んだ。大げさな言い方で少し恥ずかしいが、この一冊が、閉ざされた山の子の私に、未知の世界への扉を開いてくれたし、読書の喜びと楽しさを教えてくれたのだと言えよう。その後のわが読書遍歴の出発点である。

 小学校を卒業し、当時では難関と呼ばれた旧制中学校の入試もどうやらパスしたが、入学してみると見るもの聞くものすべて山の子にとっては驚きの連続である。とりわけ強烈な印象は、入学式の翌日の第一限の国語の授業である。恩師Y先生は、始業のお辞儀をしてみんな着席するかしないかに、「教科書の第一課を読めるものは挙手せよ。」とおっしゃる。

 入学の夢いまださめぬ悪童達も、予習という言葉さえ知らない山の子も、全くど胆をぬかれて声もない。しかし、たいした男もいるもので、サッと手を挙げ、指名されるや、音吐朗々と淀みなく読みはじめた。「山道を登りながらこう考えた。智に働けば角が立つ。情を棹させば流される。意地を通せぱ窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。-…-。」これが夏目漱石の「草枕」の冒頭のくだりであるとは、その時は知る由もなかった。
 村長さんの家にしかないラジオでしか聞いたことのない標準語とやらのアクセントで、すらすらと読んでゆく、中学一年。同級生M君には全くびっくりした。ひそかに持っていた井の中の蛙の、読書に対する自負心は、微塵に砕かれ、自分の読書は少年倶楽部の周辺を出ない甘いものだったと悔やまれた。

 そこで、中学校五年間かけて学校の図書館にある万巻まではいかないが、新潮社世界文学全集の全二十五巻(一冊は約五百ぺージ、上下二段組の活字でぎっしり)のすべてを読破しようという壮大な計画を立て、あわせて図書委員を買って出たのである。それからのことは、またの機会にゆずらせていただく。


      学校長 木下 周一
        富山県立富山東高等学校 「図書館だより」
                  1979年