初心忘るべからず

 二十年も前になるが、謡曲を習っていた一時期がある。学生時代に何回か通った能楽堂の、特に厳寒の能舞台のあの清冽な空気が何とも忘れられず、三十を過ぎての遅蒔きながら、知人の紹介を得て、観世流のN先生に弟子入りしたのである。
 授業中は、つい、声が大き過ぎて、いつも隣りの教室から苦情が出るくらいなので、のどには自信があった。自分の順番が来ると、老先生の前に正座して、先生のあとから、おうむ返しに一区切りずつ声を張り上げる。衆人環視の中でも、下手は当然と余り気にならないほうであった。
 わけて、激励のお気持ちもあろうが、たまに先生から、「あんたの声は謡曲にぴったりだ。などと言われると、素直にその気になって、せっせと通ったものである。ただし、節回しが良いと賞められた記憶は無い。それでも、背中をピリツと伸ばし、丹田に力を入れて、音吐朗朗(本人はそのつもり)と謡うのは、本当に爽やかで気持ちのいいものであった。

 三、四年も通っていると、いつか職場の同僚にも知れ、自分も習いたいという人が何人も出てきた。そこで希望をとってみると、十数人もいる。先生にお尋ねすると、「それなら、みんなの都合の良い曜日に学校まで出稽古してやる。」とおっしゃる。かくて、職場の同好会が成立し、行きがかり上、世話係を引き受けた。先ずは、型どおり「鶴亀」から始まり、「橋弁慶」、「吉野天人」へと進む。
 人数が多いのと、限られた時間帯なので、どうしても集団斉唱の稽古にならざるを得ない。ところが、これが落し穴であった。というのは、仕事の関係でどうしても稽古を休まねばならぬという時、斉唱だから一人ぐらい欠けてもと、勝手に割り切られてしまう。一回休むと次回に出席しても、斉唱が何となく不都合になり、ついついまた休んでしまう。そんな人が徐々にふえ、三月もたたぬうちにおかしくなり、わざわざお越しの老先生に言い訳すること数回、ついには解散してしまった。

 私としては、先生に会わせる顔がなく、私自身の稽古もやめざるを得ぬ破目になったと、当時は、そう思った。しかし、今考えると、些かの面子にこだわって中途で投げ出し、もったいない気持ちがする。まさに、「学習は、集団にあらず、個において成立する。」と言うべきか。幽玄の世界の入り口で挫折したのである。
 "初心忘るべからず〃これは、謡曲の完成者、世阿弥元清の言葉である。謡曲を芸術の域にまで高めた世阿弥が、六百年の昔、芸道上達の秘伝として、「風姿花伝」に、ついで「花鏡」に記して子孫に戒めた名句である。勉学でもスポーツでも、あるいは芸道や職業でさえも、万事慣れるとマンネリズムに落ち入るのは、人間の悲しい性であろう。当初の意気込みが、いつの間にか冷め、水の低きに流れるように、気付かぬうちに安易と怠惰の方向に流れてゆくものである。さて、これを打ち破る鍵は何か。それは、ただ、初心を忘れぬひたむきな精進だ、というのであろう。世阿弥は、自らの苦しい体験の中から叫んだのである。「命には果てあり、能には果てあるべからず。」と喝破し、その果てなき芸道精進を支えるものは、これしかないと説く。

 初心不可忘。 時々、初心不可忘。 老後、初心不可忘  (花鏡)

 即ち、若年の時はもちろん、修業の各年代においても、さらには老後に及んでも、常に、初心を忘れるな、とは、まことに厳しい言葉である。

 本校の校訓は、初代村上校長の鏤骨彫心の傑作であり、その目指す所といい、その品格といい、他校の追随を許さない名訓と思う。本校に学ぷ若者よ、かくあれかし、との熱い願いが伝わってくる気がする。しかし、この校訓を、単なる理想やお題目としないで、日日実践しようとすると、これは、大変な難事ではあるまいか。そして、その実践のために必要なエネルギーは何か。これこそ、私は、初心を忘れぬ不退転な「決意」であろうと思う。私にとっての謡曲の如く、人生には、至るところに、中道挫折の要因が満ち満ちている。それを打破するためには、常に初心に帰る謙虚な反省と力強い意志の力が必要であることを強調したいのである。

              巻頭言   学校長  木下周一