紅はわが心
 最近は車で通勤している。富山の茅屋から魚津まで片道およそ一時間。日によって、渋滞の有無で約十分の増減がある。国道八号線や、これと平行したりする県道、この道あの道と道順を替えて走り、この頃ようやく定まった感じだ。結局、一番遠まわりと思われる国道の広い道が、最も安心な、馴れた道に落ち着いた。ラッシュを避けるためとて、小道をひやひやしながら走る小細工よりも、国道を車の流れに乗ってゆったり走るほうが性に合うし、しかもそれなりに早く着くと悟ったからである。

 「行不由径。」 行くに径(こみち)に由らず、と読む。二千五百年も昔の孔子の言葉である。小道を行かず、むしろ天下の大道を堂々と歩め。この聖人の箴言が、現代の通勤心得をこうもぴたりと言い当てているのには、恐れ入るばかりだ。論語の中の数多くの教訓の中でも、私の最も好きな一つであるが、マイカー族の通勤方法を規制するためのものでないことは、言うまでもない。それどころか、むしろ私は、これを積極的に利用させてもらっている場所がある。それは結婚式場だ。この頃の披露宴は、多くの場合、色紙が回ってきて何か一言寄せ書きを、と求められる。こういう時、私はきまって、「行不由径」の四文字を書く。
 人生の大道を、若い二人が協力し合って胸を張って歩いてほしい、と願うからである。

 昨年三月末の教職員人事異動で、屋敷県教育長の内示を受けた折、
 「その前身が十九世紀に創立された学校は、県下に三校しかない。あなたには、そのうちの一校、名誉と伝統に輝く魚津高校へ行ってもらいます。」
 と言い渡され、過分の重責に身の引き締まる思いだったことを鮮明に思い出す。

 そして四月、本校に赴任し、初めて校舎前庭に立ち、緑衣青々たる古杉老松の見事な巨木を仰いで、思わず感嘆した。これこそ、魚津高校の魂の具象でなかろうかと。さらに、新築成った校舎四階に昇ると、教室からは、雪燃ゆるアルプスの白き峰々が見え、反転、目を移せば、グランドの桜の梢越しに、万波寄せくる有磯海が広がっている。まさに、中越の海山の心、正大の気が漲るような感銘を受けた。かかる理想的な環境で学ぶ若人は、これだけでもはや天の寵児であり、もちろん小成なぞに甘んずることなく、堂々とまた悠々と人生の大道を闊歩するに違いないと直感した。
 また、そのような人間形成がより一層行われるように、一段と教育環境を整えるのが、私の責務の一つであると自覚したのである。

 さて、同じく論語の中に、
 「譬(たと)えば山を為(つく)るが如し。いまだ一簣(き)を成さざるも、止むは吾が止むなり。」  というのがある。これと同義なのが、
 「九仞(じん)の功、一簣に欠く。」という諺であろう。一仞は約一・五メートルというから、約十四メートルほどの人口の山を造ろうとモッコをかつぎ、最後のもう一杯というところで止めても、それはもう九仞の山とは言えない。それは外ならぬ私自身が止めるのであって、責任を他に転嫁することはできぬ、というのである。
 まことに厳しい教訓である。多年の苦労も、最後の段階での努力を惜しんだために、ことが成らない。−−−こういうことは、人生には案外多いのではなかろうか。例えば、四二・一五九キロを走るマラソンで、もう一〇〇メートルでゴールというときに走らなくても棄権は棄権である。

 生徒諸君。諸君は、小学校、中学校を卒業して高校という、国民普通教育の最終段階を、この魚津高校で過ごしている。しかも、ひとりひとりが、「自己」という山を形成しようと努力して来、今その最後の一簣を運ぼうとしている。中国三千年の昔、孔子は寸毫も自己と妥協しない、鉄の如き決意をもって、「一簣を成さずして止むは、吾が止むなり。」を言い切った。この態度こそ、とかく惰弱になりがちな現代人の精神に、強い覚醒と反省を求めているのでは、なかろうか。

 私は切望する、事を成そうと決意したときは、常に不退転の努力を傾け、学問や人間の道を歩むには、小道・裏道を行かず、着実に大道を歩んでほしいと。なぜならば、このことが、本校校歌が素晴らしく歌い上げている、「紅はわが心、清らかに強くあれ。」と、まさしく血脈を通ずるものであることを信ずるからである。
     
        行不由径。      (論語、雍也第六)
        譬如為山。未成一簣、止吾止也。(論語、子罕第九) 
 ※ 富山県立魚津高等学校校歌
 作詞:藤島 宇内
  作曲:團 伊玖磨
 1.富山湾  その波に
   夢遥かなり 海光る
   いまにして 加積野に
   花と咲け 若き力
 2.かもめ鳥 飛び行くは
   喜見の城影 波遠く
   なやみある わが友よ
   もろともに 歌わずや
 3.朝日影 空に満ち
   アルプス明し 雪は燃ゆ
   紅は わが心
   清らかに 強くあれ
  ※富山県立魚津高等学校同窓会 
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