行くに径に由らず


 通勤時聞はマイカーで約三十分。あまり熟達していないドライバーにとっては、手ごろな距離といえます。主な道順は五・六通り。産業道路あり、国道や県道あり、田園の中を走る市道ありで、この道あの道と試みて、この頃ようやく定まった感じです。結局のところ、みんなが一番遠まわりだという旧八号線の広い道が、私にとっては一番安心な馴れた道になりました。そして、ラッシュを避けるためのひやひやしながら小道から小道を走る小細工よりも、旧国道をゆったり走る方が性に合い、しかも結構早く着くことが判りました。

 学校の校長室の隣りは応接室で、ここには中田大雪氏の筆になる扁額が懸っています。墨痕淋漓として、「行不由径」の四文字が雄渾な筆致で躍っています。「行くにこみちに由らず」ーー仰いで読むたびに、二千五百年も前の聖人の箴言が現代の通勤心得をこうもぴたりと言い当てているかと、ただ恐れ入るばかりです。今から十数年、恩師でもある八十島喜助先生が本校第二代の校長の折、大雪先生に書いて貰ったと喜こんでおられたことを思い出すが、どんな考えでこの文句を指定されたか、うかつにも聞きもらしました。あるいは、聞いたが若気の至りで失念したか定かではありません。ただ新米校長の通勤方法を観制するためでないことはもちろんですが、この額を見るごとに我が意を得たりと嬉しくなります。

 さて、本校は創立十七年。人ならぼ芳紀正に花の十七歳です。この間、大先輩方が鐘骨の苦労を重ね、年々発展を続けてきました。察するに、これまさに行くに小道によらず、天下の大道を堂々と歩むようにと全徒諸君に常に熱い願いを託し、そして自らも悠々と大道を闊歩してこられた結果でありましょう。これを思うと、生来惰弱な私でさえも身がひきしまらずにはいられません。

 そう言えば、同じく論語の中に、「士は以て弘毅ならざるべからず。」という有名な文があります。この「士」を「校長」と読みかえてみると驚くほどぴったりします。続いて曰く、「任重くして道遠し。仁以て己れが任と為す。また重からずや。死して後やむ。また遠からずや。」とあります。気は大きく意志は強く持て。理想の実現がお前の任務だから、その責任は重く前途は遙かであるぞ、というのでありましょう。これを思いあれを思うと、本当に自分には校長という大任が勤まるのだろうか、どうも心細い限りだと、自問自答している昨今です。それにつけても、先輩先生各位の御指導を心からお願いするものであります。

   富山東高校  木下周一

     高校長協会 新会員のことば   1980年