視察を終えて 
たてまえの国・ほんねの国


 10月9日、県教委主催の壮行会。屋敷教育長は、
「外つ国に行きたらわして帰り来むますらたけおに御酒奉る」
 と、万葉集の一首を引用して、激励された。

 これに答えて
「唐から帰朝した空海の言葉『空シク往キテ満チテ帰ル』を目標として行って来ます。」と勇ましく言う。が、内心は、満ちて帰るなどの過大な望みは捨て、全員が無事に帰国できれば十分だと思った。教育長さん、あしからず。

 哲学者カントが生涯ケ一ニクスベルグの町を一歩も出ることなく、而も世界の哲学をリードしていた話は、あまりにも有名。私も、外遊外遊と騒ぐ先輩先生を横目にかけながら、居ながらにして世界はお見通しよと嘯いていた。
 しかしことの真相は、団体旅行の出来ない事情にある。

 てっとり早く言えぱ、並みはずれたイビキのため同室する者なしという多年の悲しい経験から、団体旅行お断り、けれど表向きはカントを引用しての外遊無用論者であった。だが某月某日、県教委から団長としてとの内々の電話。団長即個室と一人合点して、長年の主義主張とあっさり訣別、受諾。顧みて何たる無節操、無定見。団員諸氏よ、この団長を許されよ。

 吉村昭の「ポーツマスの旗」を読むと、小村寿太郎全権の一行は、明治38年7月8日横浜港を出航し、米国西海岸シアトルに着いたのが7月20日、実に12日を要したという。そこから汽車で米大陸を横断しポーツマス市に着くまでさらに5日を要した。

 昭和の一行は、成田からロスアンゼルスまで僅か10時間。ミネソタ号の甲板上で寿太郎は、往路の華やかな歓送の嵐の中に帰路の惨めさを予想して暗然たる思いだったとあるが、現代のわれわれは、感懐をまとめる時間どころかあっという間に万里の波濤を飛び越えてしまった。

 それにしても、380人も乗せた巨大な金属塊が、1万粁を時速1千粁で飛翔するという事案は、今以て理解しがたい。かの詭弁学派ゼノンの逆説の、「飛ぶ矢は飛ぱず」を肯定したくなるではないか。かくて、ロスに無事安着した。
<注>
※ 外つ国に・・・
 唐国に行き足らはして帰り来む
 ますら健男に御酒奉る
 (万葉集 19巻 4262)







※ ゼノンの逆説
 飛ぶ矢の運動は、空間中での位置の変化である。ある瞬間に矢は特定の位置にあり静止している。それぞれの瞬間に、各位置で矢は静止していることになり、運動がないと主張するパラドックス。

 アメリカは、そのあくまでも澄み切った青空とともに、輝かしくも偉大な国である。摩天楼、国会議事堂、国立美衡館にはじまる各種の建物、そして大自然。そのいずれもが目もくらむほどの迫力でまぶしく光る。しかし反面、病める悩める国である。

 照らす光が強烈であればあるほど、その陰の部分はおどろおどろした闇であり、そこには中間色や間接照明はない。繁栄の大都会の中にうごめく貧困は、必死に抜け出そうとしてなし得たかった果ての自暴自棄の貧困であろうか。一流デパートのすぐ横に軒を接して続くスラム街やゴーストタウン。
 どん底の窮乏と福祉対策のいたちごっこ。私は、シジフォスの神話を思い出した。神にさからった罰として、重い岩を山頂まで押し上げ、手を放せば麓まで転落する。それをまた押し上げる。血と汗にまみれた絶望的な永遠の繰り返しという、あれである。米国人には申し訳ないが、アメリカ大陸から大量の人間を奴隷として牛馬の如く売買し輸入した天罰ないしは大きな付けを永遠に引きずっているように思えた。

 しかし、メキシコは違うようだ。メキシコの貧困は、求めてそこに安住し貧困を楽しむとさえ思える。片や絶望、片や楽天。陰気と陽気。犯罪にしても、背筋も氷る強盗殺人に対し片や神のお恵みと失敬する置引き・かっぱらいの類い。盗られた方も、失敗失敗と頭を掻くていの明るさを残している。

 旅行前に、現在のアメリカ社会に起きている好ましくない諸々の現象についての、ライシャワーの弁明を読んだことがある。「20世紀に入ってからの世界史は、米国が常に一歩先んじて進んで来た。そこで、好ましくない現象も、必ず先ず米国に発生した。そのため、あたかもアメリカ独特の現象のように思われているが、これらはいずれも資本主義的な必然として、遠からず日本やヨーロッバに生ずる。」と。

 私は、そんなものかな、それならば現在の米国内での諸現象を知ることは、やがて日本に起こることの予見になるなと、安易に考えて出発した。短い旅行だったが、私には、これはライシャワーの弁明というよりは弁解のように思えてきた。これは政治経済の体制から来る「たてまえ論理」よりも、もっと根深い人種問題に病巣が存在すると言えないだろうか。


 教室内での授業を、多くのビンに溶液を注入する作業にたとえてみたい。
 米国では、教師にはなるべく少ないビンを、もちろん入れる溶液は可能な限りよく吟味し精選し、ビンに注ぐ方法もよく研究され、まさに文句のつけようがない。従ってビンが満足するのは当然であり、もしビンが注入を拒否したとしてもそれはビンの自由であり、教師の責任外のことである。要は、教師が「たてまえ」どおり仕事をしたかどうかが問題であるとする。

 メキシコはどうか。教室の環境はお粗末。ビンの数は多く種々雑多で、入れる溶液も濃度が高すぎ消化不良を起しそうである。注入法も一斉作業の大ざっばのようだ。しかしながら、教師の方は、未来に望みをかけ、「ほんね」の願いをこめていると見た。生徒も、ビンにたとえるのが失礼なくらい、生き生きとしていた。

 ふりかえって、日本の教室はどうであろうか。なるほど溶液は精選され、注入法もすばらしいだろう。けれど、ゲップの出るくらい注いだ上にまだ注ぎこもうとし、しかもその正当性を主張するのにアメリカナイズされた「たてまえ論理」で迫ってはいないだろうか。深く反雀させられた次第だ。

 甘い菓子はトコトン甘くあるべきがたてまえであり、レストランのメニューの値段は料理のみを示し税金とチップは別なのがたてまえであり、義務教育は給食を含めて一切無償なのが建前である。確かに米国の多様性を統一するには「建前論」しかなく、この明快な論理を打ち負かすことは難しい。さはさりながら、人生や文化や教育には、この論理を越えた重大な何かがあるのではなかろうか。

 建前しか通用しない国と、いつも本音しか吐かない国。この両極端の二つの国の生活や人情、さては歴史、そして教育を比較しながら学ぶことができたことは、まことに幸いであった。それにしても、いずれの国でも、教育は難しく子供は皆かわいいと、つくづく思った。


 最後に、私自身、同行のすばらしい先生方のおかげで今後再び味えないと思う程、全く愉快な楽しい旅行ができたことを感謝したい。そして日通航空の古田氏にも深謝したい。氏の周到な計画と適切な助言や処置なくして30名の赤ゲットが米大陸を縦横に旅行し得たとは、到底思えないからである。もちろん文部省や県教委の御配慮は言うもさらなり、職場や家族にも当分の間は頭が上がらないであろう。

      団長 木下周一
     (1981年 11月 一部省略した部分があります。)