カンザスに散る

 たそがれの淡き光に白き花
         光芒放ちて ひとひら闇へ
                     (杉原和子)

 行き行きて はてしなき野よ カンザスよ
   名もなき花の 風に散りゆく
                      (杉原清作)
   
 去る六月某日、校長室に質素な身なりの老夫婦のひっそりとした訪問を受けた。
 お二人は、魚津に生まれ、ともに約十年前まで魚津市内の小学校の先生をされていたが、退職後、静岡県の富士宮市に移住されたという杉原清作・よしゑ御夫妻である。

 夭折されたひとり娘の一周忌を記念しての遺稿集をゆかりの人々に寄贈配布のため、はるばるお越しとのことである。お嬢さんの杉原和子さんは、魚津高校第十六回の卒業生で、女子大卒業後も向学の心止みがたく、十年間の会社勤務で貯えた金で、一昨年米国に渡り、フィラデルフィア市にある名門ペンシルバニヤ大学に留学したが、昨年六月、学友の車に同乗してカンザスの大草原をドライブ中、不慮の交通事故で死亡されたという。

 最愛のわが子に先立たれた御両親の深い悲しみは、静かに語られる言葉の端々に溢れ、慰めの言葉も忘れた。故人は、高校在学中から読書をこよなく愛し、卒業後に七十周年記念の立派な本校図書館が建つたことを聞いてわがことのように喜んだとのことであった。

 物故後一か月は何をする意欲もなかった御両親は、気を取り戻して、高校・大学時代からの厖大の日記類、ノート、原稿等の整理や転写に唯一の生き甲斐を見出だしておられたが、まわりのすすめもあり、供養の為にもとて出版に踏み切ったという。

 巻頭には生前本人がお気に入りだったという魚高制服姿の写真を掲げた。中学時代から嗜んだ短歌だけでも百数十首に及び、そのうちの一首から取って、書名を「光芒」としたとのこと。ほかに、詩、紀行文、日記抄、随筆、文芸評論等が、みずみずしい筆致とこまやかな心情で綴られ、しかも美貌の乙女の写真が随所にほほえんでいる。
 文学や演劇を愛し、ピアノに秀いでているぱかりでなく、御両親の深い理解があったればこそと思うが、和文タイプ、英会話、デザイン、経理まで万般の知識技能を吸収しようとするスーパーレデイぶりは、日本でも米国でも学友から敬愛された明眸皓歯の才媛だったことがうかがわれた。

 御両親は、娘が心から愛した魚津高校の図書館の充実のために何か役立てばと言って、遺稿集十冊に添えて五十万円の御寄付をなされたのである。私は、感激しながらも、故人を永く記念するコーナーを設けることを約束してお別れした。

 遺稿集のあとがきには、御両親の切々たる悲しみの短歌数十首と回想の文がある。それによれぱ、悲報を受けて二人で急遽渡米、遺骸と涙の対面、遺骨を抱いて帰国、そしてわざわざ魚津を通過されたという。次は、原文のままである。

 ”夜明け頃、大雨の中、汽車は「魚津高校」に近づきました。私達は「遺骨」を車窓の所で「高校」の方角に向けて、「さようなら」を言いました。ーーー和子が、青春の一頁を最も華やかに、楽しくそして心深く刻んでいた高校生活の場。ーー”

 ここに至って私は涙滂沱たるを禁じ得なかった。恐らくは命果つるまで亡き娘を恋うるであろう御両親には、私如き者の慰めの言葉など一瞬にして空虚に響くのみに違いあるまい。ただ一つ言えることは、多感な春秋を過ごした一人の同窓生だけでなく、その御両親にまで深く愛された学校ーーーそれが魚津高校であったのである。

     「蜃窓」県立魚津高等学校同窓会
        木下 周一 (魚津高等学校長、五十七年四月就任)