長男と次男


 教え子の結婚披露宴に招待されるのは、教師として嬉しいことには違いないが、生来の口下手なので、テーブルスピーチにはいつも苦労する。先日も、往復の列車の切符まで用意されて東京へ拉致された。学士会館の華やかな式場まで来て、月並みなスピーチでは、やはり田舎教師よと軽蔑の限で見られるかと思うと、やはり残念である。さりとて、東大教授や一流銀行重役などの名士諸賢を前にしては、名言集の一夜漬けでお茶を濁すのも気恥かしい。そこで、東京のお歴々が知らなくてこちらだけ知っているものそれはわが富山弁だと気づき、これでゆこうと思った。
「エー、富山弁では、オッジャのズコイキリと言う言葉があります。オッジャとは次男坊以下をいい、ズコイキリとはズコがいきる、即ち頭がカッカと燃えることを一言う。富山県出身の小説家源氏鶏太の作品にも”ズコイキリ”というずばりの題名の小説がある。小説の主人公は、本県出身の次男坊であり、おっちょこちょいで単純、他人の口車にすぐ乗せられる。だが、本人はいつも止むに止まれぬ気持で行動する正義の味方を自認し、あげくは上司に楯つき、同僚と喧曄する。些か意識過剰の正義漢ではあるが、全く愛すべき青年である。ところで、本日の新郎も、ズコイキリ的要素では人後に落ちない、愛すべき次男坊ではあるが、私の察するところ、銀行というお堅い職場でも、常に風雲をはらんでイキった行動をしているのでないかと思うが、先輩上司の皆さんには、このズコイキリのオッジャを、近頃日本にはめっきり少なくなった”燃える男”としてかわいがってほしい。よろしく。」と言って責めを果した。

 今年三月発行の魚高生徒会機関誌「あゆみ」31号を見ると、その巻頭に、前会長の宮崎優君の一文がある。
「今、我々が受け継ぎ残してゆくべきもの、それは形式でなく、自己のかたちを作り出してゆく力であり、したたかさともいうべき行動力なのだ。伝統のコピー、すなわち形を真似ることが必要なのではない。現在の自分からスタートして、何かを築き上げる強さ、それこそ残すべき伝統ではないだろうか。」と言い切っている。
 私は、若い彼が、伝統のあるべき本質を的確にとらえているのに全く感心した。いや、むしろ感激したと言う方が正しい。かの俳聖芭蕉は、「古人の跡を求めず、古人の求めたる所を求めよ。」との有名な言葉を残し、「西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、其の貫道する者は一なり。」とした。各芸道の達人の中に一筋貫く精神は、外形の模倣ではなくて本質への飽くなき追求であったと喝破しているが、宮崎君の伝統についての認識も、まさに芭蕉のそれに迫るものと、私は感嘆した。

 さて、今春、魚津高校に赴任して以来、”魚高八十年史”をはじめ本校関係の種々の書籍を読む機会を得、いろんな同窓生各位にお会いし、そして在校生諸君と話しての印象を一言で言えば、御年輩の同窓生にはまさにオッジャ的進取の気性が感ぜられ、反面、現在の生徒諸君には良家の長男坊的なおっとりさの印象の方が強いということである。もちろん両者とも見方によれば、長所であり短所であるとも言える。
 しかし、ここで私が在校生に望みたいのは、いたずらに形の伝統を墨守するだけの育ちのよさではなくて、自己に挑戦し、自己を開拓せずんば止まない、次男坊的な遅しさであり、マンネリを打破して常に向上を求める燃える心と覇気である。
 およそ校風とは伝統が醸し出す一種の雰囲気であり、雰囲気とは学校という集団の中のひとりひとりに語りかけ共感を湧き起こさせる心の世界だと思う。そうだとすれば、生徒諸君の持つあり余る可能性をいたずらに砂中に埋没させることなく、遅しく自己改革してゆく若者として成長するような雰囲気、ーーーかつて強烈に存在したに違いない本校独自の雰囲気を取り戻したいと切に願うものである。

   富山東高校  木下周一

    「魚校通信」第二十三号 魚津高校PTA   1982年