伝統と創造のハ一モニー



 昨年十二月の末、わが校にとっては、まことに晴がましく嬉しい出来事が二つ続いた。
 一つは、本校の前身の魚津中学第三十六期の住栄作氏が、第二次中曽根内閣の法務大臣に就任されたことである。そのお人柄や今までの実績から当然と言われているが、しかし本校の歴史においては特筆すべき快事である。
 もう一つは、大晦日の午後、本校放送部制作のビデオの「ウェーク・アップ魚高魂」や、「○月×日(月)晴」や、「あこがれ白書」が、NHKから全国に放映され、本校の学園生活が紹介されたことである。
 さすがは魚津高校とて、ひそかに胸を張ったのは、私ひとりではあるまい。わが校の前途に輝かしいライトが当てられた気がして、心から快哉を叫んだ。

 これより前の十月一・二日に開かれた魚高祭には、五千人近くのお客さんがあり、まことに盛会であった。正直なところ、私はこんなに沢山の来訪者があるとは、想像もしていなかった。過去の実績が本校に対する期待感を育て、この地域に定着しているものと思われる。事実、今回も生徒諸君がそれぞれに持てる力を十二分に発揮した結果、やっぱり来た甲斐があったという満足感を持っていただいたようだ。

 それにしても、九月十四日のあの体育大会から、すぐ引き続いての魚高祭だったので、企画し制作し発表展示するまでは息もつけぬ二週間だったと思うが、本当によくやったと思う。
 さて、この魚高祭の統一テーマは、「奏でよう伝統と創造のハーモニー」というのであった。生徒会が公募し審査決定したものであるという。世間でよく言うドライな現代っ子たちが、伝統などという古めかしい語を取り上げるとは、ちよっと意外に感じた反面、なるほどと思い当たることがあった。

 今日は、伝統よりもむしろ変革を希求する時代である。変革につぐ変革の時代ともいえよう。ギリシャの昔、ヘラクレスが言ったように、歴史的世界は万物流転の世界であるが、特に現代の十年はその昔の百年にも匹敵する驚異的スピードで変貌する時代であるといわれる。

 しかしである。このスピードにブレーキをかけ、表面的流転は致し方がないにしても、内奥的世界に属する部分の急激な変化は避けたいという願いが、最近のわれわれ日本人の中に徐々に芽生えつつあるのではあるまいか。そして、伝統というものを再び考え始めようという気連が起り始めたのではなかろうか、かくして今や、過去の単なる蓄積ではなくて、集団の過去の営みの根底にあった創造性であると捉え直す時、伝統は今日的課題を持って再構成され活発化された意識の高まりとして現われるのである。

 例えば校風とは何か。私は、それを、伝統によって醸し出される一種の雰囲気である、と定義したい。さらに、雰囲気とは、その集団に属する人々に規定や制約を押しつけるものではなく、むしろ集団のひとりひとリに語りかけ、共感を呼び覚まし、その自発的な創造を促す心の世界であるとしたい。

 そして、創造とは、現にある文化を越えてより高い文化をつくり出す営為を言うものとすれば、これはすべてから隔絶しながら突如としてなされる筈はなく、必ずや伝統という既往の創造の累積を基盤とせざるを得ない。
 かく考える時、「伝統と創造のハーモニーを奏でよう」とする魚高祭のテーマは、実はまことに的確に現代的意義をねらっていたと言わなければなるまい。

 本校の同窓生は二万有余の多きを数える。その殆んどすべての人は、本校を心から愛し本校で過ごした幸せを語り、亭々とそびえる老杉古松に囲まれた加積野の森に熱い想いを馳せる様は、私のたびたび見聞し感服するところである。
 この先輩たちの残した良き校風を単に継承するだけでなく、生々発展させる責務が私にあると思う。それとともに、私は生徒諸君にも望みたい。教室の窓から目を転ずれば、秀麗な北アルプスの白き峰々が光りを放ち、反転して目を移せば、かもめ飛ぷ富山湾の波が輝いて見え、ここには透明な大気が流れている。この理想的な環境の中で、新しい伝統を創り上げるよう、一層の努力を期待したいのである。

 「あゆみ」 富山県立魚津高等学校生徒会 33号
      昭和59年3月10日
               校長 木下 周一        1986年