中国の野性的体力に学べ

 昨年八月、中国遼寧省へ、柔道とバドミントンの富山県代表選手の男女高校生二十一名を引き連れて旅行する機会を得た。スポーツ交流の親善訪問である。省政府の関係者のみならず一般市民の文字どおりの熱烈歓迎を受け、感激したことが、昨日のように鮮かに思い出される。それはさておき、ここでは、日中両国の特に柔道選手の印象の違いについて、素人ながら私の感じたままを書いてみたい。

 合同練習や試合を通じて、私の目からでも、わが方の技術は、やはり上のようだ。審判ですら、教科書だけで独習したような、まことにあぶなっかしい。しかし、問題は体力である。私は、中国選手たちに、足腰の強靭なバネを感じた。ハガネのような力強さとしなやかさである。近い将来必ずや柔道においても日本を圧倒し去るであろうと直感させる、怒濤のような野性の体力である。潘陽市でも遼陽市でも、私は体育館の中の一段高い来賓席からマット上を見据えながら、危機感と戦慄に襲われた。そして、この体力の違いは、果してどこから来るのであろうか、と考えこまざるを得なかったのである。

 もちろん素人の独断であるが、結論は、日々の練習の形態の違いからではないか、ということである。今日のわが国の通勤通学のための交通機関や道路は、かなり整備されており、あるいは自転車通学といってもたいした距離ではない。柔道の練習は、放課後の柔道場から始まるのが当然であると誰しも皆思っている。技だけでなく体力の増強も殆んど道場内だけと限定してもよかろう。
 しかし中国はどうか。なにしろ広大な土地である。誰かの言葉を若干の失礼を承知で引用すれば、「町や駅には、雲の湧くごとく、どこからともなく人が集まり、そして散ってゆく」のである。その交通の主役は自転車であり、道路もぬかるみの悪路が多いが、かなりの遠方からでも自転車で集まるのである。足腰のバネの強いわけだ。体力の強化は、せまい道場内だけの国とは、根本的に異なるといえよう。

 文明が発達し文化生活が向上するのは結構なことには違いないが、果して手放しでよろこんでばかりいてよいものだろうか。青少年の心身ともに健全な成長を願うべきわれわれが、モータリゼーションの普及に押されるまま、次代の国民を、足腰の弱い、体力のない、野性を忘れた国民に育てているのではなかろうか。深く考えさせられた次第である。

  ’85富山県高校スポーツ記録
      富山県高等学校体育連盟 会長 木下周一
                             1985年