創校百周年を迎えて


 
明治三八年
 県知事 季家(りのえ)隆介が 本校を視察し 職員生徒を激励す。

明治三九年
 夏休みを利用して生徒八名・教諭一名が、日露戦争後の戦火まだくすぶる中国大陸を約一か月間、修学旅行した。

明治四〇年六月三日、
 旧制第一高等学校長の新渡戸稲造博士が本校で講演し、「学生よ、よろしく眼を世界に向けよ。」と絶叫し 六百の健児に多大の感銘を与えた。

明治四一年二月二日、
 小松原英太郎文部大臣が来富し、本校を視察した。

明治四二年一〇月一日、
 皇太子殿下(のちの大正天皇)が本校においでになり、各学年の授業を親しく視察し、生徒の諸作品の展示にも目を止められ、斉藤八郎先生の細字巻物については感嘆賞揚された。
 行啓に感激した生徒は、同夜提灯行列をして祝意を表した。以後、毎年、この日を「行啓記念マラソン大会の日」と定めた。

明治四三年
 全生徒待望の富山中学校校歌が制定され、以来、運動部が優勝すれば必ずこの校歌を高唱して、総曲輪・西町附近を練り廻っては気勢を上げ、富中健児の意気を誇った。

 以上は、本校百年の歩みの中、創校二十年からの僅か五年間を試みに取り出してみたのであるが、これだけでも、明治の頃の本校に寄せられた期待の大きさと、それを見事に受け止めた当時の先輩たちの姿が、ありありと浮かんでくるではないか。

明治一八年、富山県誕生の翌々年、本校が創立されたが、創校にまつわるドラマは、本校生ならばすでに周知のことゆえ、今さら喋喋するまでもなかろう。

 私の言いたいことは、創校当時からただちに現代に飛んだのではなくて、冒頭のように、どの一年一年にも充実した厳粛な時間が流れていたという事実である。しかもそれは、単なる時間の累積ではなくて、そこには先輩たちのすばらしい生の営みが渦巻いて伝統をつくり出してきたのである。

 最も古いものこそ最も新しいという。百年の古い伝統こそ、未来への新しい価値を創造する巨大なエネルギーとなり得ることを信し、新しい世紀を目指して堂堂の旅立ちを、諸君とともに念願しようではないか。


 「富高新聞」 第81号 昭和60年12月24日
               校長 木下 周一        1985年