卒業式 式辞
 本日 第三十八回の卒業証書授与の式を挙行しました所、来賓各位、ご父兄多数のご臨席をいただき、三百五十四名に及ぶ卒業生諸君の晴れの式典に、一段の光を添えていただきましたこと、壇上からではありますが、厚くお礼申し上げます。
 卒業生諸君。卒業おめでとう。諸君は、今日から、わが富山県立富山高等学校第三十八回卒業生、そして創校の始めから通算して実に、第九十八回の卒業生として、この母校を巣立つのであるが、過去三年間の学校生活は、夏の暑さ、冬の寒さを織り交ぜて必ずしも平安な日ばかりというわけには参らなかったと思う。とりわけ豪雪は三年も続いたのであるが、特に今年の冬は長く、きびしく、毎日の通学も思うに任せず、家に帰ってからの勉強も疲れとねむさのため、さぞ辛いものであったに違いない。それゆえ、今、漸く訪れた春三月、めでたく卒業する喜びは、又格別なものであろうと思う。心からお祝いするものであります。
 今、門出の瞬間を迎えて諸君の脳裏に去来するものは何であろうか。緑色濃き太郎丸の森で、友と語り合った数々の思い出であろうか。あるいは、御両親をはじめ、諸君を取り巻く多くの人々への感謝の気持ちであろうか。はた又、明日からの自己の人生航路に対する、ひそかな決意の思いであろうか。それぞれに様々な思いが、駆けめぐっているに違いないと思う。
 実は、こうして諸君と相対している私自身、多くの感懐が湧いて来るのを禁じ得ない。それは、諸君が、本校百周年という文字どおり百年に一回の記念すべき年に、最上級生として、数々の記念行事をリードしてくれた事である。
 悪天候下のあの体育大会をはじめ、文化活動発表会、十月一日の記念式典、そして記念音楽会等々。すべて、百周年にふさわしい堂々たる感激的な主役を見事に果たしてくれたと思う。その諸君が、今、本校第二世紀の最初の卒業生という大いなる名誉をにない乍ら母校を巣立ってゆくのである。
 私は確信を以って言うのであるが、十年後より二十年後、三十年後、年を重ねれば重ねる程、諸君は「百周年」を合言葉に、県内はもとより、あらゆる所において連帯と友情を深めてゆくに違いない。そして、それが諸君の大きな財産となるに違いないことを断言するものであります。
 さて、それならば、諸君の活躍すべき二十一世紀はどのような世界であろうか。恐らくは、進歩して止まぬ科学技術によって、人類の幸福がますます増大する可能性を持っています。が、一方、逆にその進歩のゆえに、人類の幸福が、非人間的な行動の中で消滅し去る、そういう恐れをはらんでいる世界であります。幸福が増大する可能性と、破滅の泥沼に落ちる危険性とが表裏一体となって共存する複雑な時代であろうと思われます。
 こういう不透明な複雑な社会において求められる人間像。それは、知識よりも知恵であり、学歴よりも修養歴であり、一ことで言えば、人間性、人柄であると思う。人との協調性であり、積極性であり、確かな判断力や誠実さであり、そして何よりも大きな人間愛であろうと思う。
 諸君は、本校で培った人格を、さらに一層陶冶し練磨し、より豊かな人間性を持つよう心がけ、百年の伝統に輝く学園の出身者としての落ち着きと風格を備え、堂々たる人生を歩いてほしいと、心から念願するものであります。
 卒業生諸君。諸君の晴れの姿を見て、本校に勤める私ども一同は、皆、安らぎにも似た満足感にひたっており、まことに幸福であります。終わりに臨み、諸君の門出をお祝いし、前途に幸多かれと祈りながら、はなむけの言葉といたします。

 昭和六十一年三月十日
  富山県立富山高等学校長  木下 周一
 
  富山県立富山高等学校第三十八回卒業証書授与式  1986年