スポーツと21世紀

 
 21世紀は、もうすぐ手のとどきそうな所まで来ている。
 それは、どのようなものだろうか。恐らくは、人類の知性と科学技術の驚くべき進歩の上に、人類が初めて持つことのできる幸福の可能性と、逆にその進歩のゆえにそれが全部消滅し去る危険性とが、表裏一体となつて共存する複雑な時代であろう。

 現在、すでにその兆侯がいたる所に噴出している。繁栄をもたらすと信ぜられていた現代文明は、一面では自然を破壊し、人間性をゆがめ、そして体力の衰退にまでつながつている。

 私たちは、人間が生きるための大切な何かを忘れてはいないか、人々の健康をおびやかしているものは何か、根本に立ち返つて考えるべきである。そして、かけがえのない生命を守るための身体活動を、各自が心がけねぼならない。ここに、これからのスポーツの新しい目標がある。全国民が自己の体力や年令に応じたスポーツを心がけねばならぬが、とりわけ不透明な新世紀に生活し活躍せねばならぬ高校生諸君にとって、健康こそは最大の武器であり、その健康を維持増進するためのスポーツこそは最高の味方である。

 凡そスポーツの誕生は、原始生活において緑の山野を駆けめぐり、草木の果実を集め獲物と格闘するといつた、野性の活動からスタートしたと考えられる。

 新記録に挑戦し、ライバルを打ち負かす方法は、只一つ、スポーツ誕生の原点に戻り、獲物に立ち向う野性のチャレンジ精神を極限まで燃焼させることにあるのではあるまいか。このことを、あの柔道の山下泰裕六段は、「何が一番大事かというと闘志。九十九%負けていても一%望みがあれば最後まで頑張るという執念」と言い切つている。そして、その引退の時、「柔道が終つたら何も出来ないという人間になりたくない。柔道で頑張っただけに違うな、と言われる人間になりたい」最高を極めた人の一言は、まことに味わうべきすばらしい言葉ではないか。

 ここに掲載されたスポーツ記録は、あるいは単なる数字の羅列に見えるかもしれないが、これこそ、今年度の県下五万名の高校生諸君の熱闘の軌跡である。この記録が生まれる過程において、幾多の名場面、名勝負が展開されたに違いない。さらにさかのぼって、直前までの厳しいトレーニングに耐える荒々しい息づかいや、乱れ飛ぶ叱咤の怒号が聞こえてくるようだ。この一冊が、後々続く若者たちの目標となり、次なる飛躍のスプリングボードとなることを願い、高校を去る若者たちにとっては、青春の汗と涙の結晶、熱き戦いの証明書となることを望みたい。


  ’86富山県高校スポーツ記録 巻頭言
        富山県高等学校体育連盟 会長 木下周一
                             1986年