卒業生に望む



 感情の動きをとらえるのに、情緒と情操の二つにわけて考えたい。情緒とは、一時的・激動的・盲目的・単純であり、なまな感情をいい、情操とは、持続的・複合的・知的であり、高度に洗練された感情をいうと、私は理解する。たとえば、テストの点が思わずよかったので喜ぶ場合の単純な喜びの感情は、情緒といえる。しかし、テストの成績が悪くてしょげている友人の表情を見て、自分の好成績からくる単純な喜びをおさえ控えるという複雑な感情となると、これは情操あるいは心情といえるのではなかろうか。

 情操には宗教的や芸術的情操もあるが、私がここで一言いたいのは道徳的情操である。最近の日本では、自己の権利を追求するあまり、相手の立場を尊重し理解しようとする思想や感情が極度に稀薄となった。たしかに日本人の感情表現は豊かになったが、それは単純な自己主張の情緒の段階に低迷しており、豊かな情操とか心情には程遠い。駅で公園で街頭で、学園ですら、他人の迷惑を考えない人のいかに多いことか。相手の立場になって考えるという自己訓練のいかに足りないことか。 これは若い時代から心がけねばならない重要なことなのである。

 卒業を文字どおり受けとるならば、修めるべき学業を終了したことになる。しかし、実は人生に対する勉強はこれから始まるとの認識、豊かな情操や円満な人格の形成はこれからであるとする決意を、百年の歴史を誇る名門の卒業生として、ひとりひとりが自覚することを心から望みたい。二十一世紀は人柄の時代であるからである。

 「富高新聞」 第82号 昭和61年3月8日
               校長 木下 周一        1986年