4717よんじゅうななのじゅうななじょう



富山高校の図書館報に載せた原稿が、文藝春秋社の87年版ベスト・エッセイに収録されました。また、日本経済新聞の「春秋」にも取り上げられました。


 小学校の国語の時間に、はじめて俳句を教わったのは、何年生の頃であったろうか。教科書には多分、「春の海ひねもすのたりのたりかな」とか、「さみだれをあつめてはやし最上川」なんかがあったと思う。そして、みんなも作りなさいということで、五・七・五と指折り数えて一句を作り、得得として発表したら、季節が入っていないから駄目だと言われ、がっかりしたものだ。家に帰って考えたが、なかなか出来ず、しまいには、日本中の人間がどんどん作ったら品切れになり、自分で考えた句は誰かもう先に作っているんじゃないかと思った。翌日、先生に言うと、無数にあるから余計な心配はするなとおっしゃる。が、あまり納得しないままに過ぎてしまった。
 旧制中学校の数学の時間に、順列・組合せを習う。俳句は、17文字の第1番目にもってくる文字が、イロハ47文字のどれでもよいから47とおりで、重複して使ってもよいから第2番目も47とおり、以下いずれも47とおりであり、結局、47の17個の積、つまり、4717とおり、これ以上は絶対に作れないということを知った。ただし、濁音を使わず、十七文字をただ無意味にならべただけの句を含めての個数である。莫大な数だろうとは想像したが、実際に最後まで手計算する勇気は湧かなかった。ところが、この計算を実行した人が二百年近くも前に富山県に存在していたのである。
 『文化九年壬申三月、越中射水郡東条郷在、折橋小左衛門、越中州立山ニ懸ケル所ノ一事。今、平仮名四十七文字ヲ以テ、十七連名ヲナサント欲ス。其ノコトゴトク得ル変名ヲ筆者百万人ヲシテ昼夜コレヲ書カシム。乃チ、一人昼夜コレヲ書クコト一万名。コトゴトク得ル名ノ変数オヨビ書キ終ル歳数イクバクヲ問フ。』
 これは、富山県が生んだ和算の大家、石黒信由(一七六〇〜一八三六)の著書の「算学鉤致(こうち)」という本に載っている、門人の折橋雄川の算額の問題だ。中国から渡って来た数学が、江戸時代には和算という名で大いに発展したが、算額とは、数学の問題を作り、それを書いた絵馬を、神社仏閣に奉納したものである。本校図書館所蔵の射水郡誌によれば、雄川は寛政三年(一七九一年)、射水郡大島村の十村の家に生まれ、十村職を辞した後は清狂とも号して書画に親しんだ風流人であり、花鳥山水の妙境に達すとある。彼は、現在の新湊市高木に在住し高樹とも号した信由の門下に入って和算を学んだ。そして、この問題を立山の雄山神社に奉納したのであり、その答の4717は、次のような数になるという。

   2穣6647杼9365垓0696京2193兆4393億2219万2687
     じょう    じょ    がい    けい

 その上、百万人のすべての人が、一昼夜に一万句の割り合いで作り続けたとして、すべてを書き終えるには、七二九五兆八〇七三億九四〇万三二六九年一一月ニ六日かかると言うのである。この計算が正しいとすれば、例えば、日本の人口を一億人として、その一億人が一日一万句ずつ、俳句や川柳の類い、意味のない十七文字の羅列も含めて、作り続けるとしても、約七三兆年かかるという計算になるという。今から二百年近くも昔、どうやって計算したのであろうか。
 先年、ある所で、「石黒高樹の世界」と題して、つたない話をした。その折、この問題も披露したのであるが、雄川の答えが本当に正しいかどうか心配だったので、事前に、県総合教育センターのコンピュータで確かめた。結論から言えば、有効数字の29個、最後の一桁までぴたりと一致したのである。万事悠長な江戸時代とはいえ、探求心に支えられた先人の恐るべき辛抱強さと、膨大な計算を瞬時にやってのける現代の申し子コンピュータの偉カの両者に、あらためて或る種の感動を覚えたのである。

  木下 周一 (富山高校校長)  「富山高校図書館報」二六号

日本経済新聞「春秋」昭和62年9月19日(土)


 究極の表現は、文も短い。近世ヨーロッパのソネットは十四行。中国では「十二行でいえないなら沈黙の方がまし」。軽薄短小の日本の俳句はたった一行。
▼俳句人口は百万という。「第二芸術論」は昔の話。結社、サークルによらず、独りで楽しんでいる人たちを含めると四百万人という説も。ポケットに句作の手帳をしのばせている政、財界人も結構多い。禅との混同もあるらしいが、海外のハイク熱もさめない。米国でHAIKUという名のレストうンやバーが開店したのはひねり過きだが。
▼十七文字の最初にもってくる文字はいろは四十七文字のどれでもよいから四十七通り。以下いずれも同じで、結局四十七の十七個の積だけ句が存在する。二百年近<前、和算を学んだ富山の、折橋雄川という人が、この計算に挑み、得た答えを立川の雄山神社に奉納していた。答えは二穣(じょう)六六四七杼(じょ)九三六五垓(がい)六九六京(けい)二一九三兆四三九三億二二一九万二六八七。富山高校前校長木下周一氏が、コンピューターで碓かめたら最後の一ケタまでぴったり。「探究心に支えられた先人の恐るべき辛抱さ」(『おやじの値段』文藝春秋社)である。
▼単純な組み合わせほど壮大で、深い。「ウッソー、ホントー」だけのお嬢さん方に俳句の世界を。オフィスや通勤電車のサラリーマン諸氏の手に歳時記を。季語は自然を呼び戻し、観察眼を磨いてくれる。
”蝉(せみ)しぐれ”去って、臨時国会もきょう閉幕。
 夏やせの骨に響くや桐一葉  (子規)

Graphein-O                          Ikuma Wadachi
 というサイトの運営者の方から、引用させていただきました。という案内がありました。
 「リンク、循環、面識もない人との・・・ふれあい」という趣旨を勝手に解釈させていただいて、こちらでも紹介します。 (2001.8.20)
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 2穣6647杼9365垓0696京2193兆4393億2219万2687
  じょう  じょ   がい   けい
                            折橋雄川

■『算学鉤致』/石黒信由
「十七文字」をキーワードにしてインターネット検索を行ったところ、面白い数字が目に入った。
江戸時代の和算の大家(らしい?)、石黒信由(1760〜1836)の著書「算学鉤致(こうち)」に、門人の折橋雄川が、イロハ47文字の17乗を計算して絵馬に書き、立山の雄山神社に奉納したとのこと。この数字を念のためにコンピュータで検算したところ、有効数字29個、最後の一桁まであっていたそうである。
そんな話題を、富山高校元校長の木下周一がエッセイに書き、文藝春秋社の87年版ベスト・エッセイに収録されている(らしい?)。
私がこの数字を引用したのは覚えるためではない。かつて、そんな計算がされ、今では必要とあらば「インターネット検索」で簡単に取りだせてしまう便利さに、この文章を読む誰かが、また、それを引用するかもしれないと考え、リンク、循環、面識もない人々との文字や数字による触れあいを楽しんでいるのである。
Webサイト「晴雨楽天」の制作者にも感謝しよう。