春三月
 先ごろ、講談杜出版の一冊の新刊本をその著者より贈られた。「愛されたい症侯群」という奇妙な題名で、著者はNHKの看板アナウンサーのひとりの古屋和雄君である。彼は、土・日を除く毎朝8時30分からの「おはようジャーナル」で、現代の家庭や学校や杜会で起きている現象を克明に放送している人気キャスターだ。

 この本の内容は、毎朝の放送の裏話として、親子・夫婦・老人問題など、現代世相の核心を、「絆ゆれてませんか」と優しい言葉で提示しており、最近読んだ本の中で最も感銘を受けた一冊である。彼、古屋君は、富山市清水小学校から大泉中学を経て、本校に入学し、昭和43年に卒業、早稲田大学政経学部に進んだ、本校第80回の同窓生なのである。
 ここでは、学校の規則について触れている部分を紹介すると、本校での生徒会の規約を改正する委員としての体験を次のように書いている。

"ようやくでき上った新しい規約を顧問の先生のところへ持っていくと、目を通した先生がこういったのです。
「君たちはこんな厳しい規約を作らなけれぼ、まとまらないのかね。もっと自主性を重んじるよう簡潔に作り直しなさい。」
 この日の帰り道、私たちが鯛焼きをやけ食いしたことはいうまでもありません。しかし、立山連峰を仰ぎながら次第に清々しい思いが伝わってきまし
た。「先生は、俺たちを信用している。」そう感じることができたからです。"と。

 さらにつけ加えて、最近の日本中の学校には、奇妙な校則が横行しているのではないかと警告している。「男女交際証明書」、「赤毛・くせ毛証明書」といった許可証を発行する中学校、「廊下を歩く時は後ろに手を組むこと」という笑うに笑えぬ校則をきめた小学校等、自主・自立を目標に掲げる学校ほど規則が厳しいという。そして、厳しい規則ほど、自ら考え判断するという思考能力をスポイルし、不気味な「指示待ち世代」を大量生産しつつあると、戦傑すべき証言をしているのである。

 今日、わが国が情報杜会に突入したことを疑う人はあるまい。多種多様な情報の渦が氾濫している。こういう杜会に適応して生きゆくために求められる能力は、「指示待ち」ではなく、正しい情報を的確にキャッチし、自ら考え、自ら律することのできる能力、いわば、「杜会的知性」とも言うべき
ものこそ不可欠の能力ではあるまいか。

 春三月は、漸く訪れようとしている春の気配とは裏腹に、われわれ教師にとっては、実は、心寒く暗い季節である。成程、生徒が志望の大学を見事突破と聞くと勿論嬉しいが、その報告を聞きながらも、彼の肩越しに悲運に泣く生徒の顔がちらつき、暗澹たる気持ちを抑えることができない。あの時ああ言えぼよかった、こう指導すれぼよかった、さらには伸びようとする芽を摘み取ったのではないかなど、自分の力量不足をいやというほど思い知ら
される季節なのである。されど、歳月は人を待たず、今年も卒業式を迎えることとなった。今はただ、両親やわれわれ教師との絆を大切にし、自らの人生を邊しく切り拓くような人問となるよう、心から願うばかりである。

   富山高校PTA会報「むつみ」86  3−1987
     学校長 木下周一