周ちゃんの愛称で、皆さんに親しんでいただきました。
9年間の自宅での闘病生活の後、 
平成15年5月16日に永眠しました。
遺稿と思い出を順次ご紹介します。
 わが読書以前   読書の喜びと、高校生に推薦する本。  1970年
● お願い
 父周一の生涯を回顧するため原稿や写真等をまとめております。父に関する資料や皆さまのお言葉などをお寄せいただければ有難く存じます。
 順次、この場に掲載し、その中から小冊子にまとめさせていただきたいと考えております。
 平成15年中にいただければ有難く存じます。よろしくお願いいたします。
      原稿投稿はこちらから
● いただいた資料をご紹介します。
 '03.11.21 「天行健」資料 牧野好男氏
   写真等も順次ご紹介します。
   本当にありがとうございました。
● いただいた弔辞、ご寄稿を、順次
  ご紹介させていただきます。
  いずれもおこころのこもったものであり、
  感謝いたします。

 弔辞 松井元太郎さん

 弔辞 黒澤景寿さん

 弔辞 上田洋子さん

 木下周一さんのこと  三輪辰郎さん

 我が青春に悔いなし  前田 栄さん

 花の木下  牧野好男さん

 木下先生をお見送りして  岡本英子さん

 木下先生と私   荒井 行雄さん

 木下周一先生を偲んで 駒宮史博さん

 木下さんの思い出 佐々木光三さん

 高校第二体育館創設の功労者 米田芳彦さん

 木下周一先生との思い出 筒井慎一さん

 リハビリを共にして 土井和子さん
   

● 父にまつわる思い出です
 父が持ち去った映像

 

 伝統の中の一章  今日的な課題としての伝統を再発見しよう。  1971年
 PTA総会で  教育の基盤、信頼関係を大切にしていこう。   1973年
 なぜ埋蔵文化財を保護するか  先人の遺産を後世に残そう。  1976年頃
 「文化行政長期総合計画懇談会中間まとめ」について 地方からの発想を。1976年頃。
 外野席から(私の読みたい本) プロでない立場から出会いたい。  1978年頃
 街路樹      過保護は、成長を妨げてしまう。  1979年3月
 はじめに      高校三年間に自己改革のきっかけをつかもう。 1979年
 わが読書事始   読書の喜びと、中学入学後の決心。 1979年
 初心忘るべからず  初心を忘れない困難と、その意志を語る。 1979年
 行くに径に由らず  新米校長としての責任。  1980年
 二代目と八代目   八十島喜助先生のこと。 1980年
 強歩大会に思う  より高い困難に挑戦して生きてほしい。 1980年
 たてまえの国、ほんねの国 アメリカとメキシコの教育について。 1981年
 米国名誉市民になった話   ボルチモア市での国際交流。    1981年11月
 電子計算機研究会 発足の辞  コンピューターとつきあう。 1981年頃
 紅はわが心   成し遂げる努力をわすれずにいてほしい。 1982年ごろ
 長男と次男   進取の気性、自己改革していってほしい。  1982年
 カンザスに散る  夭折した同窓生とご遺族の思いに寄せて。    1982年
 同窓会名簿発刊に寄せて  友情と信愛のお役にたててほしい。    1983年
 伝統と創造のハーモニー  新たな創造に取り組んでほしい。   1984年
 天行健  天の運行が健やかなように、努め進みたい。 1985年7月
 富山高等学校百周年記念式典 式辞  創校以来のこころ。 1985年
 中国の野性的体力に学べ  次世代をたくましく育てたい。  1985年
 『富中富高百年史』発刊にあたって  労作大刊にふれてほしい。  1985年
 二年続きの寅年  いち早い虎年。来年はつつましくありたい。   1985年
 創校百周年を迎えて  年々の厳粛な時間を感じてほしい。   1985年
 卒業生に望む  人生の勉強、豊かな情操を養ってほしい。  1986年
 卒業証書授与式 式辞  より豊かな人間性を心がけてほしい。  1986年
 オロチのあご骨  真偽を見分ける目をもちたい。  1986年
 スポーツと21世紀  チャレンジ精神を持て。   1986年
 三嶺会あいさつ  犀星の作詞した校歌への思い。  1986年頃
 大岡信講演会にあたって  瀧口修造さん、大岡信さんのご紹介。  1987年
 春三月  規約で自主性を縛らず、自ら人生を切り拓いてほしい。1987年 
 4717  文藝春秋社の年間ベストエッセーに選ばれました。  1987年
   教育の本義を考える。 1987年
 算学鉤致の世界  江戸時代の石黒信由の和算書から。
 異端者の歌  石黒宗麿、瀧口修造、山田孝雄の三人。   1988年
 あれから50年  昭和初期の小学生の話です。
 わが病床六尺メモ なんちゅこっちゃ
  頸椎損傷で寝たきりとなったばかりの頃の、つらい手記です。  1993年
  入院9ヶ月で自宅へ。その後9年間の自宅療養生活でした。