木下先生をお見送りして

岡 本 英 子


 木下先生の葬儀会場で、正面に飾られた働き盛りの頃の、にこやかな写真を見たとたん、それまでかわいそう、本当にかわいそうすぎると思って来たのに、「周ちゃん、過酷な此の世での修行がようやく終わったね。これで楽になったね。」という思いが急にわいてきました。
 もう治る見込みがなく、毎日身体の苦痛に耐えながら、九年間も寝たきりの生活だったわけですから、そう思ったのだと思います。

 私が南部高校生(今の富山高校)の併設中学時代、初めて出会った先生は、新卒の二十三歳、我々のお兄さんみたいな存在でした。
 絵の好きな先生は、毎日美術部の部室へやってきて、生徒たちとワイワイやりながら、油絵を描いておられました。
 男性的な骨太の絵だったように思います。
 「きょう宿直手当もらったゾ」と先生。
 「ワーイ。おごってェ、キャンディおごってェ。」
 そこで先生、「これ持ってって買うて来い。」生徒達は、喚声を上げて、向かいの店へ走ります。部室で先生と一緒に食べたことを覚えています。

 私は、卒業するまで、苦手な数学を周ちゃんに教わるハメにならなくて、首をすくめないですみました。
 同級生の石原さんは、放課後わからない所を、先生に質問しに行ったそうです。
 先生は、黒板いっぱいに書きながら、丁寧に教えて下さったそうです。そして大きな声で「わかったか!」と言われ、「ハイッ」と気をつけをしたとたん、まっ白になって頭から抜けてしまったといって笑っていました。

 先生は、明朗快活で、やさしく、大らかな方でした。しかし、九年間の闘病生活を思うとき、何て強い人だったんだろうと思います。何がその強さのバックボーンだったのだろうとつくづく思います。
 普通、ああいう状況での毎日が続けば、落ちこんだり、やけを起こしたり、周囲に当たり散らしたり、気が狂いそうで、自分を見失ったりしても、あたり前だと思います。
 しかし先生は、奥さんや周囲の方々にもやさしく、思いやりを示して生活しておられた由、できる事ではありません。自分は、機嫌よくして、周囲に感謝するぐらいしかできないと考えておられたのでしょうか。
 人生の最後に先生は、数学だけでなく、人間の生きていく姿勢を、身をもって示してくださったように思います。

 ここまで書いてきて、このような企画に、いろいろな方面から、ユニークで、楽しい、感動的な文章が、たくさん寄せられると思いますが、先生が生きておられるときなら、どんなにか喜ばれ、慰めになっただろうとそれが残念に思えてなりません。