木下先生と私

荒井行雄

 木下先生との出会いは私が中学3年の冬(昭和39年)にさかのぼります。我が家に先生がお見えになり富山高校への入学を勧められました。実は先生と我が家は以前から縁がありまして、先生が若いころ(多分結婚したてのころ?)、我が家の棟続きの借家に一時住んでおられたことがあったようです。私の父も昔教師をしていたこともあり、先生と父が親しく話をしていたことを覚えています。

 高校へ入る少し前から、私は先生の家に週に一度数学を教わりに通いました。日曜日の夜7時ごろから10時、11時ごろまでです。先生のお宅は当時「木下塾」といわれており、秀才が集まってきておりました。先生の家の二階の和室が生徒の勉強部屋です。二階へあがると、テーブルに先生の手書きの問題が置いてあります。かなりの難問ぞろいで、これをうんうんうなりながら必死に取り組みました。

 1,2時間すると先生が二階に上がってこられ、生徒のノートをみて朱を入れられます。ノートが真っ赤になるくらい丁寧に手を入れられました。当時の私は、先生によくできたとほめてもらおうと一所懸命でした。

 奥様にはお茶やお菓子の差し入れをしていただきました。お子さん(晶さん)がまだ幼い頃でしたので、貴重な一家団欒の時間を私ども生徒の為にかなり割いていただいて、今にして思うと申し訳ない気もいたします。しかも私の場合、父が老齢で既に恩給生活者だったこともあるのでしょう、月謝をお受取りになりませんでした。

 先生は、陽気で、さわやか、またウイットに富んだかたで、学校では生徒から「周ちゃん」の愛称で呼ばれる大変人気のある先生でした。私にとって、日曜日に先生のお宅にいくのが楽しみでした。またその為に日頃、数学の勉強に力を入れました。

 大学に合格したとき、先生のお宅でお祝いをしていただきました。奥様のおいしい手料理に舌鼓を打ちました。先生いわく、「ハートを掴むなら、先ずストマック(胃)を掴めだよ。わっはっは。」

 最後に先生にお会いしたのが、私の結婚式にお招きしご挨拶をいただいた時ですからもう随分前のことになります。先生が大怪我をされたということをお聞きしたまま、お見舞いにも行けずそのままになってしまいました。病の床に臥されてからも、気丈に振舞っておられたということ、奥様をはじめご家族の献身的な看護のご様子などお聞きしております。

昨年5月先生はお亡くなりになりました。しかし先生は私の心の中に私の少年時代の思い出とともに生き続けています。