木下周一先生との思い出

筒井慎一

 木下周一先生は、私が富山県立魚津高等学校在職時の昭和60年に、校長として赴任されました。赴任される前から、数学の指導についての定評の高さは言うまでもなく、教育全体に深い造詣がおありであることは、既にあちらこちらでいろいろと伺っていました。実際にお会いしたところまさにその通りで、更に加えて、声が立派で大きく、常に論旨明快で、豪放磊落を絵に描いたようなお方でした。早々に実施された歓迎会での様子も、酒豪という評判を肯うものであり、すべての面で「達人」でした。

 年度当初の慌ただしさも収まった頃、何かの用事で職員室にお越しになりその帰り際に、「やあ、筒井君、自習になるような授業がでたら、僕が数学の授業をするから連絡してくれたまえ」というような趣旨のことをおっしゃいました。「いいえ、自習にはならないように我々が面倒を見ています」などとお答えすると、「いや数学科としてはそうなんだろうが、どうしても始末に困った場合だよ。何しろ、教えたい事が山ほどあるんだから」と笑いながら、帰って行かれました。その後、私のおぼろげな記憶では、年に1、2回ですが実際に授業をなさったのではないかと思います。このことは、あらゆる面で木下先生を象徴しており、数学に対する姿勢、教職員への配慮、有言実行の人柄など多くのことを示唆していると思います。

 また、酒席でもたいへんお世話になりました。名目の会が終わった後には、「筒井君、ちょっとどうかね」などということになり、いろいろな所に連れて行ってもらい、ずいぶんと可愛がっていただきました。どこまでも乱れず、硬軟いずれの分野でも間髪を入れず反応され、懐の深さや器の大きさに感嘆するばかりでした。興に乗られた際などにはカラオケなども楽しまれ、レパートリーも広く持ち前の美声と音量で我々を圧倒されました。特に思い出深いのは「赤いグラス」で、たいへんお上手でした。

 木下先生が魚津高校を去られ、百周年記念行事が待つ本校に、満を持して校長として赴任なされた後のことは私は詳しくは存じ上げません。その後、木下先生が本校を去られると同時に私は本校に着任させていただきました。このことを自分勝手に、木下先生が私をお呼び下さり「母校で頑張れ」とおっしゃっていただいたと、一人感じ入っておりました。木下先生の富山高校への熱い思いは言葉の端々からずっと存じ上げておりましたので、現在本校がスーパーサイエンスハイスクール(SSH)を実施しているのも、私がその主務者であることも、先生との浅からぬ縁の為せる業かと、思いを新たにしています。もとより、先生の足下にも及ばぬ私ではありますが、数学の教員として日々励む事が先生への恩返しと考え、与えられた機会の一つ一つに全力投球することを御霊前にお誓いしたいと思います。

  富山県立富山高等学校 教頭 筒井慎一(数学)
       平成15年12月 記