リハビリを共にして 
  
 私が木下先生と再会したのは高志リハビリ病院での闘病中のこと、27年ぶりのことだった。先生も私も晴天のへきれきともいえる事故に遇い、人生をもう一度やり直すためのリハビリを余儀なくされていた。

先生はリハビリ中も凛とした風格とユーモアを持っておられた。

ある日の事、作業療法士の早川さんに肩の筋肉を揉み解されながら、先生が
「富山弁に『はちはん』という言葉があるけれど知っとるかい」
と言われるとリハビリ室はちょっとざわめき、つまらない作業をしていた患者さんたちは目を輝かした。

「8つ半ぐらいに物事がやりとおす事ができればまあまあということで、当たり前といような意味だ」
 先生の話にリハビリ室がどんどんなごんで来る。

「富山弁はフランス語と似ているぞ。『なーん』『しゃーん』なんというのもあるぞ」
そう話されながら先生の訓練もなめらかになって来た。腕を支えている装具に助けられ先生は笑顔でワープロのキーを叩いておられるのだ。今思えば、「なんてこっちゃ」という闘病記を書いておられたのだと思う。

 私は背中合わせの斜め後ろにいてスケッチブックに天女を書いていた。コンクリートで固められたような腕は重く、チューブに取り付けられた筆ペンが思うように動かない。いらつく気持ちを先生の会話にどれだけ救われた事だろう。

 時には、魚津での話であったり、教育委員会での話であったりもした。先生も、不愉快なしびれや痛みがおありになったのに、リハビリ室ではそんな弱音をはかれる事も無く、周りの人を気づかわれているので、私には不自由を乗り越えておられるようにまで見えた。

 私は先生から言葉で教えられた訳では無いけれど、先生の闘病の姿から
「身体は不自由であっても、出会う人に不自由さを後味悪いように残しては行けないぞ。」
 と教えられた様な気がしてならない。

 先生、車椅子を並べて明るい青空の下に咲く花々の道を一緒に散歩したかったですね。

                    土井和子