弔 辞
 木下周一君
 とうとう この日がやって来てしまった。ひそかに恐れていた日です。
 九年前あなたが不運にも頚椎骨折の大事故に遭い、病床に伏したままの生活になられた時の我々の驚き。しかし御家族の心を込めた看護の体制と、昔の君を思い出させる、さわやかな叡智を感じさせる言葉を、見舞ふ度に君の口から耳にし、それなりに数年間は、自分を落ち着かせていました。
 しかし、二、三年前に、たまたまベッドの寝具の端にのぞいていた君の左手に、長年の病と戦った人の指を垣間見て”はっ”とするとともに 毎日が闘病である事をあらためて思い 帰宅して涙しました。
 君と出会い、お互いに知り合ったのは、旧制富山中学の一年生、柚木先生の国語の時間であったと思ふ。爾来六十余年が過ぎた。お互いに、仕事が違っても 異なる立場から 時には議論し、友情を交わし得たことは本当に幸せであった。心を許す他の数人の友と共に 酒をくみ交わし、おそくまで語り合った折の健康だった君の笑顔を忘れない。
 笑いと云えば 戦争中の中学生の生活は 決して明るい日々ばかりでなかった筈だが 我々のその頃の思い出が必ずしも暗くはないのは、君のあの明るい大きな笑い声があったからかも知れない。
 漢文、国文に強かった君が高師の数学科に入る。巾広い君の能力を感じさせてくれたものである。
 君は教師として多くの生徒から”周ちゃん”の愛称で親しみと尊敬をこめて慕われ、我々同級生の誇りであった。母校富山高校百周年の記念日には校長として行事を主催、我々同期生に母校の歴史を、深く思いあらたなものにしてくれた君の晴れの姿に、拍手の思いであった。
 この五月、緑につつまれた この地を薫風に乗っていく君の”たましい”の旅立ちを、せめて見送る我々のなぐさめとしたい。
 さびしさは限りなく。されど耐えながら別れの一文を献げたい。
          第56回同窓生  松井元太郎
                         2003年5月19日