弔  辞
 木下先生、お浄土のお花畑は如何ですか。
 先生が美しいお花畑の中から 笑顔で手を振っていらっしゃるお姿が まぶたに浮かんでまいります。

 平成五年九月二十七日から、約十年の年月、毎日、毎日、どんなにおつらい時間をすごしていらしたことでしょう。 先生が高志リハビリテーション病院に入院していらっしゃる時、天井から吊り下げたエキスパンダーのバネに、わずかに動く腕を通し、金属製の装具に箸を付けたものを拳に巻きつけ、バネの力に抵抗しながらキーボードを叩いて、三ヶ月もかけてようやく書かれたという病床六尺メモ、「なんちゅ こっちゃ」を何回も何回も読ませていただきました。
 辛いご病床にあられながらも、いつお訪ねしても、昔とちっともお変わりない豪放な明るい先生のお話ぶりにこちらが反対に励まされました。また、奥様の、心を尽くされて献身的なご看病のお姿にふれ、夫婦のありようの原点の尊さを教えていただきました。

 思えば昭和三十二年、私が富山高校三年生の時、木下先生に担任をしていただきました。先生はまだ三十歳ぐらいで若々しくハンサムで、私たちの憧れの的でいらっしゃいました。ある時は前の晩、お酒を召し上がれたのか、一限目の授業では黒板によりかかる様にしていらっしゃると、男子生徒が、
「先生、二日酔いけ、代わりに授業したげようか」と言って、教室じゅう笑いの渦になったこともありました。
 先生の数学の授業は、おもしろく、分かりやすく、数学が苦手な私もだんだん勉強の糸口がつかめるようになりました。それにも増して、人間的に偉大な木下先生に、目には見えない感化を受け、生涯の師として今日までいろいろご指導を賜ったのをとても誇りに思っております。
 また、不思議なことに主人も教職にあり、大先輩としてお世話になり、そしてまた、子どもの高校時代は先生が富山高校の校長先生でいらしたのも不思議なご縁でございます。
 特に富山高校、創校百周年の折の先生のお姿と記念演奏会、ドレスデン国立管弦楽団のかおり高いメンデルスゾーン バイオリン協奏曲ホ単調と、ブラームスの交響曲 第一番ハ短調を旧・公会堂大ホールで在校生の子供といっしょに聴かせていただいた感激は終生忘れません。

 奥様はじめ ご家族の皆様のあたたかい愛情につつまれて苦しいご病気とたたかい、耐えていらした先生、どうぞ安らかにお眠り下さい。

   遠足の雨晴海岸なつかしき
     かの日の先生と我のうつしゑ

   若葉風 吹きくる中に先生の
     愉快な話・笑い声きこゆ

                   富山高校七十回卒業生   上田洋子


※ 上田洋子さんは、父が病床についてから九年間、毎週欠かさず美しい絵と、楽しいお話しを載せた絵手紙をお送りいただきました。おかげで、父のこころがどれだけ和んだことかはかり知れません。家族一同、改めてこころから感謝いたします。