高校第二体育館創設の功労者

米田芳彦

 富山県は今や全国高等学校第二体育館の設置率では、全国第一位(平成15年調べ)となった。富山県の高校で最初に第二体育館が建設されたのは、富山東高等学校だった。

 昭和54年4月新任の木下校長は、県教育委員会事務局に勤務していた頃からの持論だったとか、「机上の学科と均衡のとれた体育学科の充実」実現の時期到来と燃えておられました。

 陣頭指揮でまず手掛けられたのは学校敷地の拡張。隣接の土地所有者宅へ自ら足を運び用地買収交渉を始められました。職員会議やPTA、教育後援会への根回しもなかなか徹底していて、校長の誠意あふれる体当たり作戦は大成功でした。第二体育館建設で無くなるテニスコートは、フェンスに囲まれて見事に新設されました。

 昭和54年4月知事部局から事務長として学校勤務になった私は、教育畑は初めてのことで右も左も分からぬ素人でした。放課後の職員会議では先生方から器具・器材・設備について要望を聞き、県の担当者につなぐことに熱中し、夜間は地主宅へ出かけてお願いするという日が続きました。学校の周囲は農地なので、高い建物で日陰被害がでないように、また、立山連峰の景観を損ねないようにと第一・第二体育館の棟高をそろえるなど細かい気配りをされ、さらにグラウンド周辺の農業用水分担金の負担割合など困難な問題も次々と正解され、たいへん頼もしく感じました。

 新しい体育館の管理室は明るくて、温水シヤワー室もついて大変喜ばれました。二階には卓球練習コート(今は更衣室)など苦心の成果がみられました。新型の体育器具を入れる予算不足で、校長先生の自動車で実業界のお歴々の事務所を回りご芳志をお願いしたことも懐かしく思い出されます。