常盤台の生い立ち
常盤台一帯の地は、旧地名を「北豊島郡上板橋村字向屋敷/字原」といい、住宅地として開発される以前は、 富士見街道沿いに民家が2,3軒あるだけの「前野っ原」と呼ばれる農地でした。大正3年に東上鉄道(現在の 東武東上線)が開通しましたが停車駅がないため、昭和初期に東武鉄道が一帯を買収した(西新井−上板橋を むすぶ西板線の操車場用地として)後も、しばらくは民間の飛行場として使われていたそうです。その後、 昭和10年に武蔵常盤駅(現在のときわ台駅)が開業し、翌年から常盤台住宅地の分譲が開始されました。
常盤台住宅地の特徴は、住宅地をほぼ一周する環状道路と駅前ロータリーから放射状に伸びる幹線道路による 街路構成です。これは開発初期に内務省の出先機関である都市計画東京地方委員会が関わり、当時入省したば かりの若き設計家、小宮賢一氏の基本設計が採用されたものでした。また開発主体となった東武鉄道も行政と 連携して、建坪、軒高等の内規運用にあたり、住宅地の住環境保全に努めていました。
今日、環状道路にはプラタナスが生い茂り、散策を楽しむ人の姿が見受けられます。昨今では、住宅地の細分 化も一部で見られますが、それでも緑豊かな環境は残されています。これらは先人が築いた貴重な財産です。
参考図書等: 常盤台住宅物語(文化財シリーズ第85集---板橋区教育委員会)