戻る

Introduction〜緒論
聖書は、いつ、誰によって作られたのでしょう
「バイブル」「テスタメント」という名称の由来
聖書の翻訳
聖書の注解
タルムード
死海写本
付録・旧約聖書の順序の比較

Introduction〜緒論

ヤムニア会議のこと

 AD90年頃、ヤムニア(ヘブル語名:ヤブネル)において開かれた会議において、旧約聖書が現在の36の書物として正式に決定されました。 なぜ聖都エルサレムではなく、ヤムニアだったのでしょうか? この町はエルサレム神殿滅亡(AD70年)後、 Rabbi Johanan ben Zakkai が聖書学者を集め、学府を開き、サンヒドリン(ユダヤの議会)を再興した町だったのです。


 時代を600年ほど遡ります。バビロンによるBC587年のエルサレム陥落以降、ユダの民バビロン捕囚となった人たち、エジプトへ逃れた人たち、 オリエントと地中海沿岸地方などに移住した人たち、そしてユダに引き続き留まった人たちに分かれました。

 他国に移住した人たち、特にバビロンに連れて行かれた人たちは、民族の誇りとアイデンティティを維持しようとつとめました。 それまでは国教であり、祭儀中心であった創造神の宗教が、生活に深く根ざした「(父祖の)信仰」の宗教として再認識されていきます。 チグリス・ユーフラテス川の上流地域にはスーラなどにいくつかユダヤ人の神学校が作られ、そこでモーセ五書をはじめとした、 旧約聖書の根幹となる部分、多くは口承・口伝であったものが、そこで成文化されたものと考えられます。

 エルサレム神殿にかわる礼拝の場所として、初期には水辺や町のはずれの広場で、安息日(土曜日)ごとに礼拝が守られるようになりました。 詩23編の「憩いの水辺」・「青草の原」という言葉はその礼拝の場所を表しています。
 経済的な余裕が出来てくると、会堂(シナゴーグ)で礼拝が守られるようになりました。そこは単に礼拝をするだけでなく、 情報交換の場所であったり、婚礼の会場として用いられたりしました。


 紀元前6世にバビロンがペルシャに滅ぼされ、間もなく捕囚解放の勅状が発布されました。  ゼルバベルをリーダーとする、数万人の帰還民はBC520〜516年にかけて新しい神殿を建築します。 そして【神の人モーセの律法(祭儀法典)】に書き記されている通りに祭儀が行われたと、エズラ記は報告しています。
 BC前444(445)年にネヘミヤという人がバビロンからやってきて、帰還民達を指導し、 それまで難航していたエルサレム城郭の修復を一気呵成に成しとげ、完成感謝の祝いとして「水の門の前の広場」で礼拝を捧げました。 そこでは聖書(五書)の朗読と解き明かしがなされました。
 それはネヘミヤの時代には聖書の根幹である五書がバビロンにおいて用いられ、 聖典の地位を(ヤムニア会議の)得ていたことを示唆しています。 バビロニア・タルムード(律法の解説書)が紀元前500年頃、編纂されましたが、五書の成文化はそれ以前に完了していたものと思われます。

 そんな中、有名なアレキサンダー大王(BC336〜323在位)の東征によって、ペルシャ帝国が滅ぼされ、 古代オリエントやエジプトはギリシャ文明・文化の多大な影響を受けるようになります。

 エジプトでは、紀元前3世紀以降、ギリシャ語が日常語として使用されるようになりました。 紀元前3世紀に、エジプトでギリシャ語しか解さないユダヤ人向けに、旧約聖書のギリシャ語訳の作業が始まりました。 それはモーセ五書(創世記〜申命記)に始まり100年以上に渡って続けられました。「LXX」=「七〇人訳」と呼ばれるものです。

 パレスチナでは、ユダヤ教はヘレニズム(ギリシャ)文明の侵攻を受けて、パリサイ派、サドカイ派、エッセネ派、ザドク派、ゼロテ(熱心)党 など、いくつかの派閥、あるいは異端に分化しました。それぞれが「正統派」または「改革派」を自称していました。
 「第二次ユダヤ戦争」=ゼロテ党が中心になったローマに対するレジスタンス運動で、紀元前70年にエルサレム神殿は破壊され、 ユダヤ人達はエルサレムから追放されてしまいました。それでユダヤ教の中心(ベト・ディーン)はヤムニアに移されたのです。

 AD90年ごろのヤムニアの「会議」は、神殿の喪失というユダヤ教の根幹を揺るがす事件を受けての「会議」でした。 ところで既に旧約各巻は「聖典」としての地位を得て用いられていたましたから、「会議」は皆の意見を求め、新しい聖典を決めようとか、 折衷案を多数決で決める、という「会議」ではなかったのです。それは「不要な書物の排除」であったようです。もちろん、神聖なヘブライ文字で書かれているとか、 神聖な書物に相応しい内容という判断基準はありました。
 たとえば歴代誌などは正典に含めるかどうかで最後までもめたのです。内容を読めば歴然ですが、「ダビデ賛歌」に他なりませんし、 歴史資料としての信憑性もイマイチなのです。 ですが、歴代誌は結局ユダヤ教の正典の一番末尾に収められました。 多分列王記に「ユダの王の歴代史に書いてある」という字句が頻出しているので、「参考までに収めた」というのが本音ではないかと (僕は)思います。

カルタゴ会議のこと

 神戸ルーテル神学校のリフレッシュ・コースでK.アルスボーグ先生の講義を受けていた時のことです。 先生が「公会議で何かを決定したことはない。」と仰有ったので、半ばシニックに、「先生、それではカルタゴ会議はどうなのですか?」 と質問しました。

 第三回教会会議(カルタゴ会議)は、聖書の聖典(Scripturas cannonicas)の決議をし、有名なアウグスチヌスも参加したと言われている 会議です。一般にここでキリスト教の正典が決定されたと認識されています。

 アルスボーグ先生はちょっと顔をしかめられて、「カルタゴ会議は、それまで正典として用いられてきた書物の確認であって、 そこで何を正典にしようかと相談・議決したのではない」と仰有いました。

 少し説明が必要でしょう。キリスト教会内の一部には「旧約聖書は不要だ。新約聖書だけで良い」とか、「聖書はルカ文書だけでいい」という 極端かつ頑ななグループがあったのです。新約27巻は「正しい信仰の確立に不可欠な書物」として、「信仰の基準」 (レギュラ・フィデイ)=現在の使徒信条とほぼ同内容の、教理を要約した告白=に合致する書物「ホモログメナ」として2世紀頃から既に用いられていたし、 それゆえにAD397年のカルタゴ会議において旧約39巻と共に正典として再確認されたのです。 そして異端を排除したのです。

 キリスト教会は2世紀から3世紀にかけてグノーシス主義とか「聖書はルカ文書だけでいい」と主張したマルキオン派、 そして(自称)霊感書を乱発したモンタノス派といった異端と戦い抜き、信仰の純粋性を確立したのです。

聖書はいつ、誰によって作られたのでしょう

旧約聖書

 イスラエルとユダの王室の公式記録や、歴史書・宗教書のほとんどは、紀元前587年の亡国の際に散逸してしまったものと思われます。 列王記や歴代誌などは王室記録からの抜粋のように思えるかもしれませんが、そうではありません。  たとえば歴代誌の南王国(ユダ)の記録は「預言者シェマヤと先見者イドの言葉」、「預言者イドの解説」、「(原)イザヤ書」、「イスラエルとユダの列王の書」、「列王の書の解説」などが 資料として用いられていると記されています。歴史のドラマ(事件)のあった日から数百年後になってから書かれているのです。 現代の史家や歴史小説家が、古文書をもとに鎌倉期や戦国時代の歴史(ドラマ)を再構築するのに似ています。

 捕囚となっていた異境の地バビロンでは、宗教的には寛大であったようですが、エルサレム神殿は破壊されてしまっていますし、 国に戻ることも赦されませんでした。具合の悪いことに、ヨシヤ王の宗教改革の時(BC621)に、 エルサレム神殿以外で犠牲を捧げる祭礼を行うことを禁止してしまっていたのです。(参考:王下23.8-9、申12.1-5) 神殿での礼拝なしで、どうしたら民族のアイデンティティーを保つか、これは大問題です。旧約聖書、あるいは新約聖書に おけるユダヤ人は、安息日と割礼を守ることとや偶像礼拝の忌避に異常なほど執着していますが、 神殿なしで実施できる数少ない「律法」として、日常的な家庭生活に深く浸透していったものと思われます。

 民族として残された遺産(テスタメンタム)は何かと言えば歴史の断片と律法、祭儀、それに預言者の伝承や記録、 詩編(歌)および格言集などでした。ある部分(預言書など)は書物として持ち出され、ある部分は捕囚となってから記憶に頼って 書かれたと思います。

 バビロンの地で捕囚民が生活基盤を確立し、財政的時間的に余裕ができてきた頃から、遺産たる資料の蒐集と系統的な 分類が進められ始めました。数多くの断片から、聖典が編纂されました。原資料の選択に当たっては、それがヘブライ語 (聖なる言葉)で書かれていることが重視されました。そして、それを、どのように編集(復元)するかというのは大問題でした。 歴史的事件の順番にならべるのは当然として、一つの出来事に対して複数の有力な資料があり、 互いに矛盾するものがありました。現代の区分ではJ資料、P資料、E資料などに分類され、神様の呼び名や歴史観などが違うとされています。 時間的空間的に隔たった複数のユダヤ人グループによって聖典として編集され用いられていたものが、 最終的に1つにまとめられたのでしょう。

 一般に「モーセ五書」と呼ばれている創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記は、ユダヤ教では 「律法(トーラー)」と呼ばれていますし、新約聖書でも「律法」と呼ばれています。場合によっては 旧約聖書全体を「律法」と呼ぶこともあります。  五書は旧約聖書の核(コア)であり、聖書全体の核芯となるものでもあります。ですから、バビロンにおいて 真っ先に五書が聖典の地位を得たのは当然のことでした。

創世記の区分
1〜11章 天地の創造、裁きと祝福〜(全民族の)系図
12〜25章 (父祖)アブラハム
21〜35章 (父祖)イサク
25〜49章 (父祖)ヤコブ
37〜50章 ヤコブと息子たち エジプトへ
 「我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。」・・・・使徒信条(キリスト教の信仰告白)の冒頭20文字は、 創世記1章1節〜2章3節の「天地創造」だけでなく、旧約聖書全体のエッセンスを言い表しています。 「神様がこの世界を創られた」という信仰です。その創造神たる神様は、ご自分が創られた世界を(ノアの)洪水やバベル(の塔)、 ソドム・ゴルラ(の町)のように苛烈な刑罰をもって裁きをされる神様であるし、愛をもってノアや(ユダヤ人の)父祖たちを祝福された 方である、ということが創世記には綴られています。

 「バビロン捕囚」とは、ユダヤ人が天地を作られた神様に背いた重い刑罰である、だから(神様と共に歩んだ)父祖の信仰に戻ろう、というのが ユダヤ教の原点であり、(捕囚期の)ユダヤ人の共通理解です。その「父祖の信仰に戻ろう」は聖書全体のモチーフの一つに なっています。(参照:王上13.23、イザヤ1.2-5、ヨブ8.8-10、ルカ1.16、ロマ4.9-16、ガラテヤ3.7-14)

出エジプト記のおおまかな区分
1〜15章 モーセによるエジプト脱出
16〜18章 荒れ野
19〜31章 シナイ契約(1)
 憲法(十戒)、刑法、民事賠償法、刑事賠償法、訴訟法、12部族の契約、幕屋と祭司と祭器の規定、戸籍調査(30)
32〜40章 シナイ契約(2)
 金の子牛、十戒の再交付、安息日、幕屋と祭服と祭器の製作
 聖書全体を貫く別のモチーフは「不可能を可能にする神様」と「公平な裁き」です。出エジプト記にその典型を見ます。 前者は出エジプトのいろいろな奇蹟です。裁きについては、ちょっと、次の聖書箇所をご覧下さい。
 民は[連日]朝から晩までモーセの裁きを待って並んでいた。 モーセのしゅうと(エテロ)は、それを見て、「なぜ、あなた一人だけが座に着いて、 民は朝から晩まで裁きを待って並んでいるのか」と尋ねた。 モーセは「民は、神に問うためにわたしのところに来るのです。 彼らの間に何か事件(ダバール)が起こると、わたしのところに来ますので、わたしはそれぞれの間を裁き、 また、神の掟と指示とを知らせるのです」と答えた。 エテロは言った。「あなたのやり方は良くない。あなた自身も、訪ねて来る民も、きっと疲れ果ててしまうだろう。 助言をしよう。あなたが民に代わって神の前に立って事件について神に述べ、 彼らに掟と指示を示して、彼らの歩むべき道となすべき事を教えなさい。 あなたは、民全員の中から、神を畏れる有能な人で、不正な利得を憎み、信頼に値する人物を選び、 民の上に立てなさい。平素は彼らに民を裁かせ、大きな事件があったときだけ、 あなたのもとに持って来させる。小さな事件は彼ら自身で裁かせ、あなたの負担を軽くし、あなたと共に彼らに分担させなさい。 (出エジプト記18.13-22・抄)
 直後の20章に「十戒」とそれに続けて簡素な<律法>が述べられています。 そして18章は「律法」が「神を畏れる人」によって初めて有効かつ公正な裁きが実現するのだ、ということを示しています。 旧約の各預言書を見ると、「神を畏れない者たち」の「(便宜的な)不正な裁き」を神様は怒り、裁かれるのだ、 という内容の記事が頻出しています。驚くべき事に、それは今日の日本の社会にも当てはまる原則でもあります。

レビ記のおおまかな区分
1〜10章 捧げ物の規定@、祭司の任命、捧げ物の初執行
11〜16章 衛生法、贖罪日
17〜26章 聖潔法
 屠り場の制限、鳥獣の飲血禁止、近親婚の禁止と性行為、拡張版十戒、死罪、捧げ物の規定A、祝祭と安息日
 判例(神の冒涜)、安息の年とヨベル、祝福される行為と呪われる行為、誓願、捧げ物の規定B
 レビ記はほとんどが読んでもつまらないような律法の羅列で、しかも現在の法律のようにきちんとは体系化されていません。 しかし、読み飛ばすことのできない箇所があるのです。それは律法の運用・適用に関する次の記事です。
 あなたたちは不正な裁判をしてはならない。あなたは弱い者を偏ってかばったり、力ある者におもねってはならない。同胞を正しく裁きなさい。 民の間で中傷をしたり、隣人の生命にかかわる偽証をしてはならない。わたしは主である。
 心の中で兄弟を憎んではならない。同胞を率直に戒めなさい。そうすれば彼の罪を負うことはない。 復讐してはならない。民の人々に恨みを抱いてはならない。自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。わたしは主である。 (レビ記19.15-18)
 寄留者があなたの土地に共に住んでいるなら、彼を虐げてはならない。 あなたたちのもとに寄留する者をあなたたちのうちの土地に生まれた者同様に扱い、自分自身のように愛しなさい。 なぜなら、あなたたちもエジプトの国においては寄留者であったからである。わたしはあなたたちの神、主である。 (レビ記19.33-34)
 新約聖書の「山上の説教」(マタイ5章ほか)に酷似しているのがお分かりでしょうか。イエス・キリストがレビ記を熟知され、 そのスピリットを心に刻まれていらっしゃることが判ると思います。また、レビ記の「アニー・アドナイ(私は主である)」 という言い回しが「山上の説教」に潜在的に記されているということが、五書を熟知しているユダヤ人キリスト者 には分かっていた筈です。
 よく「イエス・キリストは律法を否定された」とのたもう御仁がいますが、むしろ「イエス・キリストは律法を活かされた」 のが本当ではないかと思うのです。 また、「自分自身を愛するように」とは「わけへだてなく」が聖書の原意である ことがここで示されています。換言すれば、「レビ記の理解無しに新約聖書は語れない」ということです。 なお、「敵を憎め」という条文は旧約聖書には見あたりません、念のため。(参考:ロマ12.19、ヘブル10.30)

 捕囚のユダヤ人たちは、自らが異国の寄留民であり、寄留民としての差別や蔑視を受けていたと思います。 その彼らがレビ記19章を編んだ。それは「悔い改め」そのものではなかったでしょうか。

民数記のおおまかな区分
1〜4章 戸籍登録・兵役登録(人名録)@、レビ人の位置づけ、聖所(幕屋)の警護・業務担当の割り当て
5〜9章 皮膚病、賠償、嫉妬した場合の規定、贖罪日、ナジル人、捧げ物の目録、燭台、月遅れの過越祭
10〜12章 銀のラッパ、シナイ出発、マナ、うずら、ミリアム
13〜14章 カナン偵察
15〜20章 献納物@、安息日、衣服の房、コラ反逆、香炉、献納物A、浄め、水、
20〜24章 エドム領通過を拒否されこれを迂回、アロンの死、ホル山からモアブの谷まで漸進
     アモリ人シホンの領地通過を拒否されこれを攻撃し占領、オグ撃破、バラムの託宣
25〜30章 雑婚者の処罰、戸籍登録(人名録)A、ヨシュアを後継者に、献納物B、誓願 
31〜36章 ミディアン攻略、ヨルダン川西岸侵入、土地の配分、出エジプト総括
 民数記はユダヤ人たちがシナイを出発し、カナンの地に侵入するまでの経緯が描かれていますが、 厳密な意味の歴史書ではありません。それはヨシュア記からエステル記も同様なのですが、特に 「モーセ五書」は「律法(トーラー)」という位置づけになっています。その視点を欠いて、細かなパーツに区分して 歴史的信憑性や背景を分析しても、全体像は浮かんでこないと思います。
 民数記の主要なテーマは「神の民」ではないかと思います。「律法」に反して「罪の代償」を支払い「戸籍登録」した者たちが「神の民」 になった、という「救済史」なのです。 冒頭1章と26章の「戸籍登録」ではイスラエルの民の支族長名が網羅されています。これは「神の民の名簿」=「神の民の人名録」 と理解することができます。エズラ記やネヘミヤ記にも冗長な人名の記述がありますね。これは旧約版「命の書」(参考:ピリピ4.3、黙示録7.3-8) と捉えて差し支えないと思います。
 主はモーセに仰せになった。 あなたがイスラエルの人々の人口を調査して、彼らを登録させるとき、登録に際して、 各自は命の代償を主に支払わねばならない。登録することによって彼らに災いがふりかからぬためである。 登録が済んだ者はすべて、聖所のシェケル(重量の単位)で銀半シェケル(約6g)を主への献納物として支払う。一シェケルは二十ゲラに当たる。 (出エジプト記30.11-13)
 民数記25章ではミディアン人と雑婚したエレアザルの支族の者24,000人が<災害によって>死んだと記されています。 そしてエズラ記9章から10章とネヘミヤ記13章では、異民族の女性を妻としていた人々が糾弾されています。

聖書には人の名を表すときに「ヘロンの子エリアブ」といったように「誰々の子」という表記がよくなされています。 これは直接の親子関係を指す場合もありますが、「誰々の子」は「誰々の子孫」を表している場合が多いのです。  たとえばイエス・キリストは「ダビデの子」と呼ばれることがありますが、直接の親子ではありません。
ヤコブよ、あなたを創造された主は
イスラエルよ、あなたを造られた主は
今、こう言われる。
恐れるな、わたしはあなたを贖う
あなたはわたしのもの。
わたしはあなたの名を呼ぶ。 (イザヤ書43.1)
 これら一連の流れは、イエス・キリストが[十字架によって]私たちの命の代償を支払ったという ことの伏線になっています。


申命記のおおまかな区分
★タイトル:ヨルダン川東岸のモアブにて、モーセによる律法の解き明かし
1章 土地取得の約束、隊長(裁判人)の専任、土地取得に対する不信、山地での敗北。
2〜4章 北上、モアブと戦うな、ヨルダン川東岸の占領、モーセの祈りと勧告、偶像礼拝、逃れの町(1)
★タイトル:律法前文(序論)
5〜9章 十戒、主の命令、神の契約の民、神は逆らうものを追い出される、頑なな民
10〜11章 十戒の再交付、主を畏れ仕えよ、主の戒めを守れ
12〜25章 礼拝、他の神々に従うな、食物の規定、十分の一規定、負債の免除、奴隷の解放、初子、祝祭、 キズのない捧げ物を、裁判(1)、王の心得、レビ人と祭司、異教の習慣に倣うな、預言者、逃れの町(2) 裁判(2)、戦争の規定、雑則集、
26章 神の民の信条、律法を書き記せ、宣誓、聖なる民の祝福と呪い
★タイトル:モアブでの契約
29〜31章 出エジプトの契約〜祝福と呪い、ヨシュアを指導者に、7年ごとの契約更新、
32〜34章 モーセの歌、祝福の詩、モーセの死
 「これらのことどもは、モーセが全イスラエルに語ったところのものである。」

 ヘブライ語の書名は"elleh ha_dvariym"(これらのこと)という、申命記冒頭の言葉を採っています。 竹内茂男先生によれば「ダバール」は「言葉」と訳される場合もありますが、「こと」と訳すと良いそうです。 上記出エジプト記の引用のように「出来事/事件」を意味する事もあるわけで、 複数形の「ドゥバリーム」は「ことども」と訳すのが適当ではないかと思います。

 創世記〜民数記とは違い、物語らしいところはほとんど見あたりません。あっても、民数記以前に書かれているものの 回想のような扱いになっています。「アブラハム、イサク、ヤコブ」という言葉が申命記に7回登場します。 「神様が父祖たちに約束された契約」の再確認が本書の主題の一つであり、民の不信と十戒の再交付が語られているのも 、そのことを暗に示しています。
 見よ、わたしは今日、あなたたちの前に祝福と呪いを置く。 あなたたちは、今日、わたしが命じるあなたたちの神、主の戒めに聞き従うならば祝福を、 もし、あなたたちの神、主の戒めに聞き従わず、今日、わたしが命じる道をそれて、 あなたたちとは無縁であった他の神々に従うならば、呪いを受ける。 (申命記11.26-28)
 17章14節以下に「王の心得」が書かれていることから判るように、申命記が書かれたのは王国時代以降のことです。 つまり、出エジプトの苦難と恩寵を忘れ、異教礼拝や占い事にふける民を回心させるために書かれたものだと思われます。

 ヘブライ語聖書ではヨシュア・士師記・サムエル・列王が前預言書、イザヤ書〜マラキ書が 後預言書に区分されています。
 「後預言書」は預言者名がタイトルになっていて、内容もいかにも「預言書」らしいのですが、 「前預言書」は「預言」というよりは歴史物語になっています。極端に言えば「前預言書」は土地取得から王国までの歴史〜神の救済史〜を、 「五書」(端的に言えば申命記)の副読本として纏めたように思います。歴史に働きかける神様が隠れた主題として描かれています。
 「後預言書」は、個人的な「預言」や「幻」を元に、王国の困難(滅亡)と民の救済(希望)が一貫したテーマとして扱われています。 なお、ルカ24章/使徒13章で「預言者の書」と書いてあるのは、両方併せた「預言書」を指しています。

 ヘブライ語聖書では詩編・箴言・ヨブ・雅歌・ルツ・哀歌・コヘレト・エステル・ダニエル・エズラ/ネヘミヤ・歴代誌が 「諸書」に区分されています。時代的にも内容的にもさまざまな書物が収められています。詩編は古代の讃美歌集とでもいうもので、 キリスト教会では賛美歌として用いられていました(参考:コロサイ3.16)。雅歌は婚宴歌、エステルはプリムの祭りの朗読用、 箴言・コヘレトは金言集として用いられてきました。
 聖書編纂の過程で宗教的にも集団的な祭儀・・・・主として罪の赦しのための犠牲・・・・から、個人的な信仰・・・・律法を学び、守ること・・・・という重要な転換がありました。「形だけの礼拝は要らない」ということもあるでしょうが、エルサレム神殿が使えなかったということにも起因していると思います。

ネヘミヤ記の、水の門の広場での礼拝は印象的です。 そこで聖書(律法の書)が朗読され、続いてその釈義がアラム語で語られました。民は聞いて理解できたので、涙を流した、と記されています。 解釈する人(トゥルグマン)の役割は単純に翻訳するのではなく、聖書が本来的に持つ意味を語って、「律法の書を実現させる」ことにありました。 聖書が読まれ、その釈義を解説する、というのは現在の礼拝に通じる、エポック・メーキングな出来事でした。父祖の地に戻って、父祖の言葉(精神)に出会うというのはとても効果的な演出だったに違いありません。

聖書は生まれながらにして翻訳され、あるいは解き明かされる運命にありました。

旧約聖書・まとめ

 アレクサンダー大王の東征によりペルシャ時代が終わり、ギリシャ・ローマ時代に入りました。 ギリシャ語が日常語として用いられるようになり、ギリシャ語しか解さないユダヤ人達が増えてきました。 エジプトのアレクサンドリアでは、王プトレマイオスU世フィラデルフォスの命により王立図書館で(旧約)聖書が翻訳されることになりました。 「70人訳」(セプトゥアギンタ、LXX)と呼ばれるギリシャ語訳聖書です。現在キリスト教界で用いられている聖書の、 旧約聖書の並び順は、ほぼこの70人訳に拠っています。紀元1世紀の終わり頃、 ヘブライ語の正典が確立するのとほぼ同時にこのギリシャ語訳も集結しました。クリスチャンはこの70人訳を重宝して使いましたが、 逆にユダヤ人からは無視されるようになりました。

なお、ほかにもアラム語訳(タルグム)、シリア語訳など、ディアスボラ(散らされたユダヤ人)のために翻訳聖書が作製されました。

 イエス・キリストの時代には現代のように一冊にまとめて製本するような技術はなく、三部24巻に分けて皮紙の巻物にされていました。(長い書物は上・下巻に分冊にされました)

 旧約聖書36巻が聖書の正典に選ばれたのはAD90年、ヤムニア(ヤブネル)の会議においてでした。
この町はエルサレム神殿滅亡(AD70年)後、Rabbi Johanan ben Zakkai が聖書学者を集め、学府を開き、サンヒドリン(議会)を再興した所です。

 もちろん、それまでに36巻がほぼスタンダードだったのですが、正式に認められ、権威づけられたのはこの時、この地においてでした。

 「サマリヤ五書」というのがあり、これはモーセ五書とほぼ同じとみていいのですが、サマリヤとユダヤの決裂(最近ではBC128年のゲリジム神殿破壊の頃と考えられています)の時には、 他の旧約各巻は必ずしも正典として認められていなかったことが伺えます。

   ユダヤ戦争後の亡国の緊迫の中で旧約各巻が選定されたというの事は興味深いものがあります。

新約聖書

 新約聖書は4つの福音書と使徒言行録、パウロなどの書簡、黙示録から成っています。
 福音書は一般世間では「イエス・キリストの生涯を書いた伝記」ということになっていますが、正確に言えば「イエス・キリストの公生涯における言動を記述したもの」です。

 ”公生涯”というのはイエスが約30才になり、キリスト(救い主)として神の言葉と希望(福音)を説き、十字架の死と復活に至るまでを指します。
 例外的にマタイとルカに降誕物語が組み入れられているのと、ルカに12才の宮詣での挿話があります。
 4つの福音書の中では、ヨハネによる福音書がほかの3つの福音書と観点が異なっていて、”第四福音書”と呼ばれ”共観福音書”と呼ばれる、ほかの3つと区別されています。
 マタイとルカは、マルコを底本にして独自の資料を使って編集されたものと考えられています。
 ルカによる福音書はルカが使徒言行録とあわせて書いたものに違いないと考えられていますが、ほかの3つは著者不明です。  新約聖書各巻が現在の書物にまとまったのは紀元393年のヒッポの教会会議と続くカルタゴ第三回教会会議においてとされています。紀元223年頃には(ペンディングになっていた黙示録などを除き)ほぼ現在の形になっていたようです。
 

聖書外典

 アポクリファと呼ばれるマカベア書、ソロモンの知恵、ベン・シラの知恵、トビト書、ユディト書など15の書物が「外典」です。
これはカソリックでは正典に準じた書物ということですが、プロテスタント教会ではそのような価値を認めていません。
 とはいっても、僕はプロテスタントの日本キリスト教団出版局が出版した”アポクリファ”を持っています。
 また、”新共同約聖書”ではカソリックとプロテスタントが共同で作成したため、”旧約聖書外典付き”という聖書も作られています。
興味のある方は御覧になるといいと思います。

偽  典

 狭義にはアリステアスの手紙(70人訳の成立物語が記されています)、ヨベル書、イザヤの殉教と昇天、バルクの黙示録など13の書物が偽典とされています。 これは他人の名前を使って書かれているために”偽”と呼ばれていますが、新約聖書でもそのような事はザラですから、 要はその内容についての重要性を判断から”外典”に相当する価値や信憑性がないと判断されたようです。
 山本書店発行の「ギリシャ・ローマ・ユダヤ・エジプトの資料による原典新約時代史」(1975/05発行)にこれらの偽典の一部が納められていますから、 気になる方は読んでみてください。
 ”偽典”の他に「ペテロの福音書」など、本当に荒唐無稽な書物(少年イエスが土をこねて鳩を作ったら、飛んでいった、などと書いてあるそうです)がゴマンとあり、これらは広義の”偽典”に含まれています。 

「バイブル」、「テスタメント」という名称の由来

バイブル

パピルス  「バイブル」というのはもともとパピルスの茎の髄をさすギリシャ語「ビブロス」から派生した「ビブリオン」、巻物を指していた言葉です。 この「ビブリオン」という言葉は、新約聖書では旧約聖書各巻を指すほか、書物、書状などの意味にも用いられていて、マタイによる福音書19章7節の「離縁状」、ルカによる福音書4章16-17節の「預言者イザヤの巻物」、黙示録の「巻物」などがそうです。
 一般名詞の「ビブリオン」が5世紀頃には聖書の代名詞として受け入れられるようになりました。でも、英語の聖書には”The Bible”や”The Holy Bible”などのように定冠詞を付けて区別しています。
 ヘブライ語で聖書は「タナフ」と言います。イスラエルでは旧約聖書は「トーラー・ナビーム・ケトゥビーム」(律法・預言・諸書)が正式名ですが、略して「トーラー」と呼ばれているそうです。

テスタメント

 ”Testament”は、ラテン語のテスタメンタム、”遺言”から派生した”契約”を意味する言葉です。初期のクリスチャンは旧約聖書のことを「テスタメンタム」と呼んでいましたが、 紀元2世紀末になって新約聖書各書が正典としてそろい、旧約聖書との区別のために新/旧をくっつけて呼ぶことが一般的になったため、公認されました。 「古い契約」は神がイスラエルと約束した契約、「新しい契約」はイエス・キリストによる万民の契約を指します。

聖書の翻訳

 紀元382年頃ウルガタ訳と呼ばれるラテン語の旧約聖書、続いて古ラテン語聖書の改訂によるラテン語新約聖書が出来ました。 そして、ローマ・カソリックはずっとこの聖書を用いてきました。
 宗教改革の時代になって、マルチン・ルターは民衆が自分たちの言葉で理解できるように、1522年9月、 ドイツ語の聖書を出版しました。それもヘブライ語やギリシャ語の底本からダイレクトに翻訳するという、画期的なものでした。これによって一般民衆も聖書を自分で読むことができるようになりました。 彼は同時に平易な言葉で講解説教集を出版しました。
 英国では7世紀から翻訳が開始されました。1560年出版のジェネバ訳は、はじめて節に分けた聖書として有名ですが、 何と言っても一番有名なのが1611年の"King James Version"「欽定訳」と呼ばれるものです。 これは清教徒たちがカソリックの影響を排除した聖書を陳情したことから始まっています。

 聖書翻訳の底本をどうするかという問題がありました。旧約聖書あるいは新約聖書全部が完全な形で残っている写本は ありません。部分的に欠けていたり、明らかにミスと思われる所があります。旧約聖書はマソラ学派によって作られた マソラ本文が最も権威あるとされ、これをたたき台にして、ほかの写本や断片、古代の注解などを参考にして、 オリジナル聖書の再現が試みられてきました。これは主としてドイツ聖書協会において作業が進められたため、 ”ビブリア・ヘブライカ・シュトゥットガルテンシア”(BHS)と呼ばれます。何度か改訂版が出されましたが、 その作業はほとんど終わりに近いと言われています。新しいほど古い、というのはおかしな気がしますね。
 なお、ギリシャ語聖書は世界聖書連盟によって改訂されています。

 BHSに次く本文研究がイスラエル=エルサレムでなされつつあり、やがて出版されるであろう旧約ヘブル語聖書はBHQという仮称になっています。

 日本語の聖書は、戦国時代に試みられたあと、明治になって、ギュツラフ訳というヨハネ福音書の翻訳を皮切りに、個人訳が先行して出版されました。これらは木版刷りで、たいへん経費がかかったようです。  はじめて本格的な新・旧両訳聖書となったのは文語訳聖書で、これはヘブライ語/ギリシャ語原典と共に、英訳聖書と中国語聖書を参考にして翻訳されました。戦後間もなくまで用いられ、名文・美文で綴られていて、いまだに懐かしむ人が少なくありません。
 その後やはり原典からダイレクトに翻訳した口語の聖書を作る機運が高まり、それも日本人だけで訳すという画期的なプロジェクトが実現しました。口語訳聖書(1955年)です。戦後の混乱期に、乏しい中でよくこれだけの聖書が出来たものだと思います。

 カソリックは、長いことラテン語聖書を用いてきましたが、聖歌ともども各国語に切り替える運動が始まりました。そしてカトリック・プロテスタント共同作業という画期的な形態による「共同訳聖書」が試験的に刊行されましたが、「イエスス」「パウロス」など人名などがなじみにくい、意訳にすぎて、礼拝で使用するには語調がよくないなどの理由で普及せずに至りました。  その経験をもとに作られたのが「新共同訳聖書」(1987年)です。近年の考古学的発見の成果を採り入れた底本を用い、口語訳で問題とされた不快語、差別語などが除かれました。人名も馴染まれたものにしました。これが現代日本語聖書のスタンダードになっています。  ほかにポピュラーな日本語聖書としては日本聖書刊行会による「新改訳聖書」(1970年)があります。口語訳聖書よりずっと後に出版され、内容的に優れたものがあります。原文のニュアンスを伝えるために、翻訳調の表現が残されています。

現代の聖書

ヘブライ語:BIBLIA HEBRAICA STUTTGARTENSIA(BHS);ドイツ聖書協会刊が最も権威あるヘブライ語旧約聖書です。 各国語に訳される時の底本に用いられます。

ギリシャ語:The Greek New Testament; 世界聖書連盟刊がやはり新約聖書の底本として用いられています。

日本語:新共同約聖書:日本聖書協会刊が一番多く用いられていますが、 新改訳聖書第3版(いのちのことば社)の方が原文のニュアンスをよく現していると思います。 また分冊になっている岩波書店の聖書は、たいへん良く出来た聖書で、聖書研究にはもってこいです。

英語:New Revised Standard Version of the Bible;アメリカキリスト教会国家協議会キリスト教教育部門刊が 標準的と言われています。しかしHoly Bible; New International Version Zondervan Publishing House は原意をよく汲み取っていますし、欄外注もNRSVに比べ充実しています。 (以上はほんの例にしか過ぎません。)

聖書の注解

 マルチン・ルターが宗教改革を起こし、カソリックから独立したとき、聖職者不足に悩まされました。そこで彼は標準的な説教を書いて渡し、「このように説教するように」とにわか伝道者に渡しました。その集大成が「講解説教集」です。平易な文章で綴ってあり、現代でも全く活き活きとした内容です。
 彼のねらいの一つは、伝道者が自分勝手な解釈をして、聖書をねじ曲げて伝えないように、という配慮からでした。逆に言えばそれまでのカソリックの解釈が寓意的で権威主義的であったともいえるでしょう。
 カルヴァンはもっと聖書注釈に熱心で、しかも出来るだけ原典に忠実である事を求めました。
 有名なバークレーという人の聖書講解シリーズは、容易で核心をついているのが特徴です。教職者のアンチョコとして有効であるだけでなく、一般信徒が聖書研究をする時にもたいへん役に立ちます。
 カール・バルトのロマ書などの講解説教も魅力的です。聖書を神の言葉として受け止めて難しい神学は振り回さずに比較的平易で理解しやすいものになっています。

 聖書の解釈には巾があります。たとえば、マーチン・ルーサー・キング牧師の説教集を読んでみると、貧しいもの、虐げられた者の視点で語られており、弱者への慈愛と希望あふれるものになっています。   またヒトラーのナチス・ドイツの圧政下では何人かの牧師が平和と和解を説きました。

 このように、聖書の解釈には巾があり、また、どんどん拡大解釈される危険性を秘めていることもおわかりでしょう。

聖書解釈の類型

@文脈型:その書物の歴史的・地理的背景から全体のテーマや流れを把握し、その文脈に沿って解釈を進めるもの。
A字引型:特定の字句に注目し、”ギリシャ語では”とか、”広辞苑では”などと、言葉の意味を深耕するもの。
B逐語型:聖書の語句を丁寧な表現に直し、ほぼそのまま述べるもの。
C直感型:聖句からひらめいた考え(思いつき)を述べるもの。
D体験型:聖句に似た事象の体験と感想を述べるもの。小説や随筆、絵画や音楽からの引用もこのジャンル。
E聖人型:シュヴァイツアーやマザー・テレサなど、善行をなした偉人の例を述べるもの。
F寓意型:「この言葉はイエス・キリストを表し、これは悪魔を表す」など、答え合わせして終わるもの。
G判決型:「ファリサイ人は悪、クリスチャンは正義」と、都合良く判決を下すもの。
H清貧型:どの聖句についても、清貧を賛美し、富と力は滅びると語っているとするもの。
I修辞型:「かの哲学者カントは・・・」と、偉人の言葉を引用し美辞麗句で大袈裟に語るもの。
Jエコロジー型:どの聖句からでも環境破壊(保全)と自然保全について語るもの。
K差別反対型:どの聖句からでも人権尊重と被差別について語るもの。

 ほかにもあると思いますが、聖書の解釈方法はさまざまです。クムラン教団もそうでしたが、キリスト教を標榜する新興宗教などでは、 その教祖をメシヤとして聖書を解釈させるものもあります。非常に強引で飛躍した解釈なので、合宿させ信じるまで刷り込んだりします。

 極端なものはともかく、聖書解釈には幅があって当然ですから、一概に間違いとは言い切れません。 しかし@のスタンダードな聖書解釈、たとえばティンダルの聖書注解シリーズなど、まともな聖書注解に触れておかれることをお薦めします。

タルムード

タルムード  新約聖書(マタイ15.2、マルコ7.3-5、ガラテヤ1.14)に「昔の人の言い伝え」として否定的に出てくるのが口承律法です。

 これはモーセから直接長老たちが口伝を受けたものと信じられ、旧約聖書以上の権威を持つものとされていましたが、 紀元前300年頃から紀元500年にかけて、800年の歳月をかけて成文化されました。それがタルムードです。

 ユダヤ教の判例・実例集(あるいは生活規範集)で、六篇から成り、種子(農耕)、祝祭、婦女(婚姻等)、損害(民法、刑法、賠償法)、聖物(祭具、供物)、清潔に分かれています。いろいろな判例や生活規範まで幅広く記しています。 イラストはバビロニア・タルムードで、中央と下がミシュナというコアに当たる部分です。 帽子のように被っている部分がゲマラという、拡張解説(シェル)の部分です。ミシュナだけが本文かというと、そうともいえません。両方セットで「タルムード」です。
 中央下円内の拡大図を見て下さい。母音記号がありませんね。また文字の1つ(ヴェート)が小さく書かれています。これは何かポイントに当たる箇所に、目印としてそうしているのです。ヘブライ語の聖書でも、字句のちょうど真ん中に当たる部分は小さい文字になっています。
 

死海写本

死海写本

 1945年前後のこと、ヨーロッパからの旅行者たちは死海周辺で、ベドウィンたちが売っていた古い写本の切れっ端をおみやげとして買っていました。 それらは、土地の住民が古い遺跡にある写本を切り売りしていたのです。それに気付いた学者たちが大規模な調査をし、 1947年に「死海文書」と呼ばれる一連の写本、注解書を発見しました。中でもクムランの洞窟群から発見された文書は質・量ともに大規模なもので、 今まで標準にしてきた写本に欠ける部分の研究に画期的な役割を果たしました。「クムラン教団」はユダヤ教の中でも孤立した教派らしく、独自の旧約聖書解釈をしていたようです。年代としては紀元前2世紀頃とみられています。 しかし、マソラ学派による写本作業は、何度も繰り返されたにもかかわらず、相当な正確さを持っていたことも判明しました。

付録・旧約聖書の順序の比較

新共同訳聖書英語名 NRSVヘブライ語聖書 HEBREW BIBLE (1970年版)
区分書名区分(書名)ヘブル名(音)意味


創世記GenesisGen
PENTATEUKI

モーセ五書
Genesisberesiitはじめに
出エジプト記ExodusExExodusshmot
レビ記LeviticusLevLeviticusvayqra呼ぶ
民数記NumbersNumNumeribemidbar荒れ野で
申命記DeuteronomyDeutDeuteronomiumdubariimことども




ヨシュア記JoshuaJosh
PROPHETAE
PRIORES

前預言書
Jehosuahyehoshuaヨシュア
士師記JudgesJudgJudicumshoftiimさばきづかさ
ルツ記RuthRuth1 Samuelisshumuelサムエル
サムエル記(上)1 Samuel1 Sam2 Samuelis
サムエル記(下)2 Samuel2 Sam1. Regummelahiim王たち
列王記(上)1 Kings1 Kings2. Regum
列王記(下)2 Kings2 Kings
PROPHETAE
POSTERIORES

後預言書
Jesaiayeshayaイザヤ
歴代誌(上)1 Chronicles1 ChrJeremiayirumeyaエレミヤ
歴代誌(下)2 Chronicles2 ChrEzechielyehezqelエゼキエル
エズラ記EzraEzraHoseahosheaホセア
ネヘミヤ記NehemiahNehJoelyoelヨエル
エステル記EstherEsthAmosamosアモス


ヨブ記JobJobObadiaovadeaオバデヤ
詩 編PsalmPsJonayonaヨナ
箴 言ProverbsProvMichamikhaミカ
コヘレトの言葉EcclesiastesEcclNahumnafumナホム
雅 歌Song of SolomonSongHabakkukhavakkハバクク


イザヤ書IsaiahIsaZephaniazfaniaゼファニア
エレミヤ書JeremiahJerHaggaikhagaiハガイ
哀 歌LamentationsLamZechariazekharyaゼカリヤ
エゼキエル書EzekielEzekMalachimaluakhiマラキ
ダニエル書DanielDan
HAGIOGRAPHA

諸 書
Psalmitehiliim賛美歌集






ホセア書HoseaHosProversiamishleiたとえれば
ヨエル書JoelJoelJobiyobヨブ
アモス書AmosAmCant. Canticsiir hashiriim歌の歌
オバデヤ書ObadiahObRuthruutルツ
ヨナ書JonahJonTherniekhaaああ!
ミカ書MicahMicEcclesiastesqokheletコヘレト
ナホム書NahumNahEstheresterエステル
ハバクク書HabakkukHabDanieldanyiyelダニエル
ゼファニア書ZephaniaZephEzraezraエズラ
ハガイ書HaggaiHagNehemianenemyahネヘミヤ
ゼカリヤ書ZechariahZech1.Chronicadibre
-hayamiim
日々の
出来事
マラキ書MalachiMal2.Chronica


参考文献:新聖書大辞典 (c)潟Lリスト新聞社1971 東京都新宿区新小川町3-1
  ギリシャ・ローマ・エジプトの史料による原典新約時代史 (c)山本書店1976 東京都新宿区市ヶ谷本村町23
聖書引用:新共同訳聖書 
死海写本のイメージ:神戸聖書展のポスターより複写

Refreshed 1999/11/11 2000/01/20 06/06 2001/05/02 05/15 08/16

Refreshed 2008/06/12 モーセ五書を中心に、大幅に書き直しました。
戻る