
ニネベ陥落
● アッシリア帝国の誕生 「アッシリア」というのは、紀元前3千年代から始まった、とても歴史の古い国でした。 BC1700頃からBC1100頃にいたるまで、ミタンニ王国に朝貢させられていました。 ミタンニ王国は、エジプトと領土を接するほど広大な版図を誇りましたが、新興のヒッタイトに圧され、同盟国の離反を招き、滅亡します。 ちようどその頃、出エジプトの民がカナンー侵入するのと軌を一にして、アッシリア帝国が誕生しました。 アッシリア帝国はティグラテピレテル1世に始まったとされています。しかし、当初の200年間は強力な外敵に 通商路や拠点・領土を奪われ、苦難を味わいます。でも、この期間に彼らは鉄製の武具と強力で組織化された軍隊を開発しました。 強敵との死闘の末に、かつて無いほど残忍な性格をおびるようになりました。 ナホム書2:4-5 その勇士の盾は赤くいろどられ、その兵士は紅に身をよろう。戦車はその備えの日に、火のように輝き、軍馬はおどる。 戦車はちまたに狂い走り、大路に飛びかける。彼らはたいまつのように輝き、いなずまのように飛びかける。 「赤い盾」と「緋色の服」は、だてやおしゃれの色ではなく、人の血で染めたということを示しています。 彼らは山々を人の血で染め、人々を紅蓮の炎で焼きました。また、敵(謀反人)は皮を剥いではりつけし、その皮で宮殿の外壁を張り巡らしました。 生きたままで壁や柱に塗り込めたり、手足を切り落としたりしました。また、頭蓋骨のピラミッドを造りました。 そして、アッシリア皇帝は、「自分がいかに残虐であるか」を誇示し、それを碑文にさえしています。 「アッシリア軍」は「悪魔」と同意語であったに違いありません。 BC853年、イスラエルのアハブ王はダマスコのシリヤ人ベネハダデらの反アッシリア連盟に加わり、カルカルにアッシリア軍を破りました。 この戦いのため、その後100年間はアッシリアの侵攻をくい止めることができました。 でも、アハブとベネハダデは不仲になり、BC850年にエリヤの預言どおりシリヤ人に殺害されました。
● ティグラテピレセル3世BC744年、沈滞していたアッシリアを一気に挽回させた皇帝がいました。ティグラテピレセル3世です。 彼はバビロンを征服し、バビロン王にも即位しました。列王記下15:19に「プル」という名前が出てきます。 これはティグラテピレセル3世のバビロンにおける名前です。アッシリアはふたたび侵攻を開始しました。 列王記15:19-20 時にアッスリヤの王プルが国に攻めてきたので、メナヘムは銀一千タラントをプルに与えた。これは彼がプルの助けを得て、 国を自分の手のうちに強くするためであった。 すなわちメナヘムはその銀をイスラエルのすべての富める者に課し、その人々におのおの銀五十シケルを出させてアッスリヤの王に与えた。 こうしてアッスリヤの王は国にとどまらないで帰っていった メナヘムは銀一千タラント(34トン)という、膨大なみつぎをティグラテピレセル3世に渡し、当面の危機を乗り切ります。 労働者の日当、1デナリオン銀貨が4g、1シケル銀貨が5.5gなので、現在日本の価値からすると70,000,000,000円(7百億円)にもなります。 (銀地金の時価では約7億円)でも、もちろん、それで攻撃を終わらすほど、アッシリアは甘くありません。 列王記15:29 イスラエルの王ペカの世に、アッスリヤの王テグラテピレセルが来て、イヨン、アベル・ベテマアカ、ヤノア、ケデシ、 ハゾル、ギレアデ、ガリラヤ、ナフタリの全地を取り、人々をアッスリヤへ捕え移した。 ティグラテピレセル3世はイスラエル王ペカとシリアの王レジンが反アッシリア同盟を組んだため、 これを蹂躙し、人々を捕囚としてさらうと同時に、北部イスラエルを領土としてしまいます。 列王記下16:7-18 そこでアハズは使者をアッスリヤの王テグラテピレセルにつかわして言わせた、「わたしはあなたのしもべ、あなたの子です。スリヤの王とイスラエルの王がわたしを攻め囲んでいます。どうぞ上ってきて、彼らの手からわたしを救い出してください」。 そしてアハズは主の宮と王の家の倉にある金と銀をとり、これを贈り物としてアッスリヤの王におくったので、 アッスリヤの王は彼の願いを聞きいれた。すなわちアッスリヤの王はダマスコに攻め上って、これを取り、その民をキルに捕え移し、またレヂンを殺した。 北王国イスラエルの滅亡には、南王国ユダが1枚も2枚も噛んでいます。南王国の王アハズは、イスラエルを弱体化させる目的で 「主の宮」にある金銀までアッシリアに贈り、イスラエルの拠点・ダマスコを陥落させました。 ● サマリヤ陥落 アッシリアの加重な貢ぎに音を上げたイスラエル王ホセアはエジプトに寝返ります。 「待ってました(攻撃の口実ができた)」とばかり、アッシリア王シャルマネセル4世がサマリヤを来襲し、2年の包囲後陥落させます。 でも、何とシャルマネセル4世がサマリヤ包囲中にサルゴン2世にアッシリア王の座を奪われてしまいます。 下克上・造反有理(死語?)だったのです。 イザヤ書20:1 アッスリヤの王サルゴンからつかわされた最高司令官がアシドドに来て、これを攻め、これを取った年・・・・ 何と、サルゴン2世の歴史的記録は1843年の考古学的な発掘まで、このイザヤ書の記事しか無かったそうです。 コルサバードて発見されたサルゴン2世の大宮殿の壁面には、治世の1年目の輝かしい事績として、サマリヤ陥落が記録されているそうです。 なお、サルゴン2世の時代に、いなごの大群が王都を襲ったことがあり、ナホム書3章の記事に合致します。 ● アッシリアは獅子、若獅子 サルゴン2世の没後、王となったセンナケリブはユダに遠征し、エルサレムを包囲して貢ぎを出させるのに成功しますが、 2度目の遠征の時は失敗しています。でも、この2度の戦いと課せられた貢ぎのため、ユダも急速に国力を落としてしまいました。 ホセア書5:14-6:1 わたしはエフライムに対しては、ししのようになり、ユダの家に対しては若きししのようになる。わたしは、わたしこそ、かき裂いて去り、かすめて行くが、だれも救う者はない。 わたしは彼らがその罪を認めて、わが顔をたずね求めるまで、わたしの所に帰っていよう。彼らは悩みによって、わたしを尋ね求めて言う、 「さあ、わたしたちは主に帰ろう。主はわたしたちをかき裂かれたが、またいやし、わたしたちを打たれたが、また包んでくださるからだ。 この有名なフレーズは、この時期のイスラエル(エフライム)とユダの過酷な状況を知らずして理解することはできないと思います。 ● ニネベ陥落 BC612年、さしものアッシリア帝国もバビロニア・メデア連合の反乱により、滅亡します。 ナホム書2:2-3:19では、は、ニネベ陥落の様子を、呵責のない厳しさで描写しています。 万軍の主は言われる、見よ、わたしはあなたに臨む。わたしはあなたの戦車を焼いて煙にする。 つるぎはあなたの若いししを滅ぼす。わたしはまた、あなたの獲物を地から断つ。あなたの使者の声は重ねて聞かれない。 わざわいなるかな、血を流す町。その中には偽りと、ぶんどり物が満ち、略奪はやまない。 むちの音がする。車輪のとどろく音が聞える。かける馬があり、走る戦車がある。 騎兵は突撃し、つるぎがきらめき、やりがひらめく。殺される者はおびただしく、しかばねは山をなす。 死体は数限りなく、人々はその死体につまずく。 これは皆あでやかな遊女の恐るべき魔力と、多くの淫行のためであって、その淫行をもって諸国民を売り、 その魔力をもって諸族を売り渡したものである。 万軍の主は言われる、見よ、わたしはあなたに臨む、わたしはあなたのすそを顔の上まであげ、あなたの裸を諸民に見せ、 あなたの恥じる所を諸国に見せる。 わたしは汚らわしい物を、あなたの上に投げかけて、あなたをはずかしめ、あなたを見ものとする。 すべてあなたを見るものは、あなたを避けて逃げ去って言う、「ニネベは滅びた」と。だれがこのために嘆こう。 わたしはどこから彼女を慰める者を、尋ね出し得よう。 ナホム(ヘブライ語で”なぐさめ”という意味)という預言者については、ナホム書の冒頭に「エルコシュの人ナホム」と書いてあるだけで、他の資料は残っていないようです。謎の預言者です。 ナホム書はBC663年のテーベ陥落からBC612年の、ニネベ陥落までの間に「予言」あるいは「預言」されたものとされてきました。 ところで、現代では、旧約聖書の数多くの預言のうち、実は後代に別人によって書かれた、あるいは追記されたものが少なからずあるということが分析の結果明らかにされ、常識になっています。 僕の結論からいうと、ナホム書は「バビロン(捕囚)時代の黙示録」ではないかと思うのです。直接バビロンを非難することは難しい。 だからアッシリアをダシにして、バビロンの滅亡を預言したのではないかと思うのです。(これはオーソドックスな解釈ではありません。ムーミンパパの独りよがりです) ゼカリヤ書では「赤馬」は血の色で、バビロンを象徴するものと考えられています。また、ヨハネの黙示録では「赤い馬」や「赤い龍」はローマ、あるいは戦争、殺戮を指しています。 黙示録ではローマのことを「大淫婦」と言っているのも、ナホム書の預言によく似ているので、余計にそう思えるのです。 また、そのような目でナホム書1章を読むと、「ユダヤの敵、久しからず」というプロパガンダ臭がするように思えるのです。もちろん、ヨハネの黙示録にはナホム書の影響があったと考えられます。 引用聖書:聖書(口語訳)日本聖書協会 参考図書:新聖書大辞典 (株)キリスト新聞社 1971 原色 聖書の歴史 サムエル・テリエン 創元社 1965 「汝の敵を愛しなさい」というコンセプトからは遠く離れたナホム書。読んでいて、アッシリア史とからめたコンテンツ にしてみたら面白いと思って作りました。「不滅の聖都」に続く、歴史解説みたいなページです。 ナホム書は、熱烈なヘブライ愛国主義者が、憎き敵・アッシリアの滅亡に快哉をあげるという、まるでキリスト教的でない内容です。 でも、「敵は深く憎むべし」という旧約聖書があったからこそ、「愛敵」と「赦し」を唱えたイエス・キリスト、あるいは新約聖書の言葉が生まれたのだと思います。 旧約聖書を知ると、日本が見えてくると思います。時代を太平洋戦争に置きかえてみたら分かると思います。 日本軍の残虐さがいつまでも蒸し返され、語り伝えられるのを、日本人はこころよく感じません。 でも、日本は「アジアにとって旧約時代のアッシリア」。 日本の敗戦が無条件にうれしく、日本の自己正当化に対しては呵責のない批判。「従軍慰安婦」とか、 恥ずかしい問題で世界に報道されますね。 空襲や原爆でおびただしい死者が出たことさえも、同情に値しない。・・・ナホム書の罵詈雑言を読んで、そう感じられませんか。 おやおや、聖書研究じゃないようなコンテンツになってしまいました。 1st Updated 2001/05/09 |