神の子とネフィリム

創世記 6章1〜4節 聖書 JBS 1955

1) 人が地のおもてにふえ始めて、娘たちが彼らに生れた時、
2) 神の子たちは人の娘たちの美しいのを見て、自分の好む者を妻にめとった。
3) そこで主は言われた、「わたしの霊はながく人の中にとどまらない。彼は肉にすぎないのだ。しかし、彼の年は百二十年であろう」。
4) そのころ、またその後にも、地にネピリムがいた。これは神の子たちが人の娘たちのところにはいって、娘たちに産ませたものである。彼らは昔の勇士であり、有名な人々であった。


KAZさんから、掲示板に「神の子」と「ネフィリム」について具体的な検証を求められました。そのスレッドをもとに、より詳細に解説したいと思います。

Beresyt 6:1-4 (Hebrew Bible UBS ISRAEL AGENCY 1970)

Hebrew Bible Genesis 6:1-4
1) wa_yehy ky-hehel ha_adam la_av al-benym ha_adamah w_bamith yaledu laham
2) wa_reu bene-ha_elohym eth-benoth ha_adam ky toboth hennah wa_yqehu la_hem wa_yqehu lahem nashiym mi_kol asher vacharu
3) wa_amer YHWH lo-yadon ruahy ba_adam le_olam ve_sha_gam huw basar we_hayu yamayw mah we_esrym shanah
4) ha_nephylym hayu ba_arez ba_yamym ha_hem we_gam achar-hen asher yabuw veny ha_elohym el-benoth ha_adam we_yaledu la_hem hemah ha_givorym asher me_owlam aneshe ha_shem


原典とその読みを掲載します。もっとも、僕のやることですから、正確な読みとはいえません。
1節:
「人」はha_adam (the men)です。「アダム」って、固有名詞ではなく、普通名詞なのです。「娘」はbamith(単数形はbath)です。ちなみに「地」はha_adamah、(the soil)”アーダーマー”で、”アダム”の語源になっています。
1節全体では”男たちが地の表に増え始め、その娘たちも生まれました。”という意味です。
2節:
「神の子」はbene-ha_elohym(sons of the elohym)です。beneは子、息子、子孫を表しますが、1節のha_adamに対応する言葉として、若い男性を表します。 eth-benoth ha_adam(for daughters of the men)は若い女性を表します。toboth(語幹はtowb)は「美しい」と訳されていますが、 良い/好ましい/楽しいというのが原意で、2:18の「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」や、 3:6の禁断の木の実を「それは食べるに良く」と形容している言葉と同じで、必ずしも「美しい」を意味するわけではなく、 訳者の思い込み(そのように訳してきた2000年以上の伝統もありますが)でそう訳しているだけです。
2節全体では、”若者たちは、娘たちの魅力に惹かれ、おのおのが選んだものを自分の妻とした。”という意味になります。
・・・・「神の人って、天使じゃないの」って言われそうですが、1節と2節を対応した文脈とするとエンジェルとは考えられません。
3節:
"YHWH"はヤハウェなのですが、ヘブライ語には"ィエホヴァ"の母音記号(ニクダー)がついています。主なる神を指します。なお、ユダヤ人は"ィエホヴァ"とは読まず、アドーナイ(主)と言います。 十戒の「みだりに主の名を唱えてはいけない」を守るためで、そのため母音記号は”アドーナイ”に準じてくっつけているのです。 ruahy ba_adam(spirit in men)のルアッハは霊、息吹、風を意味します。meah we_esrym shanah(a hundred and_twenty years)は120年で、人の限界寿命が神によって決められたことを表します。 逆の見方からすれば、人間の寿命の原因譚ということができます。大昔でも100才を超える人がいたことを伺わせます。
4節:
人類(という概念は当時無かったでしょうが)の中にはネフィリム(”ネフィル”の複数形)がいた、その頃もその後も、と書かれています。
70人訳聖書(ギリシャ語訳旧約聖書、セプチュアギンタ)は”ギガネス”、巨人と訳しています。それを底本にしたKJV(欽定訳、英語)はgiantsと訳していますが、 これは次ぎに掲げる民数記の記事を70人訳聖書の訳者が知っていたからでしょう。でも巨人=ネフィリムとは限りませんから、現代の訳本では音写しているものが多いようです。 その頃と書かれていることから、1節〜4節の記事が物語のずうっと後になってから書かれていることを示唆しています。 また、この箇所は続く洪水物語とこれ以前の創造神話とを繋ぐエピソードを語っています。ですから、創世記の編者が挿入したとも考えられます。 民数記の記事では”ネフィリム(アナク人)”はカナン先住民として、つまりイスラエルの敵として扱われていますが、創世記のこの段階ではまだイスラエル/ユダヤ人は「選民」として神から選ばれていないため、 ネフィリムは悪人扱いされていないのです。また、「神の人」をイスラエル/ユダヤ人とは受け取れないのです。

民数記 13章32〜34節 聖書 JBS 1955
そして彼らはその探った地のことを、イスラエルの人々に悪く言いふらして言った、「わたしたちが行き巡って探った地は、そこに住む者を滅ぼす地です。またその所でわたしたちが見た民はみな背の高い人々です。 わたしたちはまたそこで、ネピリムから出たアナクの子孫ネピリムを見ました。わたしたちには自分が、いなごのように思われ、また彼らにも、そう見えたに違いありません」。
これはカナン侵入に際して、斥候に行った各部族代表12人が報告の最後に言ったことです。民衆は「エジプトに帰らなければいけないのか」と嘆き悲しみました。 斥候のうちヨシュアとカレブは翌日「わたしたちが行き巡って探った地は非常に良い地です。もし、主が良しとされるならば、わたしたちをその地に導いて行って、それをわたしたちにくださるでしょう。それは乳と蜜の流れている地です。」と告白しました。

斥候が「いなごのよう」と報告したのは誇張のしすぎです。せいぜい元横綱の曙か、格闘家のボブ・サップくらいでしょう。 それでも、こんなに大柄な人がうじやうじゃいたら斥候ならずとも戦いたくないですね。斥候の目には、戦いが不可能に思えたのでしょう。なお、ダビデと決闘したゴリアテもアナク人です。

あとがき

「神の子」と旧約聖書に訳されている言葉は(1)beny-ha_elohyms(創世記6:2,ヨブ記1:6,38:7)と(2)beny el(ホセア2:1)と(3)beny elym(詩篇29:1,89:6/7) (4)bar-elohyn(ダニエル書3:25) の4種類があります。比較検討されると面白いと思います。なお(4)はアラム語です。

そういえば”ベニヤミン”はヤミンの子/子孫、”バルイエス”がイエスの子を指すのはご存知ですね。

2003/02/26