
ルカによる福音書19章1-9節
さて、イエスはエリコにはいって、その町をお通りになった。
ところが、そこにザアカイという名の人がいた。この人は取税人のかしらで、金持であった。
この稿の主人公ザアカイは取税人の長でした。まずは、当時の税金の制度から調べてみましょう。
■ ローマ帝国の税金 ■
□ 地 租
固定資産税に似ていますが、主として農地に対して課したもののようです。ギリシャ時代では穀物の1/3、果実の1/2で、非常に重税だったそうですが、おそらくこの時代では農業生産物の1/4から1/3相当を取り立てていたのでしょう。これは属州民が対象です。
□ 相続税
これはローマ市民(市民権を持っている者)に対し課したもので、5パーセント。今よりずっとゆるやかですね。
□ 売上税
同じく、ローマ市民に対して課せられました。商売の上前をはねます。これも1パーセントと、今の消費税よりずっと少ない! 相続税とあわせ、軍事費として使用されました。
□ 人頭税
住民税のようなものでしょうか。人口調査をたびたびしたのは、人頭税を徴収する目的だったようです。これは属州民が対象。
ルカによる福音書の「国税調査」は、紀元6年のことなので、その2年前にヘロデ王が没しており、イエス誕生の時に属州であったことを示唆しています。
これはマタイの記事とは符合しません。
□ 関 税
港湾や国境で輸入の際に課すものです。カイザリヤ、エリコ、カファルナウムなどに収税所がありました。
□ 奴隷解放税
奴隷が自由になるための税金のようです。金額は分かりませんが紀元1世紀頃の奴隷価格が30ミナ(1,500シケル=数年分の労賃)といいますから、それくらいだったのでしょう。
□ 通行税
橋や有料道路!で徴収したものです。金額は不明です。
■ ユダヤの税金 ■
□ 領主の税金
ヘロデ王が亡くなった紀元4年以降は、パレスチナはローマの属州となりました。そのため、税金は基本的にローマの国庫に納められます。
ところが、ヘロデ・アンテパスなどの分封国主は、徴税権が本来は無いにも関わらず、税金を取り立てました。国民は2重に税金を取られたので苦しみました。
旧約聖書の1/10税がこれに相当すると思います。
□ 神殿税
レビ人が徴収したもので、「宮の納入金」と呼ばれているものです。半シケル。聖書の原語では「2ドラクマ」で、ローマの銀貨です。1ドラクマ=2デナリオンですから、
労働者の4日分の賃金に相当します。
・・・ということで、2000年も昔なのに、ずいぶんたくさんの税金があったことが分かります。
ユダ(ガリラヤも)の徴税は、ヘロデの時代にはヘロデの任命した徴税官、ローマの属州になってからは総督がその任に当たりました。(マタイ23:17)
徴税人(プブリカヌス)は、徴税請負人とも言う者で、徴税権を買い取って、徴税を請け負いました。
彼らは契約金額以上の税を集めて私腹を肥やしたので、帝国各地で徴税人は不人気でしたし、弊害が大きかったようです。
ですから、共和制から帝政に変わった時点で廃止されました。ですから、この時代にはそのように悪辣な徴税人はいなかったことになります。
・・・一般的に、ザアカイなど徴税人は憎きローマの手先であり、罪人たるローマ人と接触して汚らわしいと考えられていました。
ザアカイが実際にローマの税金の取り立て人であったのか、領主ヘロデ・アンティパスの収税請負人であったかは分かりません。
「もしだれかから不正な取立てをしていましたら、それを四倍にして返します」という記事があるので、対象が不特定多数の通行税や関税ではなくて、地租などであったことを窺わせます。
また、もしザアカイが意識的・恒常的に「不正な取立」をしていたとしたら、「四倍にして」返したら破産してしまうでしょう。
ザアカイの言葉は「それは、まず無いと思いますが、もしそういうことがあった場合は」というニュアンスに受け取れます。
彼は、イエスがどんな人か見たいと思っていたが、背が低かったので、群衆にさえぎられて見ることができなかった。
それでイエスを見るために、前の方に走って行って、いちじく桑の木に登った。そこを通られるところだったからである。
原書には「背が」という言葉はなく、「小さい」という言葉だけです。「年齢が小さい」ともとれますが、「体格が小さかった」ものと受け取るのが妥当でしよう。
「いちじく桑」というのは、比較的低いところから枝分かれして四方に延びていく木なので、大人でも登りやすいのです。文字通り、イチジクに似た実を付けます。
イエスは、その場所にこられたとき、上を見あげて言われた、「ザアカイよ、急いで下りてきなさい。きょう、あなたの家に泊まることにしているから」。
そこでザアカイは急いでおりてきて、よろこんでイエスを迎え入れた。
イエスはザアカイの名を知っていた!・・・これがまず1つ目の驚き、2つ目は「あなたの家に泊まる」とおっしゃった驚きです。
高名なイエスを泊めるのはたいへん名誉で喜ばしいことです。
人々はみな、これを見てつぶやき、「彼は罪人の家にはいって客となった」と言った。
「なんであんなヤツが」という怨みの声が聞こえそうですね。ここの「つぶやく」という言葉は、「不平を漏らす」というニュアンスがあります。
・・・残念なことに、教会の中でもこのようなつぶやきが聞こえることがあります。あっ、これはナイショだった。(笑;)
「罪人の・・・」という言葉には、「私のほうがずっとすばらしい人間なのに」という選良意識が見えますね。また、これはイエスに対する落胆の様子も伝えています。
ザアカイは立って主に言った、「主よ、わたしは誓って自分の財産の半分を貧民に施します。また、もしだれかから不正な取立てをしていましたら、それを四倍にして返します」。
イエスが「こうしなさい」と言ったわけではなく、ザアカイは喜びに満たされて、自分で出来る精一杯の善を尽くし、罪を償うことを申し出ます。
イエスは彼に言われた、「きょう、救がこの家にきた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子がきたのは、失われたものを尋ね出して救うためである」。
イエスは「それでは不充分だ。全財産を貧民に施せ」とはおっしゃいませんでした。「救がこの家にきた」とおっしゃいました。
「アブラハムの子」というのは、「正当なユダヤ人」という意味です。律法を守ることが出来ない、一般のユダヤ人から見れば
汚れた罪人。その罪人を救うために来た、とおっしゃっているのです。
「善きサマリヤ人」の譬えの、富んだ青年と何と対照的でしょうか。彼は律法を遵守し、周りからも義人という評価を得ている。
でも、財産に固執し、それを失うことを惜しんでいます。「自分の敵を愛するなんて出来ない」と、挫折してしまいます。
救いは行動によっては得られません。まず、神様と出会い、神様の呼ぶ声を感知して、受け入れること。
その喜びから、行動は生まれてくるし、救いも与えられる・・・・ザアカイの挿話を読んで、そう思います。
あとがき
キリスト教会の伝統として?、清貧=善、金持=悪人という定説!?があります。ですから、
ザアカイが金持ちであったことを根拠にして、殊更にザアカイを悪者扱いする解釈が多いようですが、
それは聖書の本旨を理解する妨げになってしまうと思います。
聖書本文を味わいながら読めば、救いの本質が浮かんでくると思います。
参考文献:新聖書大辞典 (c)潟Lリスト新聞社1971 東京都新宿区新小川町3-1
聖書時代の生活2 左近義慈・南部泰孝 共著 創元社 1972/07/01 東京都新宿区市ヶ谷本村町23 聖書引用:聖書(口語訳) (c)日本聖書協会
1St Uploaded 2001/05/24 Rev. 01/06/01
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