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CONTENTS
●神の言葉 
●創造神話 
●バベル 
●偶像礼拝 
●目には目 
●総本山 
●13日(金) 
●箱船 
●予言と預言 
●黙示録 
●旧約は不要? 
●聖書はお上品 
●奇跡 
●「共観」って 
●申命記の「申」 
●信望愛 
●安息日 
●十戒 
●原罪 
●三位一体 

聖書は神の言葉

 とはいっても、もちろん神様が直接書いたものではありません。 聖書は神と出会った、あるいはその心や言葉に触れた人々が書き記した書物の集大成です。  しかし、私たちは聖書を読むことによって、神様との出会いを追体験することができます。 あたかも自分に向かって語られたかのように。その意味で「聖書は神の言葉」なのです。

創造伝説

 もし僕が創造神話の作者であったら、このように著したことでしょう。「神が宇宙を創造されたとき、この世は10次元であった。しばらく してこの世はその不安定な状態でいることができず、6次元と4次元に分裂した。6次元は瞬時に消滅し、 残ったキャラメルほどの大きさの4次元は強烈な光とともに爆発的に膨張した。宇宙の始めである。」…・・創造神話の作者は、 「この世界は神によって作られた」という意味の世界、信仰を語っているのです。もちろん僕はビッグ・バンを目撃したわけではありませんし、 創造物語の著者が天地創造に立ち会ったとは思えません。

バベルの塔

 「バベル」が「バビロン」を指すのは常識としても、元になった物語は焼成煉瓦で塔と町を作ったと語ってお り、バビロンの考古学的な発掘とは相容れません。学者達は「日干し煉瓦の間違いだ」としていますが、紀元前 1500年前後のインダス文明では焼成煉瓦が用いられており、「東から来た人たち」をインダス文明の継承者とす れば整合性がとれます。また、一般に言われるように「神を越えようとして罰を受けた」とは書いてありません。

バベルの町・・・・もっとよく知りたい方のために。

偶像礼拝

Flags  もしユダヤ人に「イスラエルの国旗を拝みなさい」と言ったら、カンカンに怒り出すでしょう。 あなたはそれが「偶像礼拝にあたる」とは、思いつきもしないでしょう。 入学式や卒業式などで、講堂の正面に国旗が飾られていて、「一同、礼」をすると、自然に日章旗を拝むことになってしまいます。 もし国旗のデザインを変えたとしても、シンボル(偶像)である以上「一同、礼」が偶像礼拝につながることに変わりはありません。
 プロテスタント教会の礼拝堂には大抵十字架が「飾って」ありますが、誰も拝む人はいません。もちろん「一同、礼」もありません。 もし誰かが十字架を拝んだとしたら、変な目で見られることでしょう。

ダニエル・・・・ユダヤの偶像礼拝忌避の歴史とあわせてご紹介します。

目には目を

eyes
目には目を、歯には歯を、手・・・・もって償わなければならない。

(出エジプト記21.24/レビ記24.20/申命記19.21)

 この律法のお手本になったハンムラビ法典第196条では、目を損なった被害者が貴族の場合は、加害者の目をもって償う、第198条では被害者が平民の場合は銀1マナを、第199条では被害者が奴隷の場合は半マナを支払えというものです。

 聖書も似たような表記をしていますが、これはもともと賠償のためのゆるやかな規定で、「このように復讐しなさい」とは書いてありません。実際には正規の裁判手続きをとった上で、 鞭打刑または罰金刑が、被害程度と故意/過失などの状況によって課せられていました。 「目をやられたら、目をつぶせ」という復讐の表現は見あたりませんが、「同態復讐法」という呼び方が誤解を招いているようです。 もっとも、欧米人も大抵が誤解しているので、日本のインテリが間違うのは当たり前かもしれませんね。 「ユダヤでは、目をやられたら、相手の目をつぶしたのだ。」・・・・テレビで偉そうに話しているのを聞くと、思わず笑ってしまいます。 (聖書時代の生活2 創元社刊 を参照しました。)

 復讐してはならない。民の人々に恨みを抱いてはならない。
自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。わたしは主である。

(レビ記19.18)

キリスト教は西洋の宗教?

 イエス・キリストが生まれて十字架にかかったのは現在のイスラエル。「教会」発祥の地もエルサレム。「クリスチャン」と言う呼び方が始まったのがシリアのアンティオキア。いずれもオリエント(ということはアジア)。ヨーロッパではありません。  カソリックの本拠地がローマにあるので、ヨーロッパ発祥の宗教と勘違いされます。ちなみにキリスト教、仏教、回教とも全部アジア発祥です。
 僕はプロテスタントで、「総本山」はありません。従って「巡礼」制度もありません。「この世はすべてシオン(エルサレム)」。キリスト教に国籍はありません。

13日の金曜日は不吉?

Date  まず、聖書には「不吉」という言葉がありません。「吉/凶」という概念もありません。
「13」という数字は聖書の中に14箇所出てくるようですが、悪いことを意味するものではありません。
イエス・キリストが亡くなったのはユダヤの暦でニサンの月の14日の金曜日。えっ!13日でないの?そう、1日違うのです。
キリスト死亡の日は「13日の金曜日」ではないのです。映画「13日の金曜日」・・・あれは俗説による娯楽映画。数字を使ったホラーごっこにはご用心。

*********** (2005/02/24 追加) ***********
 相変わらず「13日の金曜日」で検索して来る人が多いようなので追記します。
 イスラエルの暦は一月を30日とする「太陰暦」の一つです。(日本の旧暦とは違います)従って西暦の日付とは一致しません。 たとえば2005年のイースターは3月27日ですが、ユダヤのペサハ(過越祭)は4月24日(ユダヤ暦ニサンの月15日)です。
 イースター(復活祭)は「春分の日の次の満月の日の次の日曜日」として計算されています。「13日の金曜日の翌々日」ではありません。

 同様に婦人週刊誌の「ユダヤの神秘・カラバ占い」は、西暦を使っているので、全くのガセです。 名前を使ったカラバも、イブリー(ヘブライ語)アーレフベイト(アルファベット)には母音文字が無く、日本名で使えるわけがありません。 読者の無知につけ込んだ、呆れてものも言えないほどいい加減なオカルトを掲載する出版社も出版社です。 そんな本を読むより、聖書をまともに読んだ方が余程心が豊かになると思うのですが。
*********** (2008/06/11 追加) ***********
 「過ぎ越のハガダー」(式文)に載っている子供向けの数え歌の「1」は唯一の神様、「13」は「神様の属性」になっています。
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「仏教聖典」(通読しました)を開いても「仏滅」は日柄が悪いとは書いてありません。仏教界も否定しています。みなさん余程迷信好きなのですね。

イースター・・・・聖書をまともに読んでいれば、14日の金曜日って分ります。

ノアの箱船物語

ark  近年になり、考古学的な検証から紀元前数千年頃にメソポタミアで実際に大規模な洪水があったことが判明しま した。 ノアの洪水ほどではありませんが、国が消滅するほど広範囲に被害をもたらしたようです。
運良く難を逃れた人たちの体験が洪水伝説となって残りました。成文化されているものでも5つ以上発見されて います。消えてしまった民話を含めたら、もっと多数あったことでしょう。
この洪水は神の裁きであり、生き残ったものは神から選ばれ祝福を受けたのだという、信仰の観点からノアの洪 水は語られています。
箱船大作戦・・・・箱船を作ってみませんか。

予言と預言

 聖書には「預言者」は出てきますが「予言者」は出てきません。神の言葉を預かるから「預言者」で、「悔い改めないで悪さをしてると、こういうことが起こるぞ」「神を信頼し現在を堪え忍んで待てば救いがやってくる」などという時は内容として「予言」になります。ただし、「先見者」という呼び名が士師記の時代にはあったようです。
預言者エリヤが大干魃を予言したときは、異教の「バアル神」と対決し、本当の神に立ち返らせるという目的がありました。預言は実現しました。
ヨナが「ニネベの町は不正をしているので滅ぼす」という予言をしたときは、ニネベの人々が熱心に悔い改めたため、町は滅びませんでした。
「預言」は人間の心を神に立ち返らせるためにあります。恐怖をあおるものでもありません。そういうのは「ペテン」です。

お魚に飲まれたヨナ・・・ヨナの預言。この人は1クセ2クセもあるのです。

行動預言・・・預言は言葉だけかと思ったら、アクションによるものもあったのです。

黙 示 録

 題名からして何やら謎めいていますし、文面のとっつきにくさから、有名な割には全部通して読んだ人が少なく、非常に誤解されています。 また、それにつけ込んで、無茶苦茶なことを言う人が絶えないのもこの書物です。
 黙示録には、終末(イエスの来臨)で新しい時代が始まると記述されています。また、 「最後の戦い」は16章のハルマゲドン(メギド)ではなくて、20章のエルサレム攻防戦です。都を囲んだサタンがここで滅ぼされるのです。 ちょうど旧約聖書のメギドの戦い(BC609)、エルサレム攻防戦(BC589-587)と同じ順序です。 現代のエセ預言者達は聖書を全然読んでいない事がお分かりと思います。 人類の滅亡など、どこにも書いてありません。

黙示録の開示録・・・黙示録のビジュアルでまともな注解。長文です

旧約聖書は不要?

 「旧約聖書はユダヤ教の教典だから、クリスチャンには新約聖書だけあればいい」と言う人が居ます。
もっともそうに聞こえますが、噴飯ものです。だって、イエス様は旧約聖書から啓示を受けて語っていらっしゃるではないですか。
 旧約から啓示を受けたことのない人、ぜひこのホーム・ページですばらしい旧約の世界を覗いてください。聖書観が一変すると思います。 たとえレビ記や申命記のように味気ない規定の羅列でも、新約聖書理解に不可欠な場合があります。

もう一羽の雀・・・・論より証拠。レビ記の意外な重要性。

聖書言葉はお上品

 日本語聖書の文体はだいたいが丁寧な表現になっています。これは礼拝での朗読や礼典に用いるために格調の高さを優先させたためでしょう。
 その点、ていねい語の少ない英語版聖書の方がストレートな表現になり、元のニュアンスが分かりやすい場合があります。 ヘブライ語やコイネー(ギリシャ語)の聖書は、僕らにはとても歯が立ちませんが、英語なら多少分かります。

ハバククの叫び・・・・ハバクク書の「暴虐」という暴言。ミニ聖研です。

 世俗を語っているのに、これを金言に変えてしまっている場合もあります。

青春の日々にこそ・・・・コヘレトの手紙の名文、実は・・・。

奇跡について

 聖書にはたくさん奇跡物語が出てきますが、かなりの部分は実際に起きうる自然現象として説明することが可能です。
 紀元前3000年から紀元100年ほどまでの昔、原作者はいろいろな事象を神の働きとして受け取り、語り継ぎ、記述したのです。 これを「科学的でない絵空事」としたり、逆に「神にできないことは何もない」として受け取ると、 結局どちらも実際に起こった事象と乖離したものとして受け取ってしまうことになってしまいます。 たとえば、出エジプトに際して、「夜は火の柱、昼は雲の柱」が民族を導いたと書いてありますが、 これは松明や狼煙の信仰的な受け止め方だということが分かっています。 現代人はミステリー・サークルやナスカ地上絵などをUFOや宇宙人に結びつけたがりますが、2000年後の人類に笑われることでしょう。 不思議を不思議として語ったとして、それを笑えるでしょうか。

エジプトの十災・・・・モーセの超然現象の自然科学的説明。あっさり書いています

共観福音書

 マタイ、マルコ、ルカの3つの福音書を「共観福音書」と呼びます。これは内容が似通っている、というより、マルコを底本にして マタイとルカが書かれていることから来るようです。たまに「共感福音書」と誤記されることがあります。
 いっぽう、ヨハネによる福音書はかなり内容が異なっているので「第四福音書」と呼ばれています。どれが正しくて、 どれが間違っているという詮索は不要でしょう。新約聖書ではわざわざ四つ並べて提供しています。四人の福音書記者が 主の宣教から復活まで、自らの信仰の目を通して記述しているのです。「マタイはこう捉えている」というような 読み方がいいのではないでしょうか。
 僕も中学生の頃、「マタイ受難曲」は、マタイが迫害を受けた曲だと勘違いしていました。人のこと、笑えませんね。

初めと終わり・・・・共観福音書を、イエス・キリストの初めと終わりの言葉で対比してみました。

第四福音書・・・・ヨハネによる福音書注解。ダイジェスト版ですが長文です

申命記の「申」って、どういう意味

 「申」(しん)というのは、干支のサル、ではなくて、「2つ目の」という意味です。これは旧約聖書をギリシャ語に訳したとき、 (70人訳聖書)申命記17章18節「この律法の写し」を「第2の律法」と誤訳してしまったことに起因します。 誤訳ではありましたが、内容的にはピッタリだったので、爾来この名称が用いられるようになりました。 なお、ヘブライ語の聖書では申命記冒頭の「エレ ハドゥバリィム」(これらのことども)から、ドゥバリーム(ことども)と呼んでいます。

信望愛

「信仰」と「希望」と「愛」、このうちで一番大事なのはどれでしょう。「愛」ですね。コリントの信徒の手紙(1)に「愛の賛歌」として 書かれていることは、たいていのクリスチャンが知っています。 ところが、「十字架とキリストを語らねばならない」という先入観?から、これは「イエス・キリストの十字架の愛」として語られる場合が多いのです。 でも、これではキリストにしか出来なかった「至上の愛」を、コリントの信徒たちに求めていたことになってしまいます。

愛の賛歌・・・・結婚式の式文でも有名です。

安息日

 安息日は日曜日だと思っているクリスチャンもいるのですが、これは土曜日です。出エジプト記23章などに規定されています。 神が天地創造の際7日目に休まれたことを起源とするとされていますが、実際にこれが普及したのは捕囚期以降のことだとされています。  新約聖書では、この安息日の過ごし方について、イエス・キリストとパリサイ派の人たちの激しいやりとりが描かれています。

十 戒

 チャールトン・ヘストンの映画でおなじみ、モーセがホレブの山で、神様からいただいた十戒。旧約聖書のハイライトとあって、 座右の銘にしている?クリスチャンもいるかもしれません。ところで、モーセが作った契約の板は木箱に納められ、不可触神聖なものとされて誰の目にも触れることがなくなってしまいます。そして「神様のおなりい!」 とばかり、戦場に神輿よろしく担ぎ出されます。どうやらイスラエルにとって契約の板とは、「神様から与えられた、カナン(パレスチナ)の土地の約束手形」 だったらしいのです。・・・その間違いに気付いたとき、ユダヤ教は形式的な祭儀重視の宗教から、信仰を重視する心の宗教へと変容します。

十 戒・・・・もっと詳しく知りたい人のために。

原 罪

 「アダムが神様から食べてはいけないと言われていたリンゴを食べたために、人間は罪の存在になった」と、 言われます。ところが、「アダムが・・・」と初めてロマ書で言及したパウロ自身は、アダムを糾弾しているのではなくて、 罪から救ってくださるイエス・キリストをこそ分かってほしいと力説しているのです。 キリストによって「原罪」を恐れる必要はなくなった、と、言っているのです。
 ところが、律法主義者や権威主義者(あるいはカルト集団)によって、パウロの論旨はねじ曲げられ無視されて解釈されることが多いのです。 その主たる目的は「集金」・・・ゼニですね。「言うこと聞かないと、罪のため地獄に堕ちるぞ」ってね。

原 罪・・・・もっと詳しく知りたい人のために。

三位一体

 サンミイッタイですが、サンイイッタイとも言われます。よく使われる言葉の割には原意が伝わっていない教会用語の一つです。 これはT.ヤスパースが指摘しているように、 教会学校の子供が一番良く理解しています。「イエス・キリストは神様です」。これ以上に三位一体を上手く 言い表している言葉は無いでしょう。



♪ BGM by KOKUSUI's Listen to Bach!!

「聖書1口メモ」いかがでしたか。常識と思っていたのが実は非常識だったりして。 目からウロコ(使徒言行録9章18節)が1つでもあったら幸いに思います。


参考文献:新聖書大辞典 (c)潟Lリスト新聞社1971 東京都新宿区新小川町3-1 聖書引用:新共同訳聖書 

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