- 律法の書の発見(列王記下 22:8-11)
- そのとき大祭司ヒルキヤは書記官シャファンに、「わたしは主の神殿で律法の書を見つけました」と言った。ヒルキヤがその書をシャファンに渡したので、彼はそれを読んだ。
書記官シャファンは王のもとに来て、王に報告した。「僕どもは神殿にあった献金を取り出して、主の神殿の責任を負っている工事担当者の手に渡しました。」
更に書記官シャファンは王に、「祭司ヒルキヤがわたしに一つの書を渡しました」と告げ、王の前でその書を読み上げた。
王はその律法の書の言葉を聞くと、衣を裂いた。
- ヨシヤ王は祭司たち、書記官、家臣に、エルサレムニ住む女預言者フルダのもとに行き、この書物について、主の御旨(託宣)を聞くように命じます。
- 女預言者フルダの答え(22:15-17)
- 彼女は答えた。「イスラエルの神、主はこう言われる。『あなたたちをわたしのもとに遣わした者に言いなさい。
主はこう言われる。見よ、わたしはユダの王が読んだこの書のすべての言葉のとおりに、この所とその住民に災いをくだす。
彼らがわたしを捨て、他の神々に香をたき、自分たちの手で造ったすべてのものによってわたしを怒らせたために、わたしの怒りはこの所に向かって燃え上がり、消えることはない。
- この書が本物であることを悟り、王はユダとエルサレムの全ての住民を主の神殿に集めさせ、契約の書を読み上げさせました。
- 主の神殿での誓い(23:3)
- それから王は柱の傍らに立って、主の御前で契約を結び、主に従って歩み、心を尽くし、魂を尽くして主の戒めと定めと掟を守り、この書に記されているこの契約の言葉を実行することを誓った。民も皆、この契約に加わった。
ヨシヤ王の宗教改革
(1)主の神殿から、バアルやアシェラや天の万象のために造られた祭具類の撤去と焼却
(2)聖なる高台、バアルや太陽、月、星座、天の万象に香をたく事の廃止。
(3)主の神殿からアシェラ像を撤去、焼却、粉砕
(4)主の神殿の中にあった神殿男娼の家(アシェラ神の機織り所を兼ねていた)を取壊。
(5)ユダの町々の聖なる高台の祭司をすべて呼び寄せ、主のしきたりに習わせた。
(6)ベン・ヒノムの谷にあるモレク神の祭場を壊し、息子、娘に火の中を通らせる儀式の廃止。
(7)主の神殿の入り口、前庭に置いた馬を除き去り、太陽の戦車を焼却
(8)アハズの階上の部屋の上に造った祭壇と、マナセが主の神殿の二つの庭に造った祭壇の取り壊し
(9)エルサレムの東にあった聖なる高台を陵辱。これはソロモン王が、シドン人の神アシュトレトのため、モアブ人の神ケモシュのため、
アンモン人の神ミルコムのために築いたもの。石柱を砕き、アシェラ像を切り倒し、人の骨でその場所を満たした。
(10)ベテルにあった祭壇と、聖なる高台を取壊し、焼却、粉砕、アシェラ像を焼却。
(11)礼拝のエルサレム神殿集中、一本化
「主の神殿」は、ヤハウエの神殿、つまりエルサレム神殿を指します。また、燃やされた木の柱はアシェラ、
砕かれた石柱はバアル(いろいろなバリエーションがあります)のシンボルでした。
よくもまあ、こんなにあったものだと思います。伊勢神宮の内宮にモスクや教会、お寺が立っているようなものです。
”宗教に寛容”と言われる日本人だって、そこまではしませんよね。どうしてそんなことになったか、その経緯を説明します。
- 時代背景
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なぜ外国の神様がイスラエルに入ってくるのでしょう。それはたとえば政略結婚で外国の姫君を王妃として受け入れたときに
その母国の神(偶像)を伴って来るのです。また、神官や僧侶を連れてきます。北王国イスラエルのアハブ王の悪名高いイゼベル妃、
預言者エリヤとの壮絶な戦いの末に無惨な死を遂げましたが、その例を挙げるまでもなく、当然の事として行われていました。
生まれてくる王子・王女たちは当然母親の強い影響を受けることになります。その結果、王宮や貴族の家には偶像があふれかえることになります。
相手の国家が強大な時には、特にその影響力の象徴として、偶像や祭器が置かれることになります。
また、領土内たくさんあった「高台」は古くからの土着民、カナン人から引き継いだもので、ヤハウエの礼拝も
行われましたが、アシラ、アシタロテ、バアルなどの異教神の祭儀も行われました。
これら「異教神」の多くはパレスチナで広く普及していた土俗の神、豊穣の神様でした。
- マナセ王(BC687-642在位)
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聖書ではマナセは悪の権化であったかのような書き方をされています。それは彼の父ヒゼキヤが
宗教改革を行い、異教神の排斥を行い、ヤハウエ信仰を奨めたのに、全く逆のことをしたからです。
ヒゼキヤ王はエジプトの後押しを受けて、アシケロンとエクロンと共に反アッシリア同盟を結成します。
しかし両国ともアッシリアにあっけなく滅ぼされてしまいます。エジプトは動きません。BC701年になるとアッシリア王センナケリブが
やってきて、エルサレムを包囲し、多大な貢ぎ金を払わざるを得なくなります。その子マナセはいやが応でも
親アッシリア政策を採らざるを得なかったと思います。軍隊も解散させられたようです。
マナセは12才で王位につきました。彼の治世の特徴は異教化政策を採ったことでしょう。これは近隣諸国との軍事的な友好関係を維持するため、異文化の摂取と交流に努めたからでした。
エルサレムにはヤハウエの神殿がありましたが、あろうことか、その中にまで異教神の礼拝所や神殿男娼まで置いたのです。
このような事は国粋主義者?の、ヤハウエ神官や預言者たちに受け入れられる訳がありません。当然抗議したと思いますが、
外交・安全保障の面でこれを受け入れるわけにはいきません。特にアッシリアの影響力が強大で、
家臣にも親アッシリア派がたくさんいたことでしょう。、
マナセ王の統治は55年間続きました。王の側近は開化派に占められるようになり、伝統的な行事や習慣はかなり損なわれたことでしょう。
なお、歴代誌下33章12-16節では、晩年になつてマナセは宗教改革をしたとされています。列王記にはそのような記事は全くありません。
- ヨシヤ王(BC640-609在位)
- マナセの子アモンは22才で王になりましたが、2年後に家臣の謀反で暗殺され、その子ヨシヤが8才で王位につきました。
ヨシヤが宗教改革を行ったのは彼の治世の18年、23-4才の時であった事が列王記には書かれています。BC621年のことですね。
伏線があります。BC626年にアッシリア王アシュルバニパルが没すると、さしも強大なアッシリアも、あちこちで謀反が起き、翻旗が立ちます。
アッシリアの影響を排除するには好都合な時期です。BC612年、メディア・バビロニア連合軍によりアッシリアの首都ニネベは陥落します。
BC609年そのアッシリアを支援するため進軍していたエジプト軍にヨシヤ王は挑み、これ迎え撃とうとしましたが、
メギドで戦死してしまいます。BC605年、エジプトはカルケミシの戦いでバビロニアに敗北してしまいました。
以後はエルサレム陥落からバビロニア捕囚まで、ユダヤ民族はつるべ落としに没落の道をたどります。
世界史的にも一大転換期が訪れていました。神に選ばれた国(あるいは民族)イスラエルは、この地も神から与えられているのに
なぜこのような難儀にあうのか、という事は一大関心事でした。
- 申命記 6:5-15
- 聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。
あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。
今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、
子供たちに繰り返し教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい。
更に、これをしるしとして自分の手に結び、覚えとして額に付け、
あなたの家の戸口の柱にも門にも書き記しなさい。
あなたの神、主が先祖アブラハム、イサク、ヤコブに対して、あなたに与えると誓われた土地にあなたを導き入れ、あなたが自ら建てたのではない、大きな美しい町々、
自ら満たしたのではない、あらゆる財産で満ちた家、自ら掘ったのではない貯水池、自ら植えたのではないぶどう畑とオリーブ畑を得、食べて満足するとき、
あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出された主を決して忘れないよう注意しなさい。
あなたの神、主を畏れ、主にのみ仕え、その御名によって誓いなさい。
他の神々、周辺諸国民の神々の後に従ってはならない。
あなたのただ中におられるあなたの神、主は熱情の神である。あなたの神、主の怒りがあなたに向かって燃え上がり、地の面から滅ぼされないようにしなさい。
- 申命記 9:5-7
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あなたが正しく、心がまっすぐであるから、行って、彼らの土地を得るのではなく、この国々の民が神に逆らうから、あなたの神、主が彼らを追い払われる。またこうして、主はあなたの先祖、アブラハム、イサク、ヤコブに誓われたことを果たされるのである。
あなたが正しいので、あなたの神、主がこの良い土地を与え、
それを得させてくださるのではないことをわきまえなさい。あなたはかたくなな民である。
あなたは荒れ野で、あなたの神、主を怒らせたことを思い起こし、忘れてはならない。あなたたちは、エジプトの国を出た日からここに来るまで主に背き続けてきた。
- 「神の選民」と、ユダの人たちは自分たちの事を思っていました。
アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神様で、エジプトから導き出した神様。
カナンの地に導き入れ、幾多の民族の危機の度ごとに救い出してくれた神様。
その神様が、
「無条件に助けるわけではない」とおっしゃるのです。これは「民族の神」であることの拒否、唯一神の宣言とも受け取れます。
「背けば、滅ぼす。」これが神様の結論です。そうならないためには、「あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛さなければならない」のです。
ヨシヤ王、またユダの人々が衝撃を受けたのはこの言葉からだったと思います。モーセの十戒や付随する律法、それに続くのがこの第2の律法=申命記というわけです。
国家存亡の時。いかにドラマチックな状況の中で申命記が語られたか、お分かりでしょう。「心を尽くし」というくだりは申命記の中で
繰り返して何回も言われています。また、祭儀についても規定が細かく書かれていますが、形だけの祭儀だけ守っていればいい、という内容でないのもおわかりだと思います。
イスラエル(ユダ)国家の滅亡が間近に迫ったときに語られたこれらの言葉はむなしかったでしょうか。
いいえ、これらの精神(言葉)は脈々と受け継がれ、イエス・キリストも語っていらっしゃいます。
- マルコによる福音書 12:28-31
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彼らの議論を聞いていた一人の律法学者が進み出、イエスが立派にお答えになったのを見て、尋ねた。「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」
イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。
心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』
第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」
(「隣人を・・・・」は、レビ記19:18節からの引用です。)
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あとがき
70人訳聖書を作っているとき、17章18節「この律法の写し」と訳さなければいけないところを、「2つ目の律法」と誤訳したために、
Deuteronomy=申命記という、名前になったのだそうです。でも、内容とよく合っていますね。ちなみに、
ヘブライ語聖書のタイトルはドゥバリーム、”言葉”という、申命記冒頭の the words that spoked (by) Moses that all Israel in opposit-side of Jordan ・・・・・・・
2つ目の単語を充てています。
「クリスチャンは心の清い人がなるもの」って、思っていませんか。逆なんです。人をクリスチャンに選ぶ神様が清いのです。
このページにはそれが示唆されています。
申命記という、信徒にも教職にも敬遠されがちな書物にスポットを当ててみました。”ムーミンパパのバイブル研”のページは、聖書を面白いと感じ、もっともっと知りたいと思って調べ、
その結果与えられた賜物によって作っています。たとえ律法の羅列でも、そこには思いがけないドラマが秘められています。
聖書には新鮮な宝物がいっぱい。そのことを感じていただけたら幸いです
2000/01/22 ムーミンパパ
参考文献:新聖書大辞典 (c)潟Lリスト新聞社1971 東京都新宿区新小川町3-1 聖書引用:新共同訳聖書
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