はじめての「おかあさん」

おしゃべりのできない子供を持って、辛いのは「おかあさん」と呼んでもらえないことでした。

赤ちゃん時代を一緒に過ごした子供たちが次々に「ママ」「パパ」「わんわん」と言葉を増やしていく時期に、ちびくまだけが何も言わない。「うちの子、最近パパって言うようになったから、パパが目尻さがりっぱなしなのよぉ」「うちの子ったら、何を見ても『わんわん』なのよねえ」たわいない新米ママ同士の会話に、私はどれだけ心に血を吹く思いで参加していたことでしょう。ちびくまの寝顔を見ながら、「明日目が覚めたら、しゃべっているようになって欲しい」「嘘でもいいから、一度でいいから『おかあさん』と呼んで欲しい」と何度涙ながらに願ったことかわかりません。

ちびくまは「おとうさん」という言葉をビデオで覚えました。大好きなピーターラビットのビデオに、「おとうさん、がんばって!」という台詞があるのです。3才の頃、ちびくまはそれをそのまま覚えて、普通の子なら「パパ」「おとうさん」と言う場面で「おとうさん、がんばって!」と言うようになりました。「おとうさん、遊んで」も「おとうさん、いってらっしゃい」も「おとうさんなんか嫌い」も「おとうさん、がんばって!」。「おいおい、なんで俺ばっかりガンバレって言われるのよ〜」と言いながらも、まんざらでもなさそうな夫に、「いいやん。名前呼んでもらえるだけ」と内心ムッとしていた私でした。

甘えたで、誰がみても「お母さんっ子ねえ」と言われるちびくまですが、どうしても「おかあさん」とは言ってくれません。口まねでさえ一度も「おかあさん」とは言わないまま、4才の誕生日を迎えました。「おとうさん」以外は、人の名を口にすることがないので、人が名前で認知できないのは、そういう障害なのだと自分を納得させようと努めていました。

誕生日の5日後、ちびくまは大学病院の小児発達クリニックで、総合検査を受けました。一週間後に電話で知らされた結果は、「自閉症」。その3ヶ月前にHYPERLEXIAの診断を受けていましたから、晴天の霹靂という訳ではなかったはずなのに、十分心の準備はできているはずだったのに、ものすごいショックでした。頭を重いもので思いっきりガツーンと殴られたようで、ただただ呆然として、誰と話す気にもなれず、何をする気にもなれず、ぼうっとしたままクリスマスとお正月が過ぎていきました。

それと同時に、ちびくまがなんだか遠い存在に見えてきてしまいました。今まで、言葉が出なくとも、訳の分からない行動をしようと、いつもいつも可愛いと思い続けてきた我が子なのに、急にその姿にべったりと赤ペンキで「一生治らない障害者」と書いてあるような気がしてきてしまったのです。嬉しいとぴょんぴょん跳ねて手をパタパタふるのも、お気に入りの絵本をリビングいっぱいにずらっと一列に並べてあるのも、もう「へんなのー」と笑っては見られなくなり、「あ、やっぱりこれは自閉症の兆候だったんだ」としか思えなくなってしまいました。ちびくまに言葉をかけることもすっかり減り、今まで慈しんできた我が子が突然死んでしまって、得体のしれない化け物が一緒にくらしているような気持ちになってしまったのです。

そのうち、泣けて泣けてしょうがなくなってきました。悲しみの泉というのがあるなら、その奥底に沈んでいるような感じで、泣いても泣いても心は晴れず、ちびくまの顔を見ては泣き、TVで障害のない子の姿を見ては泣き…。同時にあらゆる事に対する、猛烈な怒りが込み上げてきました。私と一緒に泣きもせず、自閉症の本を読むことさえせず、何事もなかったかのように、毎日仕事に行っては帰ってくる夫への怒り。これまで障害を見つけてくれなかった専門家たちへの怒り。ちびくまが自閉症児だと私に告げたお医者さんへの怒り。自閉症という、一生完治することのない障害をもって生まれてきたちびくまへの怒り。無神経な言葉を吐く、友人知人や親への怒り。なぜ私がこんな目にあうのか?もっと悪いお母さんは他にいっぱいいるのに、なぜ私だけがこんなに苦労をしなければいけないのか?なぜ、みんなはいい加減に子供を育てていてもちゃんと喋るようになっているのに、私の子供だけがこうなってしまったのか?

ちびくまが学校へ行っている隙に、手当たり次第に物を壁に投げつけながら泣きわめいていたこともありました。感情の起伏がものすごく激しくなっていて、ちょっとしたことで爆発するのです。一方でそうした感情を持つことに対する、強烈な自責の念もあります。ちびくまは何も悪くないのに。皆は私を慰めようと思って言ってくれているのに。私がもっと早く気づけばよかったのだ。私が何か妊娠中にしたことが悪かったのだ…。

自分が自分でなくなっていってしまうような恐怖感、将来に対する絶望から、いっそ、ちびくまを抱いて湖に飛び込んでしまおう。そう考えたことも何度もありました。ちびくまを苦しませずに死なせるには、どうしたらいいか。ちびくまの寝顔を見ながら何時間も考えていたこともありました。

そんな暴風雨の真っ只中のような状態が1ヶ月も続いたでしょうか。嵐のあと、雲の切れ間から差す一条の光のように、私の心にも少しずつ落ち着きが戻り始めました。まず、ちびくまのすることに、「ちょっとー、それじゃ自閉症まるだしじゃないのよー」と笑うことができるようになってきました。夫が敢えてずっと無視を続けていたのも、彼なりの感情処理の方法だったのではないか、と考えられるようになりました。そして何より、「自閉症」と名が付いたことで、この子が損なわれたことは何もない、私の見方が変わっただけで、ちびくまは髪の毛1本変わっていない、と思えるようになったのです。私が4年間慈しんで来た子は死んだわけではない。今もこうして変わらぬ笑顔で私の手の中にいてくれる。死んでしまったのは、私が勝手に頭の中で描いていた「理想の子供像」であって、つやつやの髪も、柔らかい頬も、プニプニの手も、はにかんだような笑顔も、診断を受ける前とは何も変わっていない、やっとそのことに気が付いたのです。世の中にはどんなに望んでも我が子を抱くことができない人も居る。明日をも知れない命の子供を授かって、毎日毎日を死と隣り合わせに生きている親も居る。可愛い子供を不慮の事故で亡くしてしまった親もいる。そんな人たちのことを考えたら、泣いてなんかいられない。私の腕の中には、こうしてちびくまがいるのだから。

私は一般の日本人同様、特に信仰する宗教を持ちません。それでも、時々神様はいるものだと思わずにはいられないことがあります。私がちびくまの笑顔に、再び心からの笑顔を返してやれるようになった頃、ちびくまが私の顔を見てつぶやくように言ったからです。
「おかさん、だっこして」

初めての「おかあさん」から半年。今では朝から晩まで「おかさん、ジュースちょうだい」「おかさん、○○ゆって(言って)」「おかさん、こっちきて」と「おかあさん」の大安売りです(笑)。「頑張って」なしの「おとさん」も定着してきました。養護幼稚園でのスナップを見せて、「これは誰?」ときくと正確に答えることができますし、養護幼稚園では1人1人名前を呼んで挨拶もできるようになりました。人を人として認知できないのではなかったのです。ただその域に達していなかっただけなのか、ほかの何かの力が働いたのか、それは今でもわかりません。

今もこの世界のどこかで、「一度でいいから『おかあさん』と呼んでほしい」と泣いているお母さんがいるでしょう。どうか、希望を捨てないで。いつかきっと、いつかその日がくると信じましょう。子供の障害の宣告を受けて、暗黒の世界を漂っているお母さん、泣きたいだけ、泣いていいのです。自分を責めることなど、何もありません。あなたは心に大変な痛手をおっているのだから、癒しの時間が必要なのです。でも、あなたには愛する子供がいる、そのことだけは忘れないで。いつかきっと、心から笑える日が来ます。あなたの母の本能が告げてくれるはずです。「障害があっても、この子はなんて可愛いのかしら」と。




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