12月が来るたびに


今年も、カレンダーは最後の1枚になり、ちびくまは7歳の誕生日を迎えた。街にクリスマス・ソングが流れ、慌しくも心騒ぐ華やぎを加える頃、私の心は鈍い痛みを思い出す。

4歳の誕生日を迎えたばかりの我が子が「自閉症」だと告げられた、あの日。
今、振り返ると、電話でカジュアルに伝えるなんて、なんてさばさばしているんだろう、と思う。日本なら、ちょっと考えられないんじゃないか、と思うのだが、あれは、アメリカだから、だったのだろうか、それとも、既にPDDとの診断を受けているのだから、ショックなんか受けないと思われていたのだろうか。

だが、今思えば不思議なくらい、あの当時の私には、心の準備がなかった。なんらかの障害があることは認めざるを得なかったが、素人目にも明らかに息子は「典型的な(カナー型)自閉症」ではなかった。典型的な自閉症でなければ、いつか「普通」になる、と無意識のうちに信じようとしていたのかもしれない。「障害」は「克服」するもの、できるもの、と思っていたのかもしれない。だが、医者は事も無げに"lifelong disability"(生涯にわたる障碍)であり、"incurable"(治癒することはない)と告げた。その後の会話はなぜか思い出せない。真正面にあった、中庭に通じる掃き出し窓の外が、重く沈んだグレーの空で、みぞれ混じりの雪が降っていたことはおぼえているのに。静まり返ったアパートの中で、息子がその時何をしていたのか、自分が泣いていたのかどうかさえ、思い出すことができない。

あの日、私の中で何かが死んだ、と思う。そして、その「死んだもの」の弔いが済むまで、私は起き上がることができなかった。なぜ、生きているのか。どうして、生きていなくてはいけないのか。しばらくの間、私にとって、死んだのは息子そのものだった。死んだ息子をここに抱えていてはいけない、どこかに葬ってやらなくてはいけない。何かに憑かれたように、そればかりを考えていた。あの頃、息子にちゃんと食事をさせていたのだろうか。自分は食事をしたり、眠ったりしていたのだろうか。それすら、思い出すことができない。夫は全く変わりなく、毎日食事をし、風呂に入り、テレビを見、眠っていた。それを、私と息子に対する裏切りのように感じて、とてつもなく憎く思っていたことだけが、記憶に残っている。息子と共に、私の心も死んだのだった。・・・そう、思っていた。

あれから3年。私は生きている。
あの時、あれほど意味がわからなくて、何ヶ月もかかって数々の英語の文献を読み漁って、やっと自分なりに消化した「自閉症スペクトル」という概念も、今では日本でも広く知られるようになった。自閉症に関する日本語のインターネットサイトや優れた書籍も、爆発的に増えた。やっと日本でも自閉症に光があたり始めた、そんな気がする。

私の葛藤を知ってか知らずか、息子は、ますます愛らしく、逞しく、伸びやかに育った。
弾けるような笑顔と、茶目っ気のある横目と、数々のこだわりと、空気の海を漂うような不思議な歩き方と、マイペースで自信に満ちた態度とで、多くの人を惹きつけ可愛がられる、1年生になった。障害児学級きっての、朗らかな目立ちたがりやである。

あの時、死んだのは息子ではなかった。「自閉症」は彼を損なうものではなく、彼の内にあり、彼を形作るものであり、彼の魅力そのものであることを、息子は自分の力で私に教えてくれた。その声ならぬ声に、私が耳を傾けるきっかけになったのは、自らの痛みをさらして、自閉者の内なる世界の存在と、その深さを私たちにもわかる言葉で語ってくれた、成人自閉者との出会いだった。そこから、新たな世界が開けた。

頬の上で空気が融けるような、張り詰めた冬の朝、マンションのエントランスまで、学校に行く息子を送る。ランドセルを背負った彼と、手を繋いで廊下を歩くとき、その小さな手のぬくもりを、たまらなく愛しく思う。誰にともなく、ありがとう、と言いたくなる。彼は生きている。彼は生きていく。彼のままで、自閉者のままで。私も、私のままで、彼と生きていこう。

12月が来るたびに、冬の嵐のような、あの日々を思い出す。
だが、今、それは、うっすらと傷跡の残る子供時代の怪我の記憶のようになった。痛かったことだけははっきりと覚えているのだが、どこがどう痛かったのか、わからなくなっている。
私の中で「死んだもの」は、いったいなんだったのだろう。
それも、私にはわからなくなった。だが、それは、私のなかで、弔いが済み、手厚く葬られて、天上の住人となったことだけがはっきりしている。そして今、私と息子が前に進むための、道を照らす明かりとなってくれている。

12月が来るたびに、私は息子を抱きしめられる喜びを思うだろう。バースデーケーキの上に一本ずつ増えていくロウソクを、彼と共に喜ぶだろう。息子の、ありのままを楽しむ術を教えてくれた人々に、これからも幸あれ、と祈るだろう。今、嵐の只中にいる人の悲しみを思い、もう一度陽だまりの暖かさを感じる日が一日も早くくるように、と願うだろう。

生きていてくれて、ありがとう。あなたに、その言葉を捧げよう。
12月が来るたびに。

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