はじめに

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はじめまして、このページの作者、ちびくまママです。我が家は私たち夫婦と、息子のちびくま(1994年12月生まれ)の三人家族。ちびくまは「ハイパーレクシア」と呼ばれる不思議な能力をもつ、自閉症児です。某日本企業の国際営業マンであるちびくまパパの海外駐在に伴い、1996年12月より2000年3月までの3年3ヶ月を米国ワシントン州シアトル郊外で過ごしました。現在は兵庫県某市のニュータウンにあるマンション暮らしをしています。


「言葉が遅い、ちょっと変わった学者肌の子供」だったちびくまに診断名が初めてついたのが、滞米2年目の1998年9月(3歳9ヶ月)のことでした。広汎性発達障害(PDD;近縁障害を含む広義の自閉症)との判定を受け、同に現地校の就学前療育プログラム(Developmental Preschool)への編入を強く勧められました。


「ただ言葉が遅いだけ、いつか追いつく」と信じていた我が子が「障害児」のレッテルを貼られ、「養護幼稚園」に行かねばならない。
そのことに、どれだけ抵抗を感じ、どれだけ迷ったか。ひょっとして、このまま待っていれば、いつかペラペラとしゃべれるようになるのではないか。ここでアメリカ式に「障害児」と決め付けてしまっていいものか。日本語もおぼつかない、しかもいずれは日本に帰ることを前提とした子供なのに、アメリカ人の中で英語で療育をして、果たしてプラスになるのだろうか。
幸い、ちびくまの担任となる人は、そんな母親の不安も懐疑もすべて受け止めるだけの度量を持った先生でした。「できるだけ日本語を使ってアプローチしてもらう。療育に納得がいかなければやめさせる」との条件までつけての、半信半疑での療育開始でしたが、ちびくまは、またたく間に、みちがえるような進歩を遂げました。
"Rock melting smile(岩をも溶かす笑顔)"と名づけられた彼の笑顔はそのままに。彼が心から愛され、受け入れられ、かつ彼の個性を尊重したきめ細かい指導が行われていることは火を見るよりも明らかでした。
そのことが、私の心をも開きました。我が子の障害について、もっとよく知りたい。我が子に必要なアプローチをもっと学びたい。 「日本で自閉症英語ライブラリでも開くつもり?」と揶揄されるほどの書籍・文献。そしてなにより、ちびくまの担任であるL先生とのやり取り、最終的にはほぼ毎日のようになった教室での保育参加から、私は多くのことを学びました。
今なら、誰に聞かれても、胸を張って言えるのです。「あの、思い切ってよかった。すばらしい療育生活だった」と。


けれども、言葉も不自由、教育・医療システムについてもよくわからない外国で、そこにたどり着くまでの道のりは、決して容易なものとは言えませんでした。
日本企業の海外進出、雇用のグローバル化が進む中、親の仕事の都合で海外生活を余儀なくされる子供の数はどんどん増えています。ですが、まだまだ情報も限られており、海外生活中にも、帰国後にも、子供たち、そしてその親の前には問題が山積しています。

「普通の」子供ですらそんな状態ですから、その子供が「障害児」であったなら、問題は一層難しくなります。また、ちびくまのように、一目でそれとわからないような障害の場合は、「言語環境が複雑なせい」「環境の激変のせい」「多重文化による混乱のせい」などと言って、見過ごされることが多いのです。また、いざ親がそれと気づいても、どこの誰にどう相談したらいいのか、どんな援助が受けられるのか、そういった情報はおいそれとそのへんにはころがってなどいないのです。


もしアメリカで、「発達の遅い」子を持って、一人で悩んでいるお母さんがいたら、私の経験を参考にしてもらいたい。そんな思いで、このサイトは生まれました。 同に、「自閉症」、この不思議な障害をとりまく、日米の温度差、アメリカの療育制度について日本の皆さんに知っていただいて、今の日本の自閉症への無理解・無策に一石を投じる、私たちの子供が「尊厳ある自閉症者」として胸を張って生きていける未来をつくるための、大きなうねりの、きっかけのほんのひとつにでもなりたい。 そう、願っています。

ちびくまファミリーのホームページにようこそ!


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