●ユニバーサルデザイン●

ユニバーサルデザイン(UD)って知ってますか?

バリアフリー(BF)って知ってますか?

ノーマライゼーションって知ってますか?


バリアフリーは知ってる人が多いよね。なぁに?って聞くと、たいていの人は「段差をなくす!」

って答える。うん。間違いではないんだけど。

では・・バリアってなんだろう?バリアってのは「障害・妨げになるもの」。

だから、車椅子の人達が道に段差があると、通れないから、階段があるとあがったり、降り

たりできないから、かわりにスロープをつけたり、エレベーターを設置したりするんだよ。

それがバリアフリーなんだよって、ある小学校の子供たちが答えてくれた。


* 車椅子の人は階段のかわりにエレベーターやスロープ。じゃぁ、視覚障害の人は?

「えっと・・えっと・・・わかった!点字だぁ。点字ブロックで歩けるようにしてあげるんだよ。」

* じゃぁ、聴覚障害の人は?

「ええ〜〜?だって、耳の悪い人って、道を歩くのって別に困らないじゃん?」

* じゃぁ、上肢、つまり腕や指が動かない人は?

「腕や指が悪いだけなら、歩くのは困らないんでしょ?おかしいな。。なんで?」


*君たちが知ってる「障害者」ってどんな人達なのかな?

「見えない人、聞こえない人、車椅子の人、腕がない(動かない)人、知的障害者、精神障害者。。。」

 

本当はね、「見えない人」よりも「見えるけど、見えにくい人」のほうがずっとず〜っと多いんだよ。

「聞こえない人」よりも「聞こえるけど聞き取れない人」のほうがずっとず〜っと多いんだよ。

車椅子には乗ってないけど、歩くのが不安定な人のほうがもっと多いんだよ。

そして、見ただけでは障害者ってわからない障害を持った人がい〜っぱいいるんだよ。


●点字ブロックはバリアフリーなの?

点字ブロック、実は丸いポツポツのブロックは注意喚起、信号で言えば、「止まれ」みたいなもの。

線のブロックは誘導ブロックといいます。線の方向に進むことができるって意味です。

駅の構内なんかでよく観察するとわかると思います。

線で進んでいくと、途中で丸い点になる。そこで気をつけると、横に線が出ていたりする。その先は

案内板だったり、トイレがあったり、エレベーターへの進路だったり、歩道が切れていたりする。

視覚障害の人たちは、足の裏や白杖で、これを確認しながら歩きます。全然見えないわけではない

弱視者の人達は、この黄色い色が見やすい。だから、点字ブロックを目で追いながら、歩いたり

視覚障害を持った人達には、とっても助かるもの。

 

でも、その反面、車椅子の人や、ベビーカーを押してるお母さん、お年寄りや小さな子供には

足を引っかけやすかったり、車輪をとられたり、逆にバリアになってしまっていたりするのも

本当の話。材質によっては、滑りやすかったり・・・。

点字ブロックそのものの上を歩く視覚障害者が少ないのも、そんな理由もあったりする。

 

でも、点字ブロックにかわる誘導装置がない今現在、これがないと困ってしまう人がたくさん

います。かたやバリアフリーのことが、他方にはバリアになってしまう。そんなことって、案外

たくさんあるんです。。。


●ノーマライゼーションへ

ノーマライゼーションって言葉を知っていますか?これは、高齢者も、若い人も、障害者も、そう

でない人も、すべての人が、人として普通(ノーマル)の生活を送るために、ともに共生できる

ような社会こそが、普通(ノーマル)なんだって考え方のことです。

今までは、高齢者や障害者の施設をつくって、(言葉は悪いけど・・・)健常者とは隔離・分断する

ような「物理的バリアのない社会=弱者社会」「バリア社会=健常者社会」ってのが当たり前だっ

たけど、本当は、この考え方こそが普通じゃない(アブノーマル)んだって考え方がノーマライゼ

ーションなのです。

 

君たちの仲良しの友達が事故で急に歩けなくなってしまって、車椅子になったとしよう。

家族の誰かでもいいよ。歩けないから、車椅子だから、施設に入れて、もう一緒に遊ばない?

そんなことないよね。仲良しだから、いつまでも友達だよね。車椅子になったって、おしゃべり

はできるし、給食だって一緒に食べられる。本を一緒に読むことだって、ケンカだってできるよ。

映画だって一緒に見れるし、TVだって、テレビゲームだってできる。

運動会だって、足で走ることはできないけど、足のかわりに、手で車椅子をこいで走ること

だってできる。勉強だって一緒にできるよね。なによりも友達は友達。家族はいつまでたって

も家族。

 

「君は車椅子だから、あっちの道から入って、あそこの席に座りなさい。お友達はこっちの

階段から、みんなと同じ席に座りなさい」ってのはいやだよね。一緒に行った友達と、同じ

道を通って、おしゃべりしながら、席に座りたいよね。食事だってそう。一緒のテーブルで、

一緒の食事を楽しくおしゃべりしながら食べたいよね。

それは何も難しいことじゃない。周りの人がそうやって受け容れさえすれば、簡単な事。

 

今までのバリアは人が作っていた壁だったんだって、わかってもらえましたか?


●ユニバーサルデザインへ

人が作ったバリアだから、人が取り除くのは簡単かな?っていうと、これがなかなか難しい。

先に書いたように「点字ブロック」がいい例です。片方にとってはいいものが、もう片方には、

とっても邪魔なものになってしまう。じゃぁ、何か、視覚障害者にも、そうでない人にも、便利で

いて、邪魔にならないものを考えよう!っていうのがユニバーサルデザインの基本です。

(私的理論です。)

 

こんな風に、視覚障害者にとって便利な物は他にもあります。たとえば、「音声案内板」

「触地図」「音響式信号」などなど。。

 

でも、これらは健常者にとっては「邪魔」だったり、「声はしても、読めない」ものだったり、

「うるさい」ものだったりしてしまいます。

 

音声案内板は健常者も見やすいものであれば、もっと利用しやすいものになります。

触地図はものによっては、ただの板みたいに、さわらなければわからないものがありますが

これも、見た目でもわかるようにすれば、利用者はもっと増える。「一部の人のため」に

作ったものだから、こういう結果になってしまった例です。

 

「誰もが使いやすい」を考えて作れば、価値はあがります。駅のエレベーターも、「ゴミの搬出」

「売店業者の搬入」「車椅子」に限って設計していまったために、利用者対1基の比重は

高い物になっています。これが、毎日、利用者が100倍になれば、1基あたりの対価は安くなり

ます。こんな簡単な計算も、昔は考えつかなかったんですね。きっと。

 

今は、そんな経験をふまえて、ユニバーサルデザインへ思考がうつっています。でも、点字ブロ

ックに変わる便利なものがない現在、そんなに簡単にできるものではないのです。

時には「これならどうだ?」と作った物が失敗作だったりすることもあるでしょう。でも、それを反省

して「次は改善していこう!」という姿勢こそが、ユニバーサルデザインの姿勢なのです。

 

「ユニバーサルデザインに完成はない」と言われるのは、そんな所以です。(^^)


一番大切なこと

ユニバーサルデザインの考え方というのは、障害のない人が考えることではなく、障害のある人が

考えるものでもなく、「みんなが、みんなのために、みんなと共に、考え、作り上げていくもの」です。

「ひと」を作るのもみんな。「もの」を作るのもみんな。「まち」を作るのもみんなで。。。

もちろん、「便利」を追求して「環境」を無視してはいけません。「地球に優しい」も必要です。そのため

には、「既存のものにオプション」という、一見、バリアフリー的な技法も当然ありです。

 

でも、一番、大事なことは「ひと」なんです。「ひと」がユニバーサルデザインになって、「障害の有無」や

「見た目」「人種」「性別」「年齢」に対する偏見や、バリアをなくせば、物理的なバリアはなくなっていく

はずです。これは、障害のあるひとが障害のないひとに「偏見をなくして」というものではなく、どちらも

歩み寄っていくべきもの。障害のあるひとにも偏見があります。障害のないひとにも偏見があります。

双方がそれぞれの偏見をなくさない限り、ひとはUDにはなれません。

自分の中にある「偏見」を見直してみましょう。。


統合教育と実態(私が訴えたいこと)

2001年、1月15日、”障害児就学「基準緩和」”のニュースがありました。

文部科学省が視覚障害児等の障害児に対する盲学校への進学指導などの基準を約40年ぶりに

抜本的に見直し(今までは、その障害の程度に応じて養護学校や特殊学校にしか進学が認められ

なかった)その障害児や保護者が希望し、また、受け入れが可能なら普通学校への通学が認めら

れるようになるかもしれない。(なるであろう)というような内容です。

 

「RP児を持つ親の会」(あぁるぴいちゃいるどML)でも、この記事に対して興味深く、また、期待を

抱いていました。MLには、学齢期のお子さんもいたからです。

でも、実際には視覚障害を理由に就学拒否されているケースはまだ少なくありません。

2002年1月に、ある母子が自殺をしました。無理心中です。本人が亡くなってしまってるので、真相は

確定できませんが、就学できると期待していた小学校からの「就学拒否」が原因の一つではないかと

言われています。

 

この春、地元の小学校にあがることを、昨年の今頃からとても期待していた人でした。何度か、希望校

の校長先生とも話し合いを重ね、好感触を得ていたのですが、昨年の秋になって、「難しい」という回答

をもらったということです。

その後、音信不通になった彼女の情報は、今年に入って、幼い兄弟を二人道連れにしてしまったという

訃報でした。。もしも、学校が就学を拒否せず、受け容れていたら・・・盲学校の方がいいのかどうかは、

入学してからでもいいんじゃないのか。。健常者の親にとって、子供の可能性を知るために、そして、

納得して進路を決めるために、小学校に入れてあげて欲しかった。盲学校に行くかどうかは、そのあと

で本人たちが決めればいいと思うのです。

 

なんのために「統合教育化」という方針を打ち出したのか。。期待していたしょっぱなにこのような悲惨な

事件が起きてしまい、悲しみと悔しさでいっぱいでした。笑顔のかわいいお母さんだったのに。子供たち

も元気いっぱいでやんちゃな盛りの子供たちだったのに。この春の新入学児童の姿をみるたびに、三人

の冥福を祈っています。

 

未来有る子供たちのためにも、障害を、何らかの理由にされることのない社会の実現に向けて、私達

大人が実践していかなくちゃいけないって、思っています。

************

以上はある人にあてた私のメールの一部です。教育側がまず受け容れてくれさえすれば、(結果として

授業についていけずに盲学校に編入することになったとしても)彼女は幼い子供を道連れにしなかった

かもしれない。これは、どこでもでも起こりうる問題です。健常者の親は、我が子の障害を受け容れなけ

ればならないという想いと、可能性を見つけてあげたいという想いに挟まれて揺れます。

選択はまず試してからでいいのではないでしょうか?まず、「小学校に入りたい」「入れてあげたい」という

親子の気持ちを受け容れてあげて欲しい。

 

そのうえで、「無理だな〜」と盲学校に行くことになっても、親子が現状に納得できればいいのです。

入る前から拒否しないで欲しいのです。

 

今回の事件の真相は確定できていません。ですが、この就学拒否がいくつかのきっかけの一つである

だろうことは間違いではないと、彼女とのつきあいからも推測できます。失ってしまった幼い二つの命。

若い母親の命。この重みが、これからの社会にどう教訓としていかされていくか。当事者である小学校

の校長先生が、認識してくれて、今後、安易に就学拒否をしないで、まず「機会を与える」ことから導いて

いくこと。勉強して欲しいと願っています。そして、このような哀しい事件が起こらないように。。

 

教育や就労などの機会の均等化、すべての人に、その障害の有無や程度を、理由とすることなく、

平等に情報の公開と、平等な機会を与えるための日本版ADA法。統合教育はその意味でも、大きな

キーワードになっていると思います。

 

*ADA法・・・障害を持つアメリカ人法。1990年7月26日(ブッシュ大統領時代)発効。

  障害を持つアメリカ人の社会に参加する権利を保障し、そのために必要となる条件整備と

  雇用差別の禁止等を決めている。i違反した場合には、罰則もある。

  現在は日本版ADA法制定に向けた動きが国内でも活発にある。

 


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